アンダーグラウンド=アングラ
1月12日の備忘録。
昨日はDVDを都合4本観賞し、そしてマンガを3冊読んだうえ、それを確認するために早川書房の世界SF全集などを読み返していたため眼精疲労のために本が読めなかった。
そこで、林知更氏の日記で「アンダーグラウンド」の話が出てきたので一言コメントを書いてておく。
「1月11日(金)
ここのところ、いろいろなことでバタバタした日々を過ごしていたが、ようやく落ち着いて勉強できる状態に戻る。…と、この間に溜めていた仕事の催促が一斉に押し寄せる。
夜中にDVDでエミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』(1995年)。よく知られた作品ながら、今頃になって初めて見る。これは愉快。傑作なり。一言で言えば仮想現実としての戦後ということか。これで遅ればせながらようやく正月を取り戻した気分。明日からまた日常に戻らなければ。」
この映画はわたしはリアルタイムで都内の映画館で見ている。そのことについては、ニュースにUPしている『国法学講義ノート』第1講で示したところである。一応、抜粋すると以下のように学生に紹介している。
「さて、ピューリタン革命はイングランド人に内乱の恐怖を骨の髄まで刻み込むことになったわけです。そして実際、外国からの国家侵略戦争こそが最も忌むべきものであると考えてきたホッブズに国家侵略戦争よりも同じ国民同士が殺し合いをする内乱の方がなによりも排除されなければならないという思想の変更をもたらすことになりました。それはみなさんが子供の頃、ユーゴスラビア連邦が崩壊しそれまで同じ村で仲良く暮らしてきたセルビア人とクロアチア人が、あるいはギリシア正教の信者とムスリムが殺し合いをはじめたことを思い出してみれば分かると思います(ユーゴスラビア映画で、第二次世界大戦からこの内乱までの混乱を皮肉に描いたものとして『アンダー・グラウンド』(https://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=28684)という作品があります)。それはそうでしょう、外国人に侵略され蹂躙されているのならその敵は明確ですが、昨日まで仲良く暮らしてきた同じ国民が信じている宗教の宗派が違うからといって殺し合いを続けるのですよ。わたしは日本人単一民族説をとりませんが、もし日本人同士が信じている宗教が違うからといって殺し合いをはじめたとしたらこれほど凄惨な事態はないと思います。おなじモンゴロイド人の顔をした国民が『鉄人28号』の歌詞ではあるまいし、互いに自分を「正義の味方」とし、それに同調しないものを「悪魔の使い」と罵り合い殺しあうことほど悲惨なことはありません(歌詞:三木鶏郎(https://www.tetsujin28.tv/top.html))。」
そこで言いたいのは、林氏が若いということである。まだまだ、観るべき映画も沢山あり、また東京に住んでいるという地の利がある。一見すると、このような息抜きは研究からの逃避と取られるかもしれないが、それが研究の隠し味になるのである。ということで、林氏のご活躍を願う次第である。あと、パソ子さんのご冥福をお祈りします。
(追記)
たしか、「アンダー・グラウンド」の併映はバフティヤル・フドイナザーロフ監督「コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って」でわたしは池袋のシネマ・ロサかシネマ・セレサで観たと記憶している。