『国法学講義ノート』第1講

2012年12月05日 15:37

【講義ノート】日本国憲法の三大原則―その序列を考えてみよう―(一)

                     茨城大学教育学部准教授中野雅紀

 

はじめに

 

 一般に、日本国憲法の三大原則は「国民主権」、「基本的人権の尊重」および「平和主義」と言われています。しかし、人によっては「基本的人権の尊重」が最初に挙げられたり、または「平和主義」が最初に挙げられたりすることがあります(事実、わたしが教鞭をとっている学校で学生に聴いてみると、その順番はまちまちです)。このことは、この三つの原則の中に序列がないことを示しているのでしょうか?また、この三つの原則は近代立憲主義国家において普遍的な原則なのでしょうか?余談になりますが、ドイツにおいては「基本価値(Grundwert)」として「自由の原理(Grundsatz der Freiheit)」、「民主制原理(Grundsatz der Demokratie)」、「人権・基本的自由尊重の原理(Grundsatz der Achtung der Menschenrechte und Grundfreiheiten)」および「法治国家の原理(Grundsatz der Rechtsstaatlichkeit)」が挙げられ、必ずしも日本国憲法の三大原則と一致するわけではありません(実際、この原理・原則は時間があれば解説しますが、憲法改正の限界と関係し、非常に重要な問題です)。もし高校までの日本国憲法の勉強であるならば、この三つの原則の名前を挙げるだけでよかったのかもしれません。しかし、大学生になった君たちならばもう少し突っ込んで、この三原則の並べ方の順番を理論的に考えてみてもらいたいと思います。なにせ第0講で書いたように、法律学ほど論理的な学問はないのですから。そういうことを前提として、みなさんと今回のテーマを考えていきたいと思います。

 

 

 第1章 「国民主権」および「基本的人権の尊重」と「平和主義」との関係―トマス・ホッブズの社会契約論―

 

 まず、みなさんは高校で「社会契約論」を勉強したと思います。さて、みなさんは社会契約論者として誰の名前を挙げるでしょうか?ロック(John Locke 1632~1704)やルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712~78)、あるいはモンテスキュー(Michel Eyquem de Montaigne 1533~92)の名前を挙げる人が多いかと思います。しかし、ここではトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes 1588~1679)の名前を挙げてもらいたいのです。それは、ホッブズの生きた時代を説明することによって「国民主権」および「基本的人権の尊重」と「平和主義」との関係の変化を説明したいからです。

Jean-Jacques Rousseau 1712~78

Michel Eyquem de Montaigne 1533~92

 まず、ホッブズの書いた著作をみなさんは知っていますか?時間が勿体無いので先に答えてしまいますが、彼の書いた有名な著作は『リヴァイアサンLeviathan』と『ビヒモスBehemoth』です。みなさんも名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。両方とも人間は生まれながらにして自由で平等であるということを出発点としていますが、その初源状態である「自然状態」である人間関係は悲惨なものです。このことを一言で言い表すならば、「万人が万人に対して狼bellum omnium contra omnes」であるということです。簡単に言い換えるならば、「弱肉強食」の世界です。このような状態では、いかなるものも安心して生活することができません。たとえば、『北斗の拳』

(https://www.haratetsuo.com/)の世界を想定してみてください。なるほど、最初はラオウのような力のあるものが社会を支配することになるでしょう。しかし、いつまでも力のあるものが安心して生きていくことができるでしょうか、あるいは枕を高くして眠ることができるでしょうか?おそらく、そのような世界ではだれも安心して眠ることができないでしょう。ルールのない世界においては、支配者といえどもいつ寝首を掻かれるか分からないからです。そこで、ホッブズは以下のように考えました。人間は本来的に暴力を行使する自由をもっているが、それを一旦、全部国家に委譲してしまう。そうすれば、誰も他人に対して暴力を振るうことがない。しかし、このような委譲契約を行っても中にはその約束を破って他人に対して暴力を振るう奴が出てく場合があります。そのときはじめて、国家は社会契約を結んだものから一括して委譲された「暴力」を組織化した軍隊、あるいは警察を使ってこの契約違反者に制裁(サンクション)を加えるのです1。

Thomas Hobbes 1588~1679

右横は彼の著書『リヴァイアサン』(1651発刊)

この扉絵に描かれている巨大な人型の怪物を良く見ると、鱗のように見える表皮は人が集まっていることがわかる。この怪物の下半身は謎のベールに包(つつ)まれている2。

 このようなホッブズ的な考え方によれば、平和主義があってこそ国民主権主義や基本的人権の尊重が存在できるということになります。その意味からすると、私見である①国民主権主義、②基本的人権の尊重そして③平和主義の順番とは、ある意味で大きく違ってきます。しかし、このような順序の違いが生じてくるのはホッブズが生きた時代とわれわれが生きている時代的背景が全く異なっていることに留意する必要があります。

 それでは、ホッブズが生きた16世紀から17世紀のイングランドの歴史を概観することにしましょう。この講義はイングランド史の時間ではないので、具体的な年代はあえて書きませんが、ホッブズが生まれたのはイングランドがスペインの無敵艦隊(アルマダ)によって国家の存亡の危機に陥っていた時代(1587)と重なります(これゆえに、ホッブズは「恐怖と共に生まれた」と言われています)。まさに、彼は外敵による国家の平和の破壊という恐怖をトラウマにして育ってきたのでした。この危機はジョン・ホーキンス(John Hawkyns 1532~95)及びドレイク(Francis Drake 1543/45~96)らの活躍によって退けることができましたが、かりにイングランドがスペインに征服されていたらどうなっていたでしょうか?おそらく、アングリカン・チャーチを信仰するイングランド人の国民主権や基本的人権の尊重などは考えられなかったでしょう。そして、成人したホッブズがこのような外国による国家の平和の破壊を念頭にして書かれたのが『リヴァイアサン』でした。島国のイングランドにおいて、典型的な平和の破壊は大陸からの国家侵略戦争ということになることはみなさんも簡単に理解できますね。さて、ホッブズの人生はまさに波乱に満ちた人生でした。それは、彼が当時の平均年齢に比べて非常に長生きしたこととも関係しますが、そのことはここでは措いておくことにします。イングランドがスペインの無敵艦隊を破り、大西洋の支配権を確立することになったのはエリザベス1世の時代でした。そして、このエリザベスの治世は約40年にわたる長いものでした(映画『エリザベス』(https://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=85197)を観てください)。

*一般に知られていないが、アルマダの海戦での司令官はジョン・ホーキンスであり、ドレイクはその部下の私掠船の船長に過ぎなかった。

 さて、エリザベスは後継にスコットランド王を指名しました。しかし、ヘンリー8世(HenryⅧ1491~1547)がアングリカン・チャーチに国教を変更してから50年以上が経過しており、ほとんどの国民がアングリカン・チャーチに改宗し、特に熱烈なピューリタンになっていました。こんなとき、カトリック国のスコットランド王ジェイムズ・スチュワート(ジェイムズ1世(James Ⅰ1603~1625位)がイングランド国王になることはイングランドに宗教的軋轢を産むことになります(ジェイムス自身の信仰心の葛藤から、カール・シュミットはジェイムスこそが『ハムレット』のモデルであると喝破しています)3。やがて、ジェイムズの後を継いだチャールズ1世はフランス国王アンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリアと結婚することで、カトリック信仰に傾倒し(もっとも、国内とアイルランドでの態度の使い分けをおこなうのですが)、また王権神授説を信奉することでして専制政治を断行して議会派と対立しました。そして最終的に、みなさんも高校の『世界史』で学んだようにピューリタン市民とイングランド国王は一戦を交えることになります。さて、このとき国王の側近であった人物の一人に老齢のホッブズがいました。この戦争のことはピューリタン革命(1642~49)と呼ばれていますが、その勝利者がどちらであるのかはみなさん御存知のことだと思います。すなわち、それはオリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell 1599~1658)に率いられたピューリタンです。その結果、国王のチャールズ一世は首を刎ねられ、ホッブズは皇太子であったチャールズ(後のチャールズ2世Charles Ⅱ1599~1658)の後見を託されてフランスに亡命します(古い映画ですが、リチャード・ハリス(顔が分からない人はクリント・イーストウッド監督の『許されざる者』の中でジーン・ハックマンに「このイギリス人野郎!」と言われてボコボコにされたおじさんと考えてください)が主演した『オリバー・クロムウェル』(https://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=6752)の中でこのワンシーンが描かれています)。その亡命時代に書かれたのが『ビヒモス』です。さて、ピューリタン革命はイングランド人に内乱の恐怖を骨の髄まで刻み込むことになったわけです。そして実際、外国からの国家侵略戦争こそが最も忌むべきものであると考えてきたホッブズに国家侵略戦争よりも同じ国民同士が殺し合いをする内乱の方がなによりも排除されなければならないという思想の変更をもたらすことになりました。それはみなさんが子供の頃、ユーゴスラビア連邦が崩壊しそれまで同じ村で仲良く暮らしてきたセルビア人とクロアチア人が、あるいはギリシア正教の信者とムスリムが殺し合いをはじめたことを思い出してみれば分かると思います(ユーゴスラビア映画で、第二次世界大戦からこの内乱までの混乱を皮肉に描いたものとして『アンダー・グラウンド』(https://home.att.ne.jp/wind/madogiwa/01mov/title/01aa/undergro.htm)という作品があります)。それはそうでしょう、外国人に侵略され蹂躙されているのならその敵は明確ですが、昨日まで仲良く暮らしてきた同じ国民が信じている宗教の宗派が違うからといって殺し合いを続けるのですよ。わたしは日本人単一民族説をとりませんが、もし日本人同士が信じている宗教が違うからといって殺し合いをはじめたとしたらこれほど凄惨な事態はないと思います。おなじモンゴロイド人の顔をした国民が『鉄人28号』の歌詞ではあるまいし、互いに自分を「正義の味方」とし、それに同調しないものを「悪魔の使い」と罵り合い殺しあうことほど悲惨なことはありません4

(歌詞:三木鶏郎(https://www.tetsujin28.tv/top.html))。

ヘンリー8世

エリザベス1世

ジェームス一世

Oliver Cromwell 1599~1658

 

 かくして、ホッブズの理論においては、なによりもまず侵略戦争も内戦もない平和主義こそが国民主権および基本的人権の尊重に優先することになりました。ところで、聖書をお読みになった人ならばご存知のことと思いますが、リヴァイアサンもビヒモスも旧約聖書に出てくる怪獣(フランツ・ノイマン『ビヒモス—ナチズムの構造と実際—』(みすず書房1963)1頁によれば、ユダヤの終末論においてビヒモスとリヴァイアサンは二つの怪獣で、ビヒモスは陸を、リヴァイアサンは海を支配し、前者は雄、後者は牝であるとされている)のことです。ちなみに、リヴァイアサンは海の怪獣であり、ビヒモスは陸の怪獣です(特に、リヴァイアサンは『ヨブ記』において神様が千年王国実現の際に千年の饗祭の食べ物として与えるとされた怪獣です)。このことから、ホッブズが「大陸からの国家侵略戦争、すなわち海からの戦争」の恐怖を『リヴァイアサン』で描き出し、「同じ国民が信じている宗教の宗派が違うからといって殺し合いを続ける内乱」を『ビヒモス』で描き出したのはまさに的(まと)をえたタイトルの付け方だと思います。付言するならば、デビット・フィンチャー監督の『セブン』(https://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=28593)、アニメの『鋼の錬金術師』(https://gangan.square-enix.co.jp/hagaren/) あるいはマンガの『ピルグリム・イェーガー』(https://www.kh.rim.or.jp/~tow/pilgrim-j/indexs.html)などで有名になった七つの大罪のうち、リヴァイアサンは「嫉妬」の罪を司り、ビヒモスは「大食」の罪を司るとされています。まさに、侵略戦争を『リヴァイアサン』で描き出し、内乱を『ビヒモス』で描き出したトマス・ホッブズは17世紀の思想的巨人と評価することができるのではないでしょうか?

教皇Leo Ⅹ1513~21在位、贖宥状の発行を認可した教皇

アウグスブルク贖宥状(早稲田大学図書館蔵)

贖宥状(indulgentia)はキリスト教の七つの大罪を赦免するものとされ、煉獄で苦しむ人々を天国へ導くものとして販売された5。

 

1 アメリカにおいて「ステイト・アクション」の理論が主張されたように、ドイツにおいても「個人による人権侵害」を「国家の基本権保護義務違反」と理解する学説が存在する。もっとも、この「国家の基本権保護義務」を人権の「客観的側面」として捉えるか、あるいは「防禦権」として捉えるのか、という問題はあるが、ここでは、フランスの社会保障制度へのドイツの議論の適用を考える前提として後者の学説を解説することにしたい。この前提として、「国家の権力(暴力)独占」という考え方が基底になっていることを理解しなければならない。すなわち、ある国民が他の国民の人権を侵害したとしよう。「無効力説」を採用するならばそれは人権侵害ではないが、「直接効力説」を採用するならばそれはれっきとした人権侵害ということになる。ところでホッブズ的に考えるならば、われわれは自らの「生命・自由・プロパティー」を守るために国家にすべての権力(暴力)を委譲しそれによって、それらを保障してもらうという国家設立契約を締結していることになろう。したがって、この契約を守らなかったり、あるいはただ乗りする者(フリーライダー)に対して国家は法的制裁を加えることができる。反対にこの契約を結んでいる以上、「被害者たる国民」は「加害者たる国民」に対して敵討ちをはじめとする「自力救済」の実行を禁止されることになる。ということは、「被害者たる国民」がその「受忍限度」を越えた人権侵害を受けたとき、「国家」が「加害者たる国民」になんらかの「制裁(サンクション)」を与えないということは「国家の基本権保護義務」違反となろう。簡単に定式化するならば、「国家による防禦権侵害」=「国家による被害者たる国民に対する自力救済の禁止」+「国家による加害者たる国民に対する制裁の欠如」である。このようにして、「被害者たる国民」と「加害者たる国民」の間には人権関係は発生しないが、反対に「国家」が「加害者たる国民」になんらかの制裁を加えないことによって「被害者たる国民」の「自力救済する権利」が侵害されたことになり、人権関係が発生する。このような議論は非常に回りくどい説明方法であると思われるかもしれないが、私人間の紛争の多くは立法の不作為をはじめとする国家の怠慢に起因するものが多いことに鑑みれば、本来的に「防禦権」である人権を「社会権」、あるいは「社会的給付請求権」に改変せずとも国家の法的責任を問えるというメリットがある(拙稿・「20世紀初頭のフランス憲法学における「社会権」思想研究序説―レオン・デュギーとモーリス・オーリウの学説を素材にして―(1)」(『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学、芸術)第55号(2006年)80-81頁)。なお、ここで議論されている「国家の基本権保護義務」については小山剛「基本権保護義務論」『憲法の争点』86-87頁を参照のこと。

2 田中純氏は『リヴァイアサン』の扉絵、人間の集合からなる巨人で表されたリヴァイアサンが伝統的な解釈、海の巨大怪物とは異なっていることをカール・シュミットの解釈からはじめて、扉絵では描かれていない海から現れたと思われる巨人の下半身が人魚であるかもしれないと提起する。そして、ポニョを媒介にしてこの怪物が「母胎回帰」のイメージと繋がること指摘する(田中純「『リヴァイアサン』から『崖の上のポニョ』へ―ある象徴の系譜―」『UP』第37巻第9号(2009年)、63-67頁)。

3 『ハムレット』は、エリザベス女王の治世末年から、新王ジェイムズ1世の治世初頭にかけて、16世紀から17世紀への、世紀の変わり目に上演された。ジェイムズは、ハムレットのモデルの一人と目されている。ハムレットの母、ガートルードは、夫たる王を殺害し、その後を襲った王の弟と日を経たずして再婚した。悲劇の終幕で、ハムレットは母の再婚した相手である叔父を殺害して、母后も、そして自身もほぼ同時に命を落とす。ところで、ジェイムスの母親、すなわちスコットランド女王メアリ・シュチュワートは、ジェイムスの父である夫、ヘンリー・ダーリン卿を殺害したボスウェル伯と、事件の数か月後に再婚している。カトリックであったメアリは、その後、亡命先のイングランドで謀反のかどでエリザベスによって処刑され、プロテスタントとして育てられたジェイムスは、エリザベスの後を継いで、イギリス国教会の首長たるイングランド国王、ジェイムス1世となった……。

 唯一の「真の宗教」が分裂し、さまざまな宗派が自らの正当性を標榜する世界が現れて、はじめて「個人の良心」が意識される。父王の亡霊に復讐を促されながらも思い悩み、地獄から現れた悪霊ではないかとの疑念にさいなまれ、なかなか復讐を実行にうつそうとしないハムレットは、宗教が分裂し、価値観が多元化した世界で、新たに現れつつあった個人の良心を象徴している。そこでは、個人は真の宗教だけではなく、いかに生きるのかをも、自ら選ばなくてはならない。

 どっちがりっぱな生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、それとも寄せ来る怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、闘ってそれに終止符をうつことか。

 後者が「生きること(to be)」であり、前者が「生きないこと(not to be)」である。この選択、それは、唯一の真理がおびただしい数の相対的真理に分裂した世界に住まう、あらゆる個人にとっての問題である(長谷部恭男『憲法とは何か』(岩波新書、2006年)6-7頁)。

4 それでもやはり立憲主義は人の本生に反する。というより、そもそも、近代世界が人間の本生に反している。『遠山の金さん』や『水戸黄門』の描く「分かりやすい」世界に生きたいというのが、普通の人の切なる願いである。ドン・キホーテが信じたように、中世騎士物語さながらに、誰が「正義の味方」で誰が「悪の手先」か一目瞭然であってほしいと誰もが願っている。問題は、人々の価値観・世界観が、近代世界では、お互いに比較不可能なほどに異なっているということである(長谷部・前掲書15頁)。より詳しくは、長谷部『比較不可能な価値の迷路』(東京大学出版会、2000年)参照のこと。

5 ゴンドラの唄吉井勇作詞中山晋平作曲

いのち短し恋せや少女(おとめ)

朱(あか)き唇褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の冷えぬ間に

明日の月日はないものを

 元詞はイタリアの古典詩人ポリッツィアーノの作ったもので、当時のフィレンツェの実質的支配者であったローレンツォ・メディティスが愛しことあるごとに歌っていたものとされる。ただし、大正ロマン期に流行った「ゴンドラの唄」の著作権問題は発生しなかった(茨城大学元教授森田義之『メディチ家』(講談社現代新書、1999年))。狂僧サヴォナローラによって一時期、フィレンツェを追われていたメディチ家は、フィレンツェへの凱旋においてこの詩を口づさんだとされる。この後、勢力を取り戻したメディチ家からレオ10世が選出されることになった。

 ここからは、冲方丁・伊藤真美『ピルグリム・イェーガー』(少年画報社、2002年~第一部完結全6巻)の世界と重なるが、サンピエトロ寺院改築資金で背負ったフッカー家への借金返済のため贖宥状(indulgentia、神のみが人間の原罪を赦すのであって、教会が人間の罪を赦すのではないので「免罪符」という翻訳は誤り)の販売を行った。贖罪のためには、一人で七枚の贖宥状を買わなければならなかった(デヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」(1995年)や荒川弘『鋼の錬金術師』(スクウェア・エニックス、2001年~2010年全27巻))。ぼろ儲けをして建てた大聖堂を父親の巡礼に付き添って来たマルティン・ルターは「現在のバビロン」と言って非難したのは有名であるが、やがて、語学の天才デジリウス・エラスムスと交友関係(後に論争関係に変化)を持った彼が1510年にヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に95条の議題を提示してローマを批判したことは世界史で学んでいるはずです(木部尚志『ルターの政治思想―その生成と構造―』(早稲田大学出版部、2000年))。ちなみに、エラスムスの代表作は大出晁訳『愚痴礼賛附マルティヌス・ドルビウス宛書簡』(慶應義塾大学出版会、2004年)であることも習ったはず。ところで、エラスムスがルターに多大な影響を与えた証拠として、エラスムスはギリシア版の『ヨハネの黙示録』を入手することができなかったため、その翻訳を断念した。そのために、エラスムスのテキストゥス・レセプトゥス(TextusReceptus)を聖書のドイツ語翻訳の手本にしていたルターは当初、新約27篇の中から『ヨハネの黙示録』を排除していた。また、ルターがギリシア語を不得意としていたことは、彼がキリスト教に改宗しないユダヤ人の去勢を説きはじめた根拠として『使徒行伝』の中でパウロが、もし異教徒が割礼しなければキリスト者となれないとすれば、それならばいっそ去勢してしまった方がましであると聖ヤコブ等に訴えかけた記述を曲解したことからも理解できる。付言するならば、エラスムスの生涯の友はトマス・モアである。彼の代表作は言うまでもなく『社会の最善政体とユートピア新島についての楽しく有益な小著』、すなわちトマス・モア/平井正穂(訳)『ユートピア』(岩波文庫、1957年)である。

 宗教改革のその後の展開の図式は、以下のように要約することができるであろう。

カトリックとプロテスタントの分裂、それによる庶民の精神的拠り所の崩壊による発狂状態の現出(阿部勤也『阿部勤也著作集』全10巻(筑摩書房→イングランドへの波及と離婚問題(兄の愛人であったアン・ブーリンとの結婚問題による)ヘンリー8世のアングリカン・チャーチ設立(フレッド・ジンネマン監督「わが命つきるとも」(1966年)。ヘンリーとトマスの友情と訣別。ちなみに、彼が就いていた役職をレッド・ドラゴンと呼ぶのだが、意味を調べてみてください)→メアリ1世とエリザベス1世の対立、その後のエリザベスとメアリ・スチュワートとの対立、生みの母の信仰と育ての母の信仰の間で揺れるジェイムス・スチュワートが『ハムレット』のモデルとされることのわけ(カール・シュミット/初見基(訳)『ハムレットあるいはヘカベ』(みすずライブラリー、1998年))。

※もちろん、現在においては文献学上、エラスムスが底本としたテキストゥス・レセプトゥスはその書かれた時期が、そんなに古くないものであり、それにつれて彼のギリシア語新約聖書の評価も下がってきている。しかしながら、仏教においても「法華経」の成立時期、あるいは翻訳時期の差によって「旧訳」と「新訳」の対立があるからと言って、その経典を基にしてつくられた教義や宗派のすべてが否定できないと同じように、エラスムスの翻訳時期の時代的制約、あるいは、彼がいたからこそルターのドイツ語版聖書をはじめ、各国語版の聖書の翻訳が促進されたことは評価されなければならないだろう。