「法学概論」試験

2014年02月05日 12:41

2月10日の備忘録。

 午前2時にメールを確認したら、夕方にTくんから明日の「法学概論」の試験についての質問が来ていた。

 

 中野雅紀先生


明日の法学概論の答案についてご意見をいただきたくメール致しました。
以下の答案の草案を見ていただき、ご意見頂ければ幸いです。

<問4>
自由権と社会権について考える。
  自由権…「国家からの自由」、国家の裁量権が比較的狭く権利の内容が確定
しやすい。
  社会権…「国家による自由」、国家の裁量権が比較的広く権利の内容が確定
しにくい。

では、平和的生存権を自由権・社会権で構成することのメリット・デメリット
  自由権 メリット…「国家からの自由」→自由の出どころは国民と考えられる。
つまり国民主権の理念が実現しやすい
      デメリット…有事の際に国家からの援助が受けられない可能性があ
り、自分の身は自分で守る必要がある。
  社会権 メリット…有事の際に国家からの援助が受けられる
      デメリット…国民が国家の政策に対しNOを突き付けにくく独裁に走
る可能性がある。
私は自由権として構成すべきと考える。
  なぜなら、日本国においては主権者を国民の総意と定めており、その点にお
いて自由権はこの理念を実現しているから。
  また、日本国は憲法において戦争を否定しているのだから、有事のことにつ
いて考えるよりはこの理念を実現するように力を遣うべきであるから。

(疑問点)
この答案における憲法の解釈等に誤りはありませんか。全体をみておかしいとこ
ろがあれば指摘下されば幸いです。

以上、よろしくお願い致します。

教育学部 社会選修
            S・T

 

 これに対して、以下のように添削してレスを返した。

 

明日の法学概論の答案についてご意見をいただきたくメール致しました。
> 以下の答案の草案を見ていただき、ご意見頂ければ幸いです。
>
> <問4>
> 自由権と社会権について考える。
>   自由権…「国家からの自由」、すなわち、国家からの介入・侵害を排除することだけだから、選択肢(オルタナティブ)が特定しやすく、国家の裁量権を制限することが比較的可能。
>   社会権…「国家による自由」、すなわち、国家による作為を要請するものであるから、選択肢(オルタナティブ)が複数あり、特定しにくく、国家の裁量権が比較的広くなり、権利の内容が確定しにくい。←これを、所謂「ベース・ライン」の確定問題と呼ぶ(例えば、小山教授や長谷部教授の理論)。
 わかりやすく言えば、「人を殺すな」という侵害の禁止は「人を殺す」ということの禁止という一択であるが、川で溺れている子供を「助けろ」という場合、泳ぎが得意な人ならば「泳いでいって助ける」だろうし、泳ぎが余り得意でない人ならば河原に捨てられている「タイヤを浮き輪代わりにせよと言って、溺れている子供に投げる」かもしれないし、あるいは全く泳げない人ならば「警察や救助隊を呼ぶ」かもしれず、選択肢は複数ある。すなわち後者の事例で、助ける側がどの選択肢を選んでも、その選択は誤りではないこととなる。これをわが国に外国が攻め込んできた事例に、当て嵌めればよい。
>
> では、平和的生存権を自由権・社会権で構成することのメリット・デメリット
>   自由権 メリット…「国家からの自由」→自由の出どころは国民と考えられる。
> つまり国民主権の理念が実現しやすい←完全に間違っている。なぜならば、わたしの上記の説明によれば、この解釈は国民主権=多数決的民主主義の決定とは無関係で、自由権が「国家からの自由」であることから、その性質上、必然的に他国の、わが国への「侵略」の排除に限定される。すなわち、自由権とすることによって、わが国の自衛隊の活動を「専守防衛」に限定することが可能。
>       デメリット…有事の際に国家からの援助が受けられない可能性があり、自分の身は自分で守る必要がある。←これも誤り。アメリカが仮に日米安保条約を守ってくれなくても、日本が外国に侵略された時、自衛隊が国民を守らないということは考えられない。また、わが国は近代国家なので「自力救済」は認められていないし、スイスのように国民皆兵制度を採っているわけではないので、君の指摘は誤り。
>   社会権 メリット…有事の際に国家からの援助が受けられる←こちらはOK!
>       デメリット…国民が国家の政策に対しNOを突き付けにくく独裁に走る可能性がある。←選択肢が広がるということは、「5W1H」の判断の裁量範囲が相当広がることになる。すなわち、平和的生存権を社会権的に構成すれば、棟居先生(国立国会図書館)の指摘するように防衛戦争を超えて、アメリカのように「ならず者国家」に対して、日本が「世界の警察官(保安官)」として制裁を加えてもよいという解釈も可能となり、なにやら「キナ臭い」ものになってしまう。積極的に「平和」を創出するといっても、あまりにも話が漠然としている。

 以下の質問は、ここまでの説明を元に君なりに考え直してください。By 中野 雅紀

 こんな回答をしていたら、寝れなくなってしまった。

 10時10分、駅前のすき家で山かけのっけ朝食 400円を食べる。

 14時頃、大学生協食堂で味噌ラーメン 350円を食べる。

 16時20分から17時50分まで、「法学概論」の期末試験を行う。

課題1の模範答案は以下のようなものである。

社会科教育 1年 Sくん

一.事件1はパーマをかけ、事件2ではバイクに乗ったという校則違反が問題発生の理由である。憲法の人権規定が私立高校の在学関係にも適用できるとし、直接適用を用いている事件1に対して、事件2ではそれに加えて仮に憲法13条の規定が直接適用されえないとしても私立学校も公の性質をもっており、私立学校と生徒間の関係には憲法を直接適用するものと同様の人権保障がはかられるべきであると述べて公序良俗の解釈において趣旨を考慮しているという間接適用を用いている。近代立憲主義は公法・私法の二分論をとり、憲法などの公法は私人対国家間の関係を規律するものであり、私人間に国家は原則的に介入しないことを大前提とした。しかし、憲法的価値を私法の一般条項、例えば民法90条の公序良俗に読み込んで間接的に解釈することができるという学説が存在する。このことを前提として、これらは同じ校則違反の事例なのに、どうして裁判では主張の違いによって勝敗が分かれてしまったのかを論じていく。

二.ここで論点となるのが、どのようなカードを用意してきたのかという問題である。裁判は常に公平性を重視する。お互いの陣営が証拠の提示、反証などを行い、最後に第三者である裁判所がどちらの陣営の立証がより説得力があったのかで判決を下すのである。したがって、主張が反証されたあとの切り札となるカードを用意しておくことが裁判で勝つにあたり重要になってくる。逆に言えば、反証を覆すことができなければ負けてしまうのである。これは、いかに最後に切り札をもってくるかといったゲーム理論に通ずるものである。しかし、意見が対立する両者に対してどちらかに裁判官が肩入れしている場合、その場で意見が公平に扱われていないことになる。公平な判断の結果として出された解答であるのか否かが、裁判を行うにあたって重要なことである。

三.事件1でA子さんが敗訴したのは、直接適用を否定された後に反論できるカードを持っていなかったからである。私立学校の場合、私人相互の関係にあるため憲法規定の直接適用はされない。最初に直接適用を主張すれば、当然認められないという反証が相手側から返ってくるだろう。そのような場合、その反証に対する再反証をしなければならない。したがって事件1の場合、相手側があきらかに説得力のある反証であると判断されたために敗訴に至ったのである。反対に事件2では、直接適用を主張し、それが認められなければというかたちで、公序良俗違反を用いて憲法の人権規定を私法レベルで解釈することで、間接的に違憲を主張している。たとえ、直接適用が否定されたとしても、民法90条を用いることで相手に異議を唱えさせなくしたのである。したがって、相手側にそれに対して反論できなくなり、説得力が原告側にあると認められたために勝訴に至ったのである。

四.以上のように裁判とはゲーム理論的であり、いかにその主張が信憑性を備えているのかを裁判官に証明できるか否かが勝敗を分ける決め手となる。しかし、そこには根拠条文の提示や証拠がないと正しい立証とは認められないので、本当の公平とは何なのかという疑問もでてくるだろう。原告の主張がいくら正しくても、それを立証できなければ勝つことはできない。そんな中で争う裁判は、真理を追求するものとはすこし違っているのではないかと私は感じている。だが、その裁判システムにより事件1が敗訴し、事件2が勝訴する結果に至ったと考える。

                                                                         -以上-

 論の進め方はなかなかよかったが、用語法が乱れていたのでかなり手直しをした。

 

課題2の模範答案は以下のようなものである。

社会科教育 1年 Sさん

一.平和的生存権を主張するにあたって、私は自由権的構成を主張したいと思う。自衛隊の派遣などを例にとって、社会権的構成で主張する場合のメリット、デメリットと自由権的構成で主張する場合のそれとを比較しながら考察していきたい。

二.まず、平和的生存権とは一体何だろうか?平和的生存権は憲法の前文に記載された人権である。しかし誰が、誰に、何を請求する権利なのか、内容が一義的でもなく、明確でもないため、まともに取りあってもらえなかった人権である。前文には裁判規範性がないと言われたり、また一方で本当なら憲法9条を人権面から補ったものであるから、裁判所で争える立派な人権であると言われたりする。憲法学者によって解釈が分かれている人権であるといえる。

三.さて、平和的生存権を社会権的構成から主張した場合のメリット、デメリットを考えていこう。社会権とは「国家による自由」を保障した権利である。政府に対し、自分の生活の質の向上もしくは維持するために法整備であるとか、支援を求めることができる権利である。平和的生存権を社会権的構成から主張する場合のメリットとしては、平和状態を創造するために政府が積極的に行動するという点にあると思う。たとえば自衛隊を積極的に海外の紛争地域へ派遣して、世界平和に積極的に関与する。アメリカ合衆国のように世界の警察になって諸悪の根源を絶つ、といったところだろうか。この例は社会権的構成が暴走したようなとき、考えられる事例であるかもしれない。つまり、私が言いたいのは、この社会権的構成の主張は、メリットがデメリットともなってしまうということである。「国家による自由」が暴走したとき、おそろしいことになりはしないだろうか。世界平和を実現したいという理想は確かにすばらしい。だが「未然に防ぐ」ことをしすぎた場合、戦地に積極的に赴くことになりかねない。そうしたとき、現地の人や世界の誰かそれをこころよく思わない人から自衛隊の活動が反感を買ってしまうこともあるだろう。日本の軍事力をはるかに凌ぐ軍隊をもつ国が攻めこんでくることだってあるかもしれない。その時政府はどうするのか?これでは私たちの生命も危険にさらされかねないので、憲法25条の生存権を侵害してしまうことになるだろう。また、戦地に赴くためには多額の資金が必要になる。それは私たち国民が納めた税金が財源になっている。例えば私が平和主義者で、武器やその他一切の攻撃性に特化したものを持つことは絶対にできないという信念を持っていたとする。そうなると私の納めた税金が軍事目的に遣われたとなれば、私の経済活動の自由、及び精神的自由も侵害していることにはならないだろうか?以上のことが考えられるので、社会権的構成で主張するにはあまりにもデメリットが大きいと私は考える。

四.次に自由権的構成で主張した場合のメリット、デメリットについて考えてみよう。まず、自由権とは「国家からの自由」を保障した権利である。19世紀が終わるまで、人権といえば自由権を指していた・歴史の古い人権だとでも言えるだろうか。私が自由権的構成するほうがいいと考える理由は、社会権的構成で主張した場合のデメリットが少ないと考えるからである。社会権的構成で暴走した場合に考えられる戦争や戦争の準備をするような行為は国民の生存権を侵害したり、抑制するものである。憲法はそのような抑圧から国民を守るために、自由権的構成で平和的生存権を保障した、と考える。上記のように積極的な自衛隊の海外派遣はしないこと、また、過度の軍備拡張がなされないことによって、私たちの身体、精神、経済活動の自由が保障される。デメリットとしては、「国家からの自由」が私たちの最低限度の生活を保障するとは限らないことにある。これまで日本が湾岸戦争などのためにしてきた多額の資金提供がもしなかったら、と考えると、日本の世界的な地位はもっと低くなっていたかもしれない。最低限の生活すら危うくするものだったとしたら、これは大きなデメリットだと言える。しかし私は敗戦がいかなるものかを経験した日本が、わざわざ危険を冒してまで積極的に戦地に赴く理由が理解できない。以上に述べてきたように、確かにデメリットはあるかもしれないが、自由権的構成で主張するほうが私たちの人権は守られるので、大いに有益なものだと考える。

                                                                          -以上-

 これは大作で、手直しは一切なしで掲載させてもらった。今期のベスト答案である。

 

  16時52分、駅構内の吉野家で牛すき鍋膳・並 580円を食べる。