初講義

2013年01月08日 11:46

 1月7日の備忘録。

 午前10時半過ぎに、取引銀行に預金を引き出しにいく。感想としては、この1ヵ月間に35万円でよくこの日までやり繰りできたな~、というもの。原稿執筆のために資料もかなり購入したし、年賀葉書代も5万前後は使い、医療代も3万円以上かかりおまけに年末はDVDや小説をかなり購入したので自分でも感心しているところ。とにかく、年はじめの第一月曜日であったので銀行にお客がたくさんおり、窓口業務を終了するまでに約1時間かかってしまった。マンションの家賃等を振り込んだ後、勤務大学へタクシーで向かう。

 まず、最初に生協の散髪屋のおばちゃんのところに行って髭の手入れと洗髪をしてもらう。その後、事務に寄って新年の挨拶をし、学内メールをチェックする。さすがに、今日からは事務開きなので大学関連のメールが数件送付されていた。

 午後2時半より、1時間半「現代人権論」の講義を行う。昨年最後の講義で、ゴーティエの「囚人のジレンマ」と「チキン・ゲーム」の理解のためにキューブリックの「博士の異常な愛情」を学生諸君と一緒に鑑賞したこともあり、説明がやりやすかった。ついでに、ゲーム理論と併せて確率論としてコンドルセの定理とラプラスの定理(ラプラスの悪魔=デーモン)についての説明もしてしまう。最後に時間が余ったので、試験問題の課題である五つの問題のうち二題を出題して、その簡単な解説を行う。

 課題1 日本国憲法は国民主権を採用しているが、その原則は「間接民主制」であり、例外として「直接民主制」がそれを補完するという形態である。その理由を具体的なメリット・デメリットを挙げて論じてください。

 課題2 日本国憲法はホッブズ流の社会契約論を採用しているのか、それともロック流の社会契約論を採用しているのか、思想史的および憲法制定史的観点から論じてください。

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年末に、「博士の異常な愛情」を観た感想文を学生に課していたのであるが、なかなか理解が深かったので一例を紹介する。

 

「博士の異常な愛情」からゲーム理論のチキンゲームを理解する

                 ○学部○学科○コース 学籍番号○○○○○○○○ S.K(女性)

 この映画は、アメリカ空軍のリッパー将軍が独断で指示した“R作戦”をめぐって起きたアメリカ上層部の混乱を描いたものである。映画内でどのようにチキンゲームが皮肉られているのかを説明する前に、映画内での設定等を説明していく。

 アメリカとソ連は戦争をするか、しないかという緊迫した状態であった。しかし、アメリカ側もソ連側も攻撃を仕掛けることはしなかった。アメリカ軍はソ連よりも強力な核爆弾を持っていたから、それを打ち込んでしまえばアメリカの勝利は確定する。一方ソ連は、地球上の全生物を死滅させる皆殺し装置の開発に成功し、その装置の設置も完了していた。皆殺し装置は、ソ連のどこかの各設備等に核攻撃を受けると、自動的に作動するようになっている。しかし、皆殺し装置のことは来週の月曜日に全世界に発表される予定で、アメリカはその装置のことを何一つ知らなかった。

 この映画の中でチキンゲームを行ったのは、アメリカとソ連である。チキンゲームの発端は、“R作戦”である。この作戦は、大統領の権限がなくとも、将軍クラスの者であれば、核攻撃をすることができるというものである。リッパー将軍は、“R作戦”を発動し、ソ連を攻撃させた。このリッパー将軍の行動は、チキンゲームにおける最悪のマトリックスの引き金である。この映画の設定での最悪のマトリックスは、アメリカとソ連が双方攻撃し、双方が死滅するということである。人間は、最悪なマトリックスを取ることができない。それを示すように、映画内でも、アメリカは“R作戦”の攻撃をどうにか回避し、ソ連から攻撃されないようにと奮闘した。しかし、ソ連側からの協力を要請し、B29の撃墜に成功したが、1機だけ撃墜することができなかった。核爆弾はソ連に打ち込まれた。皆殺し装置が作動したかはわからないが、もし、作動しなかったとすれば、ソ連はアメリカに反撃し、どちらにせよ最悪なマトリックスとなっていただろう。

 チキンゲームを皮肉ったというこの映画は、内容は戦争ものと重かったが、コメディチックで面白く、チキンゲームのこともすんなりと理解することが出来た。

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 4時20分から1時間半は、こんどは別の棟で「法学概論」の講義を行う。テキストは赤坂・市川・笹田・常本・棟居『基本的人権の事件簿』であるが、昨年最後の講義でどの事件を取り扱うかを説明していなかったので、社会権を中心に人権類型論の話をレクチャーメソッドで説明した。

 ある行為の無価値性を打ち消すためには、その行為を無価値とすればよいという話をしていたのだが、前に座っている学生が分かりづらそうにしていたのでヘーゲルの弁証法の話とイギリス経験論の話をしてやると分かったという。要するに、学生は哲学や倫理学の授業を履修しているのであるが、それと法律学の授業を別のものとして理解しているだけで、その接続をうまくしてやれば本務大学の学生はすぐに理解してくれる。その意味からすると本務大学の学生は結構、質が高い。

 原則的には、自由権は「国家からの自由」であり、国家の介入を妨害として排除する権利であると説明し、社会権は「国家による自由」であり、国家に積極的に金銭、物資、制度、規範を請求する権利であると説明し、最後に選挙権は「国家への自由」であり、投票の自由のみならず被選挙権で議員になることを保障しているから国民→議員に転化する形成権であると説明した。次いで、自由権は「不作為」を求める妨害排除請求権であるから、その請求範囲の裁量の余地が狭まるが、社会権は「作為」を求める給付請求権であるから、その請求範囲の裁量の余地が広がるとし、日本国憲法の基本的人権の原則は自由権であり、それを補完するものとして社会権が例外として保障されていると板書しながら解説した。もちろん、学生の中には初等・中等教育の教科書の影響もあり、社会権の方が重要であるという者もいたが、これに対しては「それでは、ご主人様に飼われて餌を与えられているポチと変わりがない。まずは、人格的自律の形成から自由権が原則とされ、それでも零れ落ちる人たちのために、社会権の保障が例外的にカバーされると理解した方がよい」と回答した。ここら当たりは、昨日の『小説 フランス革命』Ⅸ巻のロベスピエールの新人権宣言草案との兼ね合いで面白いところではある(その意味では、わたしはジロンド派)。いずれにせよ、その後のフランスにおいては「博愛」、あるいは「兄弟愛」による社会権の保障はトミストであるデュギーやオーリウによって唱えられたが、法実証主義者であるエスマンやカレ・ド・マルベール等によって、その抽象性をもって規範性を否定された。だが、こんなことを本務大学の学生に説明しても意味がないので、ヴァイマール憲法の社会権規定の弱みを逆手にとってナチスが台頭したこと、それゆえにその反省からプログラム規定説が提唱されるたこと等を概説した。プログラムの意味が分からない学生が多いので、これはいつものごとく運動会のプログラムで雨天決行と書いてあっても、大風や落雷で校内の立木がなぎ倒され、さらに竜巻で二三人が天に巻き上げられているのに運動会を決行する人はいないと説明しておいた。とりあえず、朝日訴訟、堀木訴訟等を解説してプログラム規定説、具体的権利説および抽象的権利説までしゃべったところで授業終了。こちら講義の課題は以下の二題である。

 課題1 事件1と事件2は同じ私立高校での校則違反によって退学処分がなされたことが問題になった事例であるが、A君は勝訴したにもかかわらず、A子さんは敗訴してしまった。このことについて、訴訟戦略上、どうしてそのような結論が生じたのかを論じなさい。

 課題2 もしあなたがどぶろくを密造して酒税法違反で逮捕された場合、あなたならば憲法13条で人権侵害を訴えるのか、憲法22条・29条で人権侵害を訴えて無罪を主張するのか違憲審査基準を考慮した上で論じなさい。

 午後6時過ぎに、タクシーを呼んで自宅付近まで戻り、夕食を食べて帰宅すると午後8時近くになっていた。年賀状の第四陣が届いていた(大藤紀子先生、ご丁寧にこちらが年賀状メールであったのにお礼状ありがとうございます)。PCでメールを確認した後、このブログの備忘録を書き込んでいたら日付変更線を越えたので就寝した。

(追記)

 松井君からメールで新年の挨拶状が来ていた。松井君は畑尻さんのところに自衛隊から2年間院生として内地留学しているのであるが、二尉の肩書きが付いているのでびっくりする。なんといっても、旧軍隊では中尉ではないか。そう考えると大学時代、自衛隊に幹部候補生で入隊した連中は今は佐官になっているということである。ま~、出世コースから外れた身からすればどうでもよいことではあるが、やはり気にはなるな~。