小林節先生最終講義
3月15日の備忘録。
7時19分、近くのマクドナルドで高速バス内で食べるものを買ってくる。
エッグマックマフィンコンビ 300円
エッグマックマフィン
プレミアムローストアイスコーヒーS
11時1分、かつや田町店で朝ロースカツ定食 472円を食べる。
石川健治「公法における「人」の属性―憲法と「人の法」」『公法研究 75号』(2013年)、47頁以下をコピーして読む。
まとめとして、使いやすそうなのは以下の部分
近代国家のもとで、人はひとり残らず、公法上(憲法上)の「人」になった。ローマ法学以来、法人格すなわち権利能力は、その前提にあるstatusによって規定される約束であったから、これを「自由人の身分 status libertatis」の承認として説明することになる。近代国家はこの承認資格を独占しているので、国家によって自由人であることを承認されることで、はじめて「人」になることができたというわけである。裏からいえば、近代国家の支配は、つねに自由人(Freie)に対する支配である。国家は、自由人を「物」扱いしてはならないし、手段として用いてもならない。
その前提として、近代国家は、均質で平等な「国民の身分 status civitatis」を創設することにより、それまで政治社会の中核をなす身分だった「家(長)の身分 status familiae」を破壊した。「家」は、公法上の身分から抹消され、ただ単に私法上の存在としてのみ存続する。人は、国民国家の構成員になることで、「人」になる。これがイェリネック体系の基本である。
そして、自由人の身分は「消極的身分」、国民の身分は「積極的身分」というふうに順次読み替えられてゆき、例外的に国家権力の客体であることを甘受する「受動的身分」と能動的国民として公務に就任する「能動的身分」とをあわせ、よく知られた「地位理論」ができあがる。(55頁)
13時半から14時半まで、小林節先生の最終講義を聴講する。
司会は、34期の小林節研究会3年の女子学生であった。
最初の挨拶は、学部長の大石裕先生。
続いて、ゼミOBでもある駒村圭吾先生。
平沢、田村、長島、平氏などの国会議員も出席していた。
そして、本題の小林先生の最終講義であった。
詳しいことはあとで補完するとして、ここでこの最終講義を受けて印象深かったことを記すとすけば、それは小林節先生の「孤独も人生の一部として認める」ということばであった。
花束贈呈のあと、研究会33期生の男子学生が挨拶をして終了。
講義を写メで撮影しようと思ったが、小林節先生は講義中の私語と、携帯の使用は禁止なので撮影はしませんでした。どこか、ネットで写真がUPされていないかな。
(補足)
通信教育部の学生さんがブログでUPしていたので、公式の画像が出てくるまで借用させて頂く。
https://keiotsushin.at.webry.info/201403/img2_29.139492468533821580228.html
2014年3月17日追加
良い意味でも悪い意味でも、なにかしらないが、おっかないと院生に思われる先生がいなくなってきている。少なくとも、2005年度の内地留学で大学院の「総合演習」にだけ参加させてもらったが、小林節先生は院生にそう思われていたことだけは確か。ま~、そんな彼らが「退職記念号」に寄稿しているところが重要なのだが(大林、岡田順、岩切、上代、手塚、横大道の各先生)。
帰りのバスの移動中に食べた、深川めし。都内に出たときに、帰りの高速バスでこれを食べるのが、私の定番となっている。
18時11分、おにぎり 山翠でおにぎり 280円を買って帰る。
今日のドイツ語単語
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lügen うそをつく log gelogen
mahlen ひく mahlte gemahlen