「教育権と給付請求権」の判例:教科書国庫負担請求権訴訟

2013年01月13日 23:06

教育を受ける権利と義務教育の無償性の意義―教科書費国庫負担請求権訴訟―

茨城大学 中野雅紀

 

最高裁昭和39年2月26日大法廷判決

事件名等 昭和38年(オ)第351号義務教育費負担償請求事件

民集18巻2号343頁、判時363号9頁、判タ157号94頁

 

概要 本件は「義務教育諸学校法の利用教科用図書の無償に関する法律」及び「義務教育諸学校教科用図書の無償措置に関する法律」が制定される以前に、公立小学校の児童の保護者が義務教育期間中の教科書代金は憲法26条2項後段に基づき国家が負担すべきものとして、国家は憲法26条2項後段の義務を果たしていないばかりではなく、子女の教育を受ける権利を奪うもので違憲であるということを争った事例である。

 

事実関係 本件においてまず確認しておかなければならないのは、この判決が下された段階では「義務教育諸学校の教科利用の無償に関する法律」(昭和37年法律第60号)及び「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」(昭和38年法律第182号)が制定されていなかったことである。したがって、現在において義務教育用教科書は無償となっているために以下に述べるような問題はあるが、本件のように直接、子女の教育を受ける権利と国家の義務教育の無償性が争われることは、給食費用の無償措置が争われることはあってもほとんどない。本件は前述の両法の制定以前、公立小学校2年生の子女(表現的には児童としたいが判決文は子女となっている)の保護者Xが義務教育期間中の子女の教科書代金は憲法26条2項後段「義務教育は、これを無償とする」により国家が負担するべき責務を負っているとして、国家Yに対して教科書代金徴収行為の取消とその代金の支払、すなわち義務教育費負担請求訴訟を起こした。

 第1審の東京地判昭和31年11月22日は、Xの代金徴収行為の取消の訴えについては不適当なものであるとして却下し、代金支払請求については憲法26条2項後段は国家の責務を規定してはいるが、それを基に個々の子女の保護者に具体的権利を付与までしたものとは言えないとして請求を棄却した。第2審の東京高裁昭和37年12月2日は、憲法26条2項後段は授業料不徴収だけが憲法の直接規定するところであって、その他の費用はもっぱら立法によるとして控訴を棄却した。これを不服として、Xが最高裁に上告。

 

判決要旨 上告棄却。「憲法26条は、すべての国民に対して教育を受ける権利を保障すると共に子女の保護者に対して最小限度の普通教育を受けさせる義務教育の制度と義務教育の無償制度を定めている。しかし、普通教育の義務制ということが、必然的にそのための子女就学に要する一切の費用を無償としなければならないものと速断することは許されない。けだし、憲法がかような保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のため必要であるという国家的要素だけによるものではなくして、それがまた子女を教育すべき責務を完うせしめんとする趣旨から出たものであるから、義務教育に要する一切の費用は、当然に国がこれを負担しなければならないものとはいえないからである。」憲法26条2項後段の意義は「国が義務教育を提供するにつき有償としないこと……を定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。そして、かく解することは、従来一般に国又は公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料としてきた沿革にも合致するものである。また、教育基本法4条2項および学校教育法6条但書において、義務教育については授業料はこれを徴収しない旨規定している所以も、右の憲法の趣旨を確認したものであると解することができる。それ故、憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものとは解することはできない。」「もとより、憲法はすべての国民に対しその保護する子女をして普通教育を受けさせることを義務として強制しているのであるから、国が保護者の教科書等の負担についても、これをできるだけ軽減するように配慮、努力することは望ましいところであるが、それは、国の財政等の事情を考慮して立法政策の問題として解決すべきであって、憲法の前記法条の規定するところではないというべきである。」

 

コメント 本判決において本質的な問題である憲法26条2項後段は義務教育期間中の子女の保護者に教科書代金支払請求権があるのかどうかという問題、すなわち義務教育に際して無償になる範囲はどこまでかという問題は上述したようにその後、「義務教育諸学校法の利用教科用図書の無償に関する法律」及び「義務教育諸学校教科用図書の無償措置に関する法律」が制定されることによって立法的に解決された。しかしながら昨今、給食費の無償訴訟が行われることからこの問題を、藤井樹也に倣って憲法26条2項後段の効力、無償になる範囲及びこの権利と社会権の異同に分けて検討することにする。

 まず同条項の効力についてであるが、これが裁判規範性を有しているのか検討しなければならない。第1審判決は藤井氏が指摘するように個々の子女の保護者に具体的権利を付与までしたものとは言えないとして請求を棄却したことから、同条項をプログラム規定説として採用していたと言える。しかし、本判決は同条項が義務教育の「対価を徴収しないこと」、「授業料不徴収」を定めていると言明していることから裁判規範としての具体的効力を承認したと考えられる。

 しかし、これだけでは授業料無償だけが裁判規範として具体的効力が認められるのか、修学費すべてが無償として具体的効力を認められているのか分からない。無償となる費用の具体的範囲については、授業料無償説と教科書代金までも含めた修学費無償説の厳しい対立があることは知られているが、この判決後に制定された二つの法律によって義務教育用教科書は無料となっていることから、最高裁判所は生存権でいうところの抽象的権利説的な見解を採用して修学費無償説をいると思われる。したがって、前記二つの法律に給食費が規定されていない以上、給食費は無償になる範囲に入らないだろう。

 最後に藤井氏が指摘するように、貧困による学歴差が言われる昨今において経済的弱者を配慮して本件の検討を進めていくと憲法25条との関係が曖昧になる問題を指摘しておく。

 

ステップアップ 百選Ⅰ五版146事件(千葉卓)、佐藤・土井編『判例講義 憲法Ⅱ』142事件(藤井樹也)