中国文学史

2014年03月07日 14:14

3月7日の備忘録。

9時24分、駅前の松屋で鶏の辛味噌炒め定食 580円を食べる。

 

 ↑ なかなか、美味しゅうございました。

 9時半から12時半頃まで、県立図書館で中国文学史をレポートにまとめてみる。

 おもに検討したのは以下の2点

  ①中国文学における漢代の意味

  ②中国文学における政治

 13時9分、駅前の庄やで松花弁当 580円を食べる。

 お膳の端に写っているのは、図書館で複写してきた石川健治「統治のヒストーリク」奥平・樋口編『危機の憲法学』(弘文堂、2013年)15頁のコピーである。帰宅後に、通読したが、その感想については後日、補完する(ergänzen)ことにしたい。ただ、この論文は石川「コスモス―京城学派公法学の光芒」酒井他編『岩波講座「帝国」日本の学知1」(岩波書店、2006年)とのつながりを意識して読む必要があることだけは指摘できる。

 個人的に興味を持った箇所は以下のものである。

 「理論的に彼らを支えてたのは、主として、普遍主義=全体理論で知られるウィーン大学のオトマール・シュパンと、1931年にローマ教皇ピウス11世が出した回勅「クワドラジェシモ・アンノ(Quadragesimo Anno)」である。前者は、全体・普遍としての社会こそが始原的・本来的な実在であり、個体・個人は無であると主張し、後者は、国家の役割に関する補完性(Subsidarität)原理の提唱でも知られるが、ともに、行きすぎた個人主義による自由放任経済とマルクス主義による統制経済の双方を批判し、職能身分(Berufstände)がおりなす有機体的社会への再編を構想する。翌1932年に、ザイペルとの代替わりで頭角を現した、エンゲルベルト・ドルフスを首班とする新政権が成立すると、権威原理(Autoritätsprinzip)」と、(職能)身分原理(Ständeprinzip)とを掲げた。前者は、権力の正統性の源泉を国民に求めながらも、反議会主義的統治を意味し、後者は、職能身分ごとに自治的な(しかし、実際は強制加入の)団体を設け、それらを集めた職能代表によって、国家と社会を媒介させようとするものである。」(石川「統治のヒストリーク」44-45頁)

 

 今日のドイツ語単語

  geben  与える          gab                        gegeben

    gedeihen  栄える      gedieh                   gediehen

    gehen  行く          ging                      gegangen

   gelingen  うまくいく     gelang                    gelungen

    gelten  有効である     galt                        gegolten