二日目

2013年01月03日 14:37

 2013年1月2日の備忘録。

 午前10時前に起床し、朝食をとる。

 午前中に、年賀葉書の第二陣が到着。これで都合、100枚前後のお年賀をいただく。それでもその中には、芹沢斉先生 井上彰先生など数名昨年内に年賀状を投函できなかった先生方からの年賀状があり、誠に申し訳なく感じているところである。

 メールによる新年の挨拶もあり、こちらの方は少しコメントを付けてレスを送信した。実は、こちらの方がなかなか書かれている内容が面白いので、それについてのコメントを書くのに時間を使ってしまった。

 これといった、特別なこともなく1日中食事を除くと部屋に籠っていたので、完全に寝正月モードであった(ご近所さんとは新年の挨拶を交わしているので引篭もりではない)。

 明後日からは、本務大学は仕事始めなので今日と明日はのんびりしよう。昨年末は忙しすぎた。仕事のできる人が羨ましいかぎりである。

(追記)

 通常は、ブログにおける日記においても一年の抱負のようなものを書くようである。例えば、林氏の日記は以下のようなものであった。

 「1月1日(火)
 新年おめでとうございます。とある原稿の準備の関係もあり、民主党政権絡みの本を何冊か続けて読んで、何となく残念な気分で過ごした年末年始でありました。
 読書を山登りに喩えると、名峰ではあるが高く険しすぎて、二の足を踏んだり跳ね返されたものがこれまで結構あって、『いずれもっと力がついてからまた挑戦しよう』とずっと心の片隅で思っていたりする。が、いつでもまたできると思っていると、次第に体力が落ちたり時間がなくなっていったりして、大きな登山というのはいつの間にかできなくなっていってしまうのだよな、ということを去年は少し感じた。これから数年は、自分の学者人生に悔いを残さないように、浮世の事情の許す範囲で、少し大きな山に挑戦したい、と思っている。自分なりの考えを世に問うて勝負するのは、その作業をある程度まで遂げてからで構うまい。が、果たしてできるかどうか。今年の目標ではあるが、マニフェスト同様、あまり当てにはならない。」

 おそらく、11年前のわたしならばこのような抱負をHPなどに書いてしまったのかもしれない。しかし、いまは目の前の仕事をこなすだけで精一杯の状態である。

ところで、来年の学会がらみで貨幣鋳造権との関係でジャン・ボーダンの著作を読もうとしていたら林氏の日記に以下のような記述があった。

 「12月24日(月)
 自分から自分へのクリスマスプレゼントに、Jean Bodinの『Les six livres de la république』1582年版の復刻を注文して、クリスマスイブの晩はこれを枕の下に敷いて宗教内戦とサン・バルテルミの虐殺の夢でも見よう、と思っていたら、この日までに届かず。代わりに、アマゾンから届いた、Jean-Jacques Rousseauの『Le devin du village』のCDを聴く。ルソーの作曲家としての代表作とか。思えば、作曲家として名は挙げるし、『新エロイーズ』のような恋愛小説は書くし、普通に考えたらかなり「イヤな奴」のはずなのだが、少しもそんな気がしないのは、やはり『告白』が面白すぎるからである。」

 それに、サン・バルテルミの虐殺といえば、この映画しかないでしょう。この映画については、齋藤笑美子先生が本学人文学部に赴任したときに、いまは大学前から赤塚駅前に移転したpas a pasで歓迎会を兼ねたお食事会において話題になったことが思い出される。

   これはまずい、まずすぎると思いながら、自分の教え子に学会報告を勧め、自分はカレ・ド・マルベール以降のフランス国法学の研究をメインにしようと考えたりもする。とりあえずは、仕事始めは農学部だけが金曜からで、他の学部は来週の月曜からのようなのでしばらくはのんびりできるか。これがわたしを指導教員とするゼミ生や院生がいれば、論文の事前チェックや読み合わせのために金曜に半日出講して、その後、新年飲み会およびカラオケ大会となるところであったが、ここ数年、病気の関係もありゼミは開店休業の状態なので助かった。