キケロ、プロメテウスそしてベロニカ

2013年02月10日 19:21

  2月10日の備忘録。

 今日も午前6時まで寝られなかったので、午前6時過ぎに朝食をたべ、薬を飲んでから午前10時半まで仮眠をとる。

 さて、数日前にこのブログの備忘録にに書き込んだように、キケロは三頭政治時代にローマから追放され、暗殺されたことまでは分かったが、それはそもそも彼に共和制ローマのプロスクリプティオ (proscriptio)という法の保護の対象外に置く人物の名簿を公示するという特別措置が課せられたことが原因であることを知った。すなわち、簡単に言うと追放刑である。しかし、現代人には理解しがたいのであるが、中世までの人間が恐れたのは死刑よりも追放刑であり、ルターもこの法の保護外に置かれたということからも分かるように追放刑こそが極刑であった。ある意味では前述の仮説を考えるとき、Statusの剥奪であり、この部分は船田亨先生の『ローマ法』を読んでいたのに読み飛ばしていたということになる。そう考えると、またまた石川健治氏の「家父長」としてのStatusの位置づけを考える際、ややこしい問題が発生することになる。財産没収で罪は問わないとは、そいつはPersonではないということであり、名誉を重んじたローマ人にとっては死の宣告に等しいものであったに違いない。すなわち、「法務官法」は「名誉法」とも言われていたように、キケロは暗殺される前に殺されていたということになる。時代劇で悪人が命乞いをするときに、ヒーローに「貴様は斬るにも値しない」と言われるのと同じことである。この部分は更なる検討を必要としよう。

  

  ちょうど、わたしが東京を離れ現在の大学に赴任した時に刊行がはじまったキケロー選集。神保町の古本屋で新刊配布で全巻購入したが、このごろの古本屋街での出物はかつてほどなくなってきたような気がするのはわたしだけか。  

 

   お昼過ぎから、以下の三本のDVDを空き時間を使って観賞する。

 

  ①「プロメテウス」

   

    

 おそらく、このホームページの訪問者の中には「お前の観ているDVDは旧い映画ばかりではないか」と思っている人もいるかもしれないので、昨年公開されたリドリー・スコット監督「プロメテウス」(2012年)を観てみた。これは、「エイリアン」シリーズの前時代の話という設定で、ヒロインたちが人類を創造した宇宙人に会いに行くが、その宇宙人が実験惑星で造り上げた生物兵器のエイリアンに襲われ、挙句の果てにはその宇宙人にも襲われるわで登場人物は踏んだり蹴ったりの状態にされるというもの。スイスのネクロノミコンの画集で有名なギーガーの下記のイラストの謎を解明するという筋だが、なにか「遊星からの物体X ファースト・コンタクト 」の二番煎じの感じがして新鮮味がなかった。ちなみに、プロメテウスとは「エイリアン」のノストロモス号と同じで宇宙船の名前である。 

 懐かしい安彦良和監督の「アリオン」。いわゆる、ティターンズ(クロノス一族)とゼウス(オリンポス一族)の対立をモチーフにティターンズ一族のプロメテウスの子であるアリオンと、オリンポス一族の陰の支配者アポロンの戦いを描いた作品。しかし、この「アリオン」の中で描かれるアポロンは「Zガンダム」のパプティマス・シロッコに転用されているとしか思えない。ゼウスの次の地位を狙っているところはシロッコと同じであるが、これは安彦氏のご愛嬌か(言うまでもないが、シロッコの父はティターンズのジャミトフ・ハイマン)。ちなみに、アウグスティヌスは『告白』の中でアリオンたちの母であるデメテルがオリンポス神族と情交を持つことを批判して、このような享楽に溺れる神は神ではないとキリスト教を擁護している。さらに、アウグスティヌスの対異端論駁、とくにファウストゥス論駁に使われたのが創造神デミウルゴスが無からこの世界を創造したのではなく、なんらかの既存の質料によって世界を創造したということは、全知全能の神ではないということであった。

      

 わたしの所属する教室の教室長は早稲田時代に吉永小百合と同級生であり、新入生のガイダンスで自己紹介するときに彼女が優秀であり、その卒業論文が「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテナイの民主制について」であったことをよく話題にする。しかし、ここで問題としたいのはプロメテウスと弟エピメテウスの話である。兄プロメテウスが「先見の明がある者」であるのに対して、弟エピメテウスは「後知恵」の意味を持つことである。ここで重要なのは、プロメテウスが人間に火を与えた罪でカウカーソス山で内臓を禿鷹に喰われる処罰を受けたのに対して、エビメテウスはへパイトスの造ったパンドラと結婚し、かの有名な「パンドラの箱」の悲劇を人間にもたらしてしまうことである。ところで、この夫婦がどうなったかというと後の大洪水を生き延び、現人類の祖となり、それゆえに人間は「後悔する者」となったとされる。これが、同じ早稲田系の冲方丁原作の『ピルグリム・イェーガー』の中ではキリスト教の七つの大罪に、プロメテウスの火の罪が加わり、それがサヴォナローラの「フラーテ予言」との関係でローマ教皇庁の30枚の銀貨と七つの大罪をなす者の闘いを生んでいくというストーリー展開となる。これについては、後でもう一度触れる予定である。

 

 

   ②「娼婦ベロニカ」

     

  マーシャル・ハーコバビッツ監督 「娼婦ベロニカ」(1997年)は、自由都市ベネッツィアの統治機構と身分制を理解するのに有益な作品である。本当は、この映画は学部の授業で映画論評をするときに学生と一緒に観たいのだが、「娼婦」という言葉と「成人指定」がかかっていたので女子学生がいるとなかなかみることができない。コーティザン(高級娼婦)は身体を売るだけではなく、その時代の教養人であったことを知っていれば問題ないのであるが、ためにする言葉狩りが横行する現状においては難しいところである。少なくとも、ベネッツィア議会の構成を知り、この都市の外交政策を大まかでも知ることができる。実は、わたしはベネッツィアの地中海貿易の拠点がクレタ島からキプロス島に移り、オスマントルコ帝国との戦いにおいてフランスのアンリ3世との関係を維持し、その後のペストの大流行においてはローマ教皇庁の干渉を議会が自治権の主張により退けるという流れをこの映画から知った。ベロニカ・フランコが映画のような活躍をしたのかは検証の余地はあるが、イタリア自由都市の歴史を知る入門としてお薦めの作品である。

      

    ちなみに、教皇レオ10世の時代のローマ教皇庁をサヴォナローラの予言を実現しようとする七つの大罪をなす者から守ろうとする30枚の銀貨のメンバーにも娼婦が加わっている。あだ名は「女帝」のマルガリーテ・ラ・シレーヌである。その他に、3本の釘のカタリナ・ヴァレンティノのような教皇の余興で枢機卿扱いの知識人も登場する。    

 

 ③「ダイ・ハード4.0」    

 「ダイ・ハード」との出会いは今から約20年前、新宿PePe前を歩いていたら映画の無料鑑賞券をもらっことにはじまる。知っている俳優もいない、前評判もあまり聴いたことのない映画なので通勤ラッシュを避けるための時間つぶしに観てみたらこれがなかなか面白かった。やがて、ブルース・ウイルスはスターになったが、最初は事件にいやいや巻き込まれて正当防衛的に敵を倒していたのだが、だんだん敵を殺すことが自己目的になっていったように思えるのはわたしだけであろうか。クリスマスに事件に巻き込まれるのは、グルーバー兄弟とたたかっているからかなと思う(さて、グルーバーは何を作曲しているでしょうか)。VC野沢那智版でDVDを観賞していた。

 

 午後10時に入浴中に、畑尻編集委員長から校正原稿の催促の電話があったので、午前3時過ぎまで『ドイツの憲法裁判』の校正原稿に目を通してから午前4時前に就寝する。連休明けが最終締切日だと勝手に勘違いしていたため、編集委員長はじめ多くの人に迷惑をかけてしまった。しかし、明日は卒論発表会なので徹夜することもできないので、提出期限を1日延ばしてもらうことで堪忍してもらった。