「大学の自治」の判例:東大ポポロ事件
学問の自由と大学の自治―東大ポポロ事件―
茨城大学 中野雅紀
最高裁昭和38年5月22日大法廷判決
事件名等 昭和31年(あ)第2973号暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
刑集17巻4号370頁、判時335号5頁、判タ145号209頁
概要 本件は憲法23条の「学問の自由」の保障の内容及び範囲、大学の自治の内容、大学の自治と警察権の関係について最高裁が初めて示した判決である。東京大学構内の教室において、大学公認団体劇団が演劇発表会を開催していたところ、以前より連日のように同構内に立ち入って学生・教職員等の調査・情報収集を行っていた警察官らが、私服で入場券を買って潜入していることが発見され、学生Xらは退場しようとする警察官を阻止しようとし揉み合いとなり、学生らは警察官らの身柄の拘束をし、警察手帳を取り上げ、謝罪文を書かせた。これに対して、Xらは暴力行為等処罰法違反の罪で起訴された。
事実関係 昭和20年2月20日、東京大学構内の法学部教室において同大学公認の学生団体「劇団ポポロ」が大学の許可を得て松川事件を素材とした演劇を開催したところ、以前から長期的恒常的に大学当局に無断で立ち入り、学生・教職員等の調査・情報収集していた本富士警察署警備係警察官らが私服で入場券を買って潜入していることを学生Xらに発見され、そのうち三名が退場しようとするところを捉えた。学生らは同大学学生部長立ち会いの下に再度学内に侵入しない旨の謝罪文を書かせてこれらの警察官を解放した。ところが、その過程で逃走しようとした警察官を他の学生らと共に逮捕し、オーバーの襟に手をかけるなどの揉み合いがあり、また警察手帳を取り上げるなどの暴行行為等があったとして、Xが暴力行為等処罰法違反の罪で起訴されたのが本件である。なお、前述の警察官等による長期的恒常的な学生・教職員等の調査・情報収集活動は奪われた警察手帳に記載されたメモから判明したものである。第1審の東京地判昭和29年5月11日は違法な警察権行使から大学の自治を守るために行われた行為の違法性阻却の有無が争点となり、以下の理由でXらの行為を無罪とした。「警察権力の側における、警備の必要という一方的判断の下に、学内活動のあらゆる分野が絶えず警察権力の監視と査察の下に置かれること、は……学問の自由が確保される基本的条件が失われる危険性が極めて大である」として、Xの行為を「官憲の違法行為をいたずらに黙認することなく、将来再び違法な警察活動が学内で繰り返されることを防止するものである」として正当行為として無罪とした。第2審の東京高裁昭和31年5月8日も第1審と同じ理由でXを無罪としたので、国が上告し、裁判所が原審判決と第1審判決を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。差戻後第1審の東京地判昭和40年6月26日でXは有罪、第2審の東京高判昭和41年9月14日はXの控訴棄却、上告審の最判昭和48年3月22日はXの上告を棄却した。
判決要旨 破棄差戻。憲法23条の「学問の自由は、学問的研究とその研究結果の発表の自由を含むものであって、同条が学問の自由を保障すると規定したのは、一面において、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において、大学が学術の中心として深く審理を探求することに鑑みて、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたものである。教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接に関連するけれども、必ずしもこれに含まれるものではない。しかし、右の大学の趣旨と、これに沿って学校教育法52条が『大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究』することを目的としていることに基づき……、大学における自由は、……一般の場合よりある程度で広く認められると解される。」「大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治は、とくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、……また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の機能が認められている。」「大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によって自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである。もとより憲法23条の学問の自由は、学生もまた一般の国民と同じように享有する。しかし、大学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてであり、……大学における学生の集会も、右の範囲において自由と自治を認められている」に過ぎない。
コメント 紙面の関係もありここでは、アメリカ合衆国憲法理論である「academic freedom」を補強論拠として「学問の自由」を大学研究者の「特権」から解放し、市民的自由として基礎付け、市民一般の「学ぶ自由」との連続性を論証する試みと、大学における「教授の自由」の比較法的検討に限定させてもらうことにする。
まず、藤井樹也氏は高柳信一説を取り上げ、教育行政が初等中等教育に対して行ってきた国家主義的介入を憲法レベルで掣肘するためには、前述のように普通教育における教師の「教育の自由」を基礎づけるべく、「学問の自由」を大学研究者の「特権」から解放する必要性から、合衆国憲法理論の「academic freedom」を補強論拠として「学問的自由」を「市民的自由」のひとつとして捉え直そうとする試みを紹介している。
諸外国の「大学の自治」とわが国のそれとの制度的保障説の関係を若干触れておきたい。石川健治氏によれば、ドイツの大学は中世的大学の色彩を色濃く残し、政府とは無関係に運営されるイギリス型の大学と、特定の職業のための専門教育を目的とする国家の営造物とするフランス型大学の双方の特徴を併せ持ったものとされる。それにドイツの近代史的な特質である文部行政による大学への教授人事の介入等の軋轢が相まって、なによりもまず基本権論上の焦点は国家の営造物の勤務関係においては公務員であるが、大学人としては特権的団体における団体身分の保持者である大学教師の「教授の自由」のみに当てられてきた。先の、「academic freedom」に近い考えに立つのはスメントの見解であろうか。いずれにせよ、良くも悪くもわが国の「大学の自治」及び「学問の自由・教授の自由」はドイツに大学制度を倣っている以上、さらなる比較憲法学的検討が必要であろう。
ステップアップ 百選Ⅰ五版93事件(竹内俊子)、佐藤・土井編『判例講義 憲法Ⅰ』53事件(藤井樹也)、石川健治『自由と特権の距離【増補版】』(日本評論社、2007年)114頁以下