こまのりとみでこ
12月22日の備忘録を、今日12月25日に書き込んでいるところ。このことからも理解できるように、風邪がまだ治っていない。そして、原稿も書けてはいない。
その前の晩、実家に電話をかけて母親と話したのであるが、わたしがなにか面白い話はないかといったところ、昔ながらの電話帳・住所録を使っている実家で、わたしが3歳になるかならないかのときに、この電話帳・住所録の後ろの頁に茶色の色鉛筆で自分の家族の名前を一生懸命に書き込んだ落書きを発見したとのこと。丁度、両親が年賀状書きの最後の追い込みで、この50年は使っている電話帳・住所録に書かれた旧友の住所を確認していたら、最後のあたりの頁に父親、母親およびわたしの名前の落書きを見つけたらしい。3歳のときには、ひらがなは読み書きでき、カタカナは読むことはできたから、おそらくは2歳半ぐらいに落書きしたとものと思われる。
すでに、2歳の時に母の実家の庭で椎茸を栽培していたころ、それを小さいながら観察しており、祖父母、母の兄弟姉妹が外出したところ、その間に栽培場所に行って2、3個採ってきて来て、母屋の火鉢に炙って食べているを叔母に見つかって、まさのりくんが椎茸を勝手に採ってきて、生焼けで食べていると言われて大騒ぎになったらしい。幼児は幼児なりに、よく観察して1日を送っているのであるのかと感心する。この逸話は母方の田舎に里帰りすると冷やかされるので、どうやら本当のことのようだ。しかし、東映のスパイダーマンではないのに「キノコ狩りの男」(第31話)というのも、なんだか変である。また、父親が大学生時代に使っていた英語の辞書に、思いっきり万年筆で最後の10頁前後にわけのわからない落書きをしていたのも、このころである。したがって、この辞書は父親曰くZの部分から先は使えない。
ところで、父親の名前はきちんと書けているのだが、母親の名前と自分の名前が変であるという。母の名前はみえこであるが、それがみでこになっており、わたしの名前はまさのりなのにこまのりとなっているそうである。母の言うには、小さすぎるからみえこをみでこと勘違いしているというが、えの書き方は`の後に乙と同じであるので、書き方自体はさほど問題ではない。おそらく、父親や母親が手紙を書いているのを見て、書き順とかたちだけを覚えて書いたにちがいない。しかし、さっちゃんのように小ちゃいから、んのようにくにゃくにゃした字を書くことができなかったのであろう。とすると、゛ではなく`であるそうだから完全に書き順は間違っていない。問題なのは、じぶんの名前をこまのりとしていることの方である。おそらく、まを書く段階でこの部分を書いたのであるが、間があきすぎたので下にまを書いて、4文字中2文字を使ったからあと2文字としてのりを書いて完成したと勘違いしたのであろう。わたしは一人っ子でママっこだったからおそらく、後でまか、さの書き方を母に聴いて、その次の頁にはまさのりと正確に大書しているそうである。このころは、東京でお受験がブームになったころであり、両親もわたしを名門幼稚園に入れようとしていたので、比較的同世代の子供よりもできたらしい。幼稚園受験のIQは145であったそうだし、小学校の時は138であったそうだから、周りからはよくできる子供としてみられていたようだ。
下手に、早期教育を受けたから高校以降はたいして伸びなかったが、いままで学習塾・予備校というのは模試と、夏期・冬季講習以外は行ったためしがないので―数学や物理は親父や叔父から小学校で高校3年生までの内容を教えてもらっており、語学は英語ではなくドイツ語を教えてもらった―、私大に進学したこと以外は都会部で育った研究者仲間では、ものすごくローコストな学生生活であったと思われる。以上、わたしのやんちゃな幼児期の話でした。