はやくも土曜日

2013年04月01日 11:58

 3月30日の備忘録。

 論文原稿の校正が終わったあとに、注文していた小島慎司氏の『制度と自由』が宅急便にて自宅に届けられる。モーリス・オーリウについては、この本の基底となった『国家学会雑誌』に連載された氏の論文を参考させてもらったので、もう少しはやく一冊の本にまとめてもらえれば、今回の論文でも参考文献に挙げれたのに、それができなくて残念である。

 

 

 

 ところで、昨日の参議院予算委員会での安倍総理に対する小西議員の「芦部信喜を知っているか」という質問に対して、安倍首相が「知らない」という発言をしたことが問題になっているが、法律学者として一言、コメントさせてもらうと以下のようになろう。

 小西議員の質問は委員会の審議対象の観点からすると、あきらかに論点を外している。しかも、わたしとしては憲法13条の問題よりも、改憲の問題を争点にしたいのであるならば、芦部先生の他に小林直樹先生や橋本公亘先生の名前を知っていてるかを聴くべきあったと思う。仮に、この3人の公法学者の名前が出ないとするならば、安倍総理の憲法改正問題をライフ・ワークにしたいという従来の主張は、たんなる趣向の問題に過ぎず、それこそ床屋政談であることを露呈したことになる。また、ネットにおいて芦部先生を左翼とする馬鹿が書き込みをしているが、それでは橋本先生はどうなるのであろうか。そもそも、改憲するに際してこれまでの判例や通説を度外視して、国会議員が己の趣向で憲法を改正できるというのであろうか。それでは、仮に自民党がまた下野することになって、その改正された日本国憲法をその後の政権政党が「自民党政権が数に力を言わせて制定した」と主張するならば、「GHQ押し付け憲法論」と同じ論法でその新憲法に遺恨を残すことになる。とにかく、安倍総理の勉強不足も酷いが、小西議員の論点外しも酷いものである。おそらく、両者は芦部先生の博士論文がなんであったのかを知らないのであろう。

 

 ついでながら、人権は他者の人権でしか制約されないという主張は単なるレトリックに過ぎない。当然のことながら、「公共の利益」や「安寧秩序」によっても例外的に制約されることは当たり前である。このあたりは、わたしが20年ほど前に書いた諸論考で明らかにしたことである。また、昨年刊行された長尾先生の著作でも明らかにされている。憲法調査会もきちんとした人選をしていないことが分かる。

 

 

 ちなみに、安倍総理はわたしと同じ病気なので、頑張ってもらいたかったのであるが、この不勉強さには正直言ってがっかりした。

(追記)

 ネットの書き込みに、安倍総理が学生の時には芦部先生の体系的書物は出版されていないという虚言が見られるが、それは岩波の『憲法』だけしか知らないお尻が青い世代の人が言っているからに過ぎない。東大では講義録が販売されており、それは他大学の学生でも入手することができたのであるから、安倍総理はただたんに憲法をあまり勉強してこなかったということに過ぎない。もっとも、芦部先生は宮沢先生のコメンタールを講義ではテキストに指定していたのであるが、これを知っている人物は現在、50歳以上の者だけであろう。

 

 

 

 補足するにならば、後輩の研究者がものした以下の論文も政治家に読んでもらいたいところである。

 太田航平「ワイマール憲法における憲法改正限界論―ワイマール憲法76条解釈をめぐって―」中央大学大学院研究年報42号(2013)3/23頁

 なお、この記事に関しては本プログの2012年12月4日の書き込みを参考にしてもらえればさいわいである。

 https://cms.verfassung-jp.webnode.jp/news/%e6%98%8e%e6%97%a5%e3%81%af%e6%95%99%e6%8e%88%e4%bc%9a%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%80%81%e5%bf%98%e5%b9%b4%e4%bc%9a/