ウェルギリウス

2014年08月30日 22:30

8月30日の備忘録。

 10時52分、駅前の松屋でプレミアム牛めし並 380円を食べる。

 

 

 県立図書館にて、ヴェルギリウスの「アエネ-イス」についてのレポートをまとめる。

  

 課題1)を選択・解答する。

一.ヴェリギリウスは、黄金時代・アウグストゥス時代の人物であり、彼が書いた『アエネーイス』Aeneis十二巻はラテン文学中最大傑作の一つに数えられるものである。トロイアの英雄アエネーアースの子孫がローマ建設者だとし、その子孫がカエサル一門だという伝説を、ホメーロスの『イリアス』流に物語ったものである(樋口勝彦原著・藤井昇改訂増補『ラテン文学』(慶應大学通信教材・1984年)48-49頁)。高橋宏幸によれば、ローマ建国の祖と見なされたのはロームルスだけではなく、アエネーアスもそうであると見なされていた。伝承ではあるが、ロームルスによるローマ建都が前753年であるのに対し、アエネーアスが戦ったトロイア戦争は前十二世紀頃と考えられ、アエネーアス伝承は、ローマ建都の前史を構成することになる(高橋宏幸「解説」岡道男・高橋宏幸『アエネーイス 西洋古典叢書 第Ⅱ期第10回配本』(京都大学学術出版会、2001年)627頁)。高橋の分析によれば、ヴェルギリウスがアエネーアスを主人公に選んだのは以下の3点ということになる。

 まず第一に、アウグストゥスの養父ユーリウス・カエサルが叔母ユーリアの追悼演説で、ユーリウス家がウェヌスの血統である、と述べたこと。これは、ウェヌスがアエネーアスの母であり、アエネーアスの息子イウールスまたはユールスにユリウスの家名が由来するという主張にもとづき、アエネーエスはアウグストゥスを重ね合わせるのに好都合な英雄であった(高橋・前掲解説・628頁)。

 第二に、アエネーアスとロームルスという二人の英雄の資質の差に求められよう。これは、ロームルスが軍神マルスを父とすることから武勇ではあるが、甚しく粗野な印象を伴うのに対し、トロイヤ脱出のとき、肩に年老いた盲目の父アンキーセスを背負い、左手に幼い息子ウールスを連れ、右手には守護神を携えたと伝えられるように、武勇のみならず敬神、忠孝、家族愛といった美徳まで備えていたこと。ゆえに、ゼウスに愛され、「敬虔さ」をアエネーアスは第一の属性とした(高橋・前掲解説629-630頁)。

 第三に、これは第六歌と関係深いことであるが、アエネーアスが「落ち武者」であり、かつてこの祖国喪失のあと、イタリアでの新国家建設を行い、それは「トロイアの再興」と呼ばれたことが挙げられよう(高橋・前掲書630-631頁)。まさに、「落ち武者」となったアエネーアスは「地獄=冥界」を見てきたのであり、さらに新国家建設は「(そこからの)復活と再生」を意味するのではなかろうか。

 ここで私見を加えるならば、この時代のローマはキリスト教社会ではなかったので、はじまりから終わりにと一直線に進む直線史観ではなく、「再生の循環」あるいは「永遠の存続」という運命史観を持ってきたと言える。その中で、ヴェルギリウスは「永遠のローマ」の主人公としてアエネーアスを選んだと言えよう。

 

二.では、具体的に『アエネーエス』第六歌の冥界下りの部分を見ていくことにしよう。しかし、ここでも若干の補助線を引いておく必要はあろう。クーマエの巫女に予言を告げられるとは一体何か。これは、高橋によれば、「神話的時代に原因を遡って『未来』の出来事として眺める。こうして歴史の展開が運命の働きとして提示され、そこに歴史の神話化とも呼ぶべき叙述が認められる」のである(高橋・前掲解説637頁)。

 まず、先の第五歌との関係でアエネーアスは父親であるアンキーセスから自分の「血統のすべてと、いかなる城市を授かるかを学ぶ」ために冥界に降る(『アエネーイス』第五歌735行)。しかし、これはローマの礎石を置くために英雄が直面する困難を教えるものではなかった。なぜならば、以下のようにそれに当たる予言は「冥界行きの前の案内役」を勤めるクーマエの巫女から告げられてしまうからである。

 「おお、海の大いなる危難をようやく踏破した者よ。

  だか、陸にはさらなる大きな危難が待っている。ラウィーニムの王国へとダルダロスの子らは到るであろう。この心配は胸から払え。

  しかし、来なければよかったとも願うであろう。戦争だ。凄絶な戦争と多量の流血で泡立つテュブリス川が見える。

  そなたの前には、またもシモイス、クサントゥス、ドーリス人の陣営が必ずや現れる。いまやラティウムに、もう一人のアキレスが生まれた。

  これもやはり女神の子だ。また、テクリア人をユーノがつけまわさずにおく場所はどこにもない。このため、そなたは事態の窮迫から救いを乞う。

  イタリアのいかなる民、いかなる都にも嘆願せずにはすまぬ。

  テクリア人へのこれほど大きな災いの原因はまたも異国より迎える妻、またも異なる国人の婚礼だ。

  そなたはしかし、災いにひるむな。いっそう果敢に立ち向かえ。

  そなたの運の女神が進ませてくれるであろう。生き残る第一の道は、思いもよらぬことであろうが、ギリシアの都より開けるであろう」(『アエネース』247頁)。

 では、冥界下りの意味は何か。それは、冥界で再会した父アンキーセスにより宣げられる「おまえ(アエネーアス)が背負う運命」である。

  「さあ、よいか、このダルタヌスの末裔に、いかなる栄光が

  つき従うか、イタリアの血筋を引くどのような子孫が待ち受けているのか、

  誉れを上げ、われらが一族の名を継ぐべき霊たちのことを

  言って聞かせよう。おまえが背負う運命を教えよう。

  ……

   ああ、惜しまれるべき子よ、厳しい運命を少しでも打ち破ればよいのに。

   そなたこそがマルケスとなるのだ。この手いっぱいに百合の花をくれ。

   緋紫の花を撒こうから。子孫の霊に、

   せめて、この供物を捧げ、はかない務めを果たそう。」(『アエネーイス』286-294頁)

  ここで示されるのは、これから地上に出るローマの指導者たちである。すなわち、ローマの「遠い未来」であり、また、その指導者たちの先頭に立つことになる「アエ 

 ネーアスの社会的責務」なのである。ローマの輝かしい「未来」の栄光を打ち立てる礎となるアエネーアスの英雄としての大きな「歴史的責務」である。再び、高橋の

 解説を引用しよう。「アンキーセスがアエネーアスに『おまえが背負う運命を教えよう」…と言って見せるのは、これから地上に出るのを待って居並ぶローマの指導者た

 ちである。……この『英雄のカタログ』…と呼ばれる箇所には、アルバの王に始まり、ロームルスやヌマなどのローマの王たち、また、ブルートゥス、カミルス、スキーピ

 オ、ファビウス・マキシムス、さらに、ユーリウス・カエサルとアウグストゥスなど30近い人物名ないし家名が列挙される。これらの数多くの指導者のどの一人が欠けて

 も偉大なローマはありえなかったろう。そうした人々の先頭にアエネーエスは位置している。その意味で、ローマ建国の大事業はアエネーエス一人の手で達成されう

 るものではないが、同時に、アエネーエスがいなければなしえない。それが彼に課せられた役割であり、彼の運命である。アエネーエスの社会的責務は、彼が現在を

 ともに生きる人々に対してのみならず、ローマとの関係において、遠い未来に及んでいる」(高橋・前掲解説638頁)。

  このように見るならば、この第六歌はヴェルギリウスによるアウグストゥスの正統化の色彩が濃いものであることが理解できる。それは、彼が政治の力に強制されて  

 『アエネーエス』を書いたわけではないが、「ローマ建国の大義のために恋を捨てたアエネーエスは偉大であり、英雄アエネーエスはローマ統一を成しとげたアウグス

 トゥスの映像」と重なるように思われたにちがいない」(樋口・前掲書・51-52頁)。

 

 三.前述では、第六歌の冥界下りのクーマエの巫女の予言とアンキーセスの予言の内で、後者のアンキーセスの予言の意味が大きいということを指摘したが、歴史

 の神話化における「輻輳した叙述」の視点においてはクーマエの巫女の予言も大きな意味を持つ。先に、クーマエの巫女の予言の引用をしたので、以下においては、

 それについての高橋宏幸の説明を引用することとする。

  「トロイア戦争全体の構造をパラレルとして取り込むことは『イリアス』でも行われている。アキレスのアガメムノンに対する怒りが、トロイア戦争の原因になったパリス

 によるヘレナ掠奪と関連していることは右(先)に記しておいた。『アエネーイス』後半、ラティウムでの戦争とパラレルをなすことは、すでに第六歌でシュビラが「そなた

 の前には、またもシモイス、クサントゥス、ドーリス人の陣営が必ずや現われる。いまやラティウムに、もう一人のアキレスが生まれた。……テウクリア人へのこれほど

 大きな災いの原因はまた異国より迎える妻、または異なる国人の婚礼だ」……と告げるところに明示されている。ここでアキレスにトゥルヌスが比べられるとき、その

 対応は勇猛さによりトロイア軍の最大の敵であるという点によっている。しかし、では、アエネーアスはパリスに当たるのか、と言えば、そうは考えられない。アエネー

 アスとラウィーニアの結婚は運命に定められたものだからである。では、ヘクトルかと言えば、それも違う。むしろ、敗軍の側で戦い、自分が剥いだ武具のために討ち

 取られるという点では、トゥルヌスのほうがヘクトルと通じるものがある。トゥルヌスを倒すとき、アキレスのような激しい怒りに燃えているのはアエネーアスである。この

 ように見ただけでもパラレルは単純ではない」(高橋・前掲解説639頁)。

  これについては、すなわちクーマエの巫女の予言については、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイアー』、あるいはリーウィウス・アンドロニークスによるそのラテン語

 翻訳の本歌どりであるがゆえに、本歌の物語性の拘束が大きくなる。反対に、その後の未来についてはホメーロスは知らず、ウェルギリウスは現在として知っている

 ということになる(樋口・前掲書・5頁)。私見ではあるが、「冥界行き前の案内役」を務める巫女たちと、「冥界の」アンキーセスの予言とでは「異化」作用の効果が異な

 ることとなる。

 

 四。最後に、『アエネーイス』全体を通して読んでみたが、前提理解となる『イリアス』や『オデュッセイアー』等の充分な知識がないために、主に高橋宏幸解説を読ん

 で、ポイントとなる点を私見(というよりも、疑問点として)というかたちで開陳することにした。ただ、冥界の予言を通じて、この当時のローマの政治のレジテマシーを探

 ろうとしていることは文学史のみならず、思想・哲学・歴史・宗教・政治の観点からも掘りさげる問題が多いことを理解した。

 

 <参考文献>

 ①樋口勝彦原著・藤井昇改訂増補『ラテン文学』(慶應義塾大学通信教材、1984年)

 ②岡道男・高橋宏幸訳『アエネーイス 西洋古典叢書 第Ⅱ期第10回配本』(京都大学学術出版会、2001年)

 ③小川正廣『アエネーイス:神話が語るヨーロッパの原点』(岩波書店、2009年)

 ④高橋睦郎『ギリシア神話1』(三省堂、1981年)

 評価 合格 A  西村(?)

    参考書を含めてよく読みこんでいます。2つの予言の比較についてアエネーアス本人の受容と読者の受容のギャップについても考えてみると面白いでしょう。

                                                                               以上、2014年12月8-11日に追記

 

 21時13分、駅前のすき家で以下のものを食べる。

  鉄火丼 並        550円

   健康セット       150円