初教授会
1月9日の備忘録。
午前11時過ぎに、本務大学に向かう。
生協でおにぎり2つと、六条麦茶を買って、それを食べて昼食とし薬を飲む。
学部棟で出会った先生方と新年の挨拶をしたりして、午後1時半からはじまるセンター試験の説明会までの時間をすごす。
乾先生に「新年すぐに授業が始まるので年賀状を書いても損するだけですよ」と言われたが、中には律儀に野崎先生や梅津先生のようにメールではあれ、お礼状を送信してくれる先生もいるのでそのように単純に割り切れるものではない。本務大学教員の年賀状に対する態度は、①毎年、きちんと年賀状を出してくれる、②年賀状ではないがメールでお正月期間、ないしそのお礼状を送信する、③まったく、口頭の挨拶だけで済ませるの3類型に分けることができる。そして、①ほど年配で尊敬できる教員が多い。
それとの関係で、大学時代の友達の廣江氏からのメールも着ていた。さらには、大森氏からもお礼状のメールが届いていたt(早稲田大学の院生からの付き合いは、斉藤→馬場→大森→實原→高橋→藤井→千国というような流れである)。
午後1時半から1時間半、D201でセンター試験の説明会があった。こちらは、瀧澤委員長の歯切れの良い説明で1時間少しで終了した。
しかし、問題は教授会である。本務大学の教授会は厳密に言えば教授会、教育会議および研究科委員会の三部構成で、今年最初の教授会であったこともあり、午後3時から午後7時過ぎまでという長丁場であった。途中、昨年12月に在職中に亡くなった岡安先生の冥福を祈っての黙祷もあり、議事内容や資格審査の投票もあったので4時間であれば議事の進行としては遅くは無いが、外はまったく暗くなっていた。その後、教室長の提案でわたしの旧研究室であるA521で教室会議が開かれ、結局終了したのは午後8時過ぎであった。タクシーで帰宅したが、夕食をとっていたりしたらマンションに着いたのは午後9時前になっていた。
午後9時過ぎに、田舎に戻った母親に電話をかけると新宅の叔母ちゃん(わたしから見ると大叔母)の家に言っているということなので、電話を代わってもらって叔母ちゃんに新年の挨拶を行った。
久しぶりの8時間労働のためか、その晩はぐっすりと午後11時半から翌午前過ぎまで熟睡することができた。
翌日の1月10日の午前中に、このブログを書き込んでいるが新しいネタは入手していないので、面白いはなしがあれば帰宅後に(追記)の部分に書き込むことにする。
それと、これは学生にとっては重要なお知らせであるがわたしの「日本国憲法」の集中講義の日程が決まりました。2月18日~20日まで1時限~5時限までのぶっとうしで講義をおこないます。ただし、卒業予定の四年生の履修は認められません。
ちなみに、ニュースはhttps://verfassung-jp.webnode.jp/rss/%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9.xmlから見れます。
(追記)アマゾンからのメールによると、わたしが小学校時代に放送されていた『電人ザボーガー』のリメイク版―というか、パロデー版ーの映画のDVDが発送されたそうである。