仕事納め

2012年12月29日 11:52

 12月28日の備忘録。先日書き込んだように、12月14日に出版社から送付されてきた『ドイツの憲法裁判 第2版』の担当箇所の初稿の校正を深夜午前3時まで行ってから就寝した。もちろん、鉛筆でチェックして早朝に起床して赤ペンと物差しで修正を入れておき、当初より本務大学の職員に年末の挨拶をつもりだったので、その前に大学前郵便局に寄り編集長の畑尻さんのご自宅に原稿を送付することができるようにしておいた。午前7時過ぎに起床し、朝食代わりにポテトチップスとコーラを片手に初稿原稿を校正し、午前9時前にタクシーで大学前郵便局に行って、初稿校正原稿を畑尻さんの自宅に窓口手続きにて送付した。実は、前日に送付しようと思えば送付できたのであるが、レターパックライトで郵便物を送るのははじめてなので、朝一番の受付窓口で送付方法を聴いて出さなければと躊躇したのである。とりあえずは、窓口受付けは午前中に済ませたので、畑尻さんのご自宅には翌12月29日には着くのではないかと思う。しかし実際、この原稿の校正も期日を1日遅延してしまった。ほんとうに、畑尻編集長ごめんなさい。

 本務大学に向かい、学務および総務の事務室に向かい職員、出会った教員に「今年、お世話になりました。来年も宜しくお願いします。よいお年をお迎えください」と挨拶をしてから、郵便物やメールをチェックして午後1時頃にバスに乗って駅前に向かい、駅構内の蕎麦屋でざる蕎麦を食べて帰宅した。そして、このメールの書き込みをしたり、いくつかメルアドをもっているので、ここのところチェックしていなかったメルアドを確認して、このブログの12月27日の備忘録の書き込みをして一服する。しかし、今度は年賀状をほとんど書いていないので、そちらを書きはじめなくてはならない。まさに、休む暇の無い師走である。

 午後5時半にやたらにお腹が空くので、どうしてかと思ったら朝食はポテトチップス、昼食はざる蕎麦だから、いくらお腹の病気でも空腹になるとひとりで納得して近くのデニーズで蟹とブロッコリーのドリアを夕食として食べる。

 午後8時過ぎに携帯電話で実家に今年も帰省できない旨を連絡し、携帯電話を切ると着信歴があったのでリダイアルすると畑尻さんの奥様が出てきたので、畑尻さんに代わってもらってお話をする。言うまでも無く、畑尻さんの用件は上述の校正の話であった。お話では、12月29日に編集会議を行うことであるそうなので、本当に頭が下がります。その後、いろいろ調べ物をしていると午前3時前になっていたので就寝した。ところで、いま映画版の「レ・ミゼラブル」が大ヒット中とのこと。昨日、ユーゴ・豊島訳『レ・ミゼラブル』の話をしただけに、いいものは時代を問わず受け入れられるのだな~、と再確認する。

  ところで、今年の日本公法学会総会における齊藤笑美子さんに対するわたしの質問は、近代国民国家における家族制の管理t(身分登録)の前段階として、キリスト教教会における出生登録、洗礼名簿、死亡登録(「少女革命ウテナ」ではない)などによる家族制の管理からの解放が必要であったのではないかというものであったが、齊藤さんはその質問をはぐらかしたように思われる。というのも、この「レ・ミゼラブル」のコゼットの父親は貴族であったが、母親と教会による結婚を経ずして生まれた不義の子(非嫡出子)であったために(さらにややこしいことに、コゼットの母は村に教会をがなかったために洗礼を受けていない)、この母娘は苦労することになるである。そして、コゼットの生まれたときにはナポレオン時代以降の反動期に該当し、ミュリエル司祭、ジャン・バルジャンおよびコゼットの恋人のマリウス親子はこの時代の波に翻弄されることになる。もっとも、齊藤さんは「王妃マルゴ」など映画や文芸作品に詳しいので、時間の関係からはしょったと想像できるが、わたしには彼女の回答は不満の残るところであった。

(追記)

 前回に引き続き、今回の原稿の種本は以下の三冊である。

 

 

 

 一番困るのは、いまから10年前に初版がでたときにも、わたしの担当箇所は他の執筆者と違って、シュライヒ/コリオートのテキストがほとんど使いものにならないことである。個人的には、今回の改訂については土屋くんが担当した箇所がわたしの専門なので、その部分を執筆したいと思ったが、彼がどのように料理するのか見ものである。個人的には、土屋くんは長尾先生の最後の弟子に当たると思うが、なかなかの切れ者であると評価しています。