博士の異常な愛情
週が変わっても相変わらず風邪は治らず、前日の午前5時前まで起きていたが、一応、午前9時半には起床し朝食をとり薬を飲む。朝刊紙を読んで、国会議員の経歴を見て、大学の法学部法律学科の出身が相変わらず少ないことを確認してから、お昼まで二度寝する。ところで自分が法学部法律学科出身であるからではないが、国会議員のせめて過半数は大学の法学部・法律学科出身者で構成されるべきだと考えている。というのは、脱官僚、脱霞ヶ関を国会議員が叫んでも、国会議員は立法府たる国会の構成員(Mitglied)であり、その本職は立法である。とすると、国会議員はある意味で東大法学部出身が大半を占める官僚に法律論で負けないだけの法律の知識をもたなければ、いくら脱官僚、脱霞ヶ関を唱えても結局、立法立案のエキスパートである官僚の繰り人形になるのは必然ではないだろうか。訪問者の諸氏もご存知のように、アメリカの大統領はその前身はほとんどが法律家である。もちろん、法学部法律学科の出身者に国会議員を限定せよといっているのではない。しかし、日本の国会議員の選出母体は近代立憲主義国家とあまりにも構成が異なりすぎている。わたしの学生時代に政策秘書制度が発足したが、まともに国会議員が使用していない。仄聞するところによれば、こともあろうに政策秘書手当てをちょろまかしたり、選挙活動に使役したりしている国会議員も多いと聴く。
ところで、12月17日の午後2時半から日本国憲法の授業で平和主義の話になったので、ゲーム理論、特に囚人のジレンマとチキンゲームの説明を学生に理解してもらうために、スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」を学生諸君と一緒にみながら解説した。ここで危惧しなくてはならないのは、人のよい大統領や議会を馬鹿にして軍エリートやドクター・ストレンジラブを中心とするランド・コーポレイションがタカ派議員を先導して、国防政策法案を自分たちに都合のよいように議会を通過させているといういうことである。大統領が将軍に「そんな話はわたしは聴いていない」と言うと、将軍たちは「その法案はタカ派議員の提案で議会を先日通過しました」と言い返されてしまう次第である。
したがって、議会が行政に対抗するためには、それに負けないしたたかさが必要となってくる。もっとも、そう言うと国会議員もしたたかだという反論も返ってくるであろうが、それは政治的したたかさであって、国内・国外的な政策的したたかさではない。その政策が正しかったと言えるのかどうかは問題であるが、ある政策を実行するために暗殺されそうになっても「男子の本懐」という言葉をはけるだけの信念をもっている、国会議員が現在どれだけいるのか。そこらあたりが、「美しい日本」という言葉だけで、内実がないのであればまったく意味はない。しかし、民主党政権は日本の憲政史に泥を塗りたくって終わったね。