はやいな、もう週末
2月9日の備忘録。
あまり、体調がよくない。
起きたのは午前8時であるが、なにか食事をたべに行くとき以外はシャキッとしない。
コンビニにインターネット料金の支払いに行くが、コンビニには年末・年始に年賀状を買いに行って以来、久しぶりではないか。コンビニのおばちゃんに、挨拶したら「先生、お久しぶり」と言われたから、おそらく先の記憶には間違いはないと思う。ちなみに、わたしのあだ名は小さいころから「先生」で、別に近所の人に職業を公言しているわけではない。あだ名がないというのは、小さなころから可愛げがなかったということに繋がり、わたしとしてはあまり嬉しいことではない。両親の言うには、「先生」と「社長」は当たり障りのない敬称なので、よく使われるそうだ。反対に、わたしは小さなときから同級生を「◎◎くん」とか「△△さん」と呼んでいたので、小学校の時代から「ひとを上から目線で」扱っていると言われたことも多かった。別に大学院に行くと公言していなかったのに、高校時代の親友のN氏はわたしのことを「おにいちゃん」、あるいは「先生」と呼んでいたし、大学のゼミの親友のM氏も「先生」と呼んでいた。4年ほど前に、ゼミの同期で年末に旅行に行くというプランを建てたのだが―これはわたしとH氏が幹事役で宿の設定から、予約までを行ったのであるが、わたたしは本務大学の仕事の関係で旅行には参加できなかったー、そのやり取りにおいてM氏が「先生」とメールで書いてくるので、それでは大阪で弁護士をやっているM氏は「大大先生」とよばなければ、とレスした記憶がある。確かに、彼が公務員試験を受験した時に、ミクロ経済学で微積分が分からないと言ったので、理系転向組のわたしが微積分を教えたことはあるが、それをもって「先生」と言われることもあるまい。
わたしが趣味で選定した箱根強羅の環翠楼。ここは、伊藤博文が金子堅太郎、井上毅および伊東巳代治とともに大日本帝国憲法の草案を作成するためによく使っていたことで知られている旅館である。予約や料金の払い込みはわたしが行ったが、合宿には本務大学の所用で行けず、旅行から戻ってきたゼミの同期生と小田急線の新宿駅で合流し、西新宿の居酒屋で旧交を温めるという残念な結果に終わってしまった。次回も幹事よろしくね、といわれていたのだが、翌年に大病で入院することになり、非常に残念な思いがしている。
上記は、M氏がパートナー弁護士を務めている大阪国際綜合法律事務所。数年前まで、M氏は甲南大学法科大学院の実務教員を務めていた。
わたしが学生の頃は、マクロ経済学の教科書は中谷巌先生で、ミクロ経済学の教科書は上記の倉澤先生の本であった。しかし、インターネット検索をする限り現在、この『価格理論』を使用している学生はほとんどいないようである。
当然のことながら、赤チャート式数学Ⅱは上述の本ではなく、数学ⅡAおよび数学ⅡBを受験勉強用に使用した。現在の数学の区分は分かりにくいので、いっそ「解析」と「幾何」に区別した方がよいと思うのはわたしだけか。
午後6時過ぎから、Youtubeで中野剛志氏の出演してた番組の画像をいくつか観て、大体の氏の考え方を理解する。実は、氏がマスコミ等で多くの発言をしていた時期、わたしは入退院を繰り返していたので、どんなことを言っているのか、TPP反対以外は知らなかったというのが実情である。ま~、氏は本省に戻ったからどのような発言をしていたのか、入れ替わりに娑婆に戻ってきたわたしには分からなかったわけである。ちなみに、このような話題は鮮度の問題もあり、氏の本をいまさら購入して読む気もない(入院前に最後に読んだのが『もしドラ』で、退院後に最初に読んだのが『天地明察』である)。ただし、氏が水戸学や古学に関心があることははじめて知った。
この本を読んだ2ヶ月後に40日間も入院することになるとは、八重洲ブックセンターでこの本を買った時には想像していなかった。
病気で貧血になり、眼精疲労がひどかった退院時にリハビリ用に読んだのがこの本になる。
今日の日記は、あまり備忘録らしくはないが夜も更けてきたのでここまでということにしよう。