戦陣訓

2013年12月09日 12:28

12月9日の備忘録。

13時38分、大学周辺の宝島でカルビハラミランチ 100g 819円を食べる。

午後4時20分から午後5時50分まで、「法学概論」の講義を行う。

具体的な講義の内容は、リアクションペーパーの掲載によって代えることとする。
・市民グループが相反する権利を訴えたということがわかった。先日、先生がいっていた「勝てる裁判もカードのだし方によっては勝てない」といっていたことがようやくわかった。実際市民グループが勝てる裁判だったのかはわかりませんが。それと、今日の講義では日本は他国に借金をしないことをよくいっていましたが、私は中学校の頃、1秒につき何百万単位で国民の借金が増えていることをインターネットを通して知りました。もし、このまま国債が増え続けると、他国に借金をしていなくても、いずれは国家破産するといったことは起きるのではないでしょうか?(Kくん)

・今日の講義では改めて戦争の難しさがわかりました。今の政府の考え方では自衛隊は合憲だとされているが、多くの政党の議員ならびに国民が自衛隊の撤廃を望んでいます。私は今日の話を聞いて改めて防衛戦争が生物の自己保存として当然のものであり、自衛隊は世界を生き延びる日本にとって必要な存在であることがわかりました。確かに武器を放棄した本当の意味での平和主義を取るべきという人は多いですが、中立国家であるスイスは他国に頼らず平和を保つためにかなり強い武力を持っています。これを見ると、日本が、武力を捨てることは不可能だなと思いました。(Tさん)

・今回の事例についての判決は当たり前だと思った。

 日本が外国の戦争に人や金の面で協力することは、他国の平和を破壊し、やがて日本国民を戦争に巻き込みかねない行為になるか、そんなことはないと思う。まず、他国の平和を破壊という点だが、そもそも戦争のいう悲惨な状況下で平和を破壊するというフレーズはでてこないと思う。実際に、医師団などが派遣され、むしろ、傷ついた人たちを助けたり、マイナスなイメージよりもプラスのイメージしかわたしにはなかった。また、日本国民を戦争に巻き込みかねないというのも少しおかしいと思った。逆に日本が戦争になった際に自国ではどうにもならない状況が考えられ、他国へのみかえりを求めるわけではないが、協力する心はもつべきだと思う。(Tさん)

・今回の、湾岸戦争への日本の出資については、日本人の「平和的生存権」の問題の他に、“金を提供した”という点で「集団的自衛権の行使」の問題まで波及するのではないかと思う。軍事面以外の協力では、「集団的自衛権の行使」に当たるのか、自分の中では疑問である。

 また、日本はODA援助国の中ではトップ3に入るが、これはあまり日本人の中で知られていることではないと思う。また、国連において第二次世界大戦敗戦国として、日本がドイツと共に「旧敵国条項」に組み込まれていながら、対国連支出額が非常に高いことはおかしなことであると思う(ましてや日本は常任理事国ではない)。(Tくん)

・今日は平和的生存権やその抽象性について知ることができました。平和的生存権は第9条と深く関わっており平和主義を貫く上でとても重要だと思います。しかし、そういう漠然とした、感覚的なものだけで権利をとらえてはいけないのだなと思いました。また、憲法13条についても同様に思いました。ただ、これらについて質問があります。判決では、「権利の内容が明らかではないから保護の対象ではない」とありますが権利は具体的でないと保護されないということですか?また、「戦争の放棄」がイデオロギー的であるとはどういうことですか?(Iさん)

・今回の講義では戦争の話が上がっていたが、先生が例に挙げていた南ア(ブーア)戦争のオレンジ自由国とトランスヴァール共和国の状態について考えてみると私の考えていた「戦争」のイメージが大きく変わった。侵略戦争と防衛戦争という分け方についても考えるきっかけにはなったと思う。

 平和的生存権に関しては日本国憲法の前文で拘束力がないだけに理論や思考を固定化させることは非常に難しくなってくると思う。13条は消極的、25条は積極的なとらえ方をしているようなので上手くかみ合えばいいと思う。

 日本国憲法前文には全く拘束力はないのか?(Aくん) 

・今回の講義ではまず、石炭から石油が一番とれる国がアメリカだということをはじめて知りました。石油と言えばサウジアラビアやアラブ首長国連邦を想像しますが、今後のために石油をたくわえておくアメリカはずる賢いなと感じました。

 また、ゲリラやパルチザンなどは降伏できないということもはじめて知りました。先生の話の中に東条英機が降伏する権利を奪ったために神風特攻隊や集団自決などの悲劇が起こってしまったということがありました。権力者が勝手に権利を奪うようなことは絶対にしてはいけないことだと感じました。(Mさん)

以下、戦陣訓を補足←天下の悪法として明示。東條英機の罪は、この戦陣訓を陸軍大臣時代に示達したことだけでもって足りる。このために、国際法規上降伏が認められているのに、それの降伏の途を閉ざし、不要な玉砕や自決を軍人のみならず民間人に課することになってしまった。すなわち、東條は実定法的にも自然法的にも責任を負わなければならない。これに比べれば、彼が開戦時の首相であったことはさして重要ではない(おそらくは、あの当時誰が首相を務めても開戦は回避できなかったであろう)。


 夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず。
 惟ふに軍人精神の根本義は、畏くも軍人に賜はりたる勅諭に炳乎として明かなり。而して戦闘並に訓練等に関し準拠すべき要綱は、又典令の綱領に教示せられたり。然るに戦陣の環境たる、兎もすれば眼前の事象に捉はれて大本を逸し、時に其の行動軍人の本分に戻るが如きことなしとせず。深く慎まざるべけんや。乃ち既往の経験に鑑み、常に戦陣に於て勅諭を仰ぎて之が服行の完璧を期せむが為、具体的行動の憑拠を示し、以て皇軍道義の昂掲を図らんとす。
是戦陣訓の本旨とする所なり。
本訓其の一
 第一 皇国
 大日本は皇国なり。万世一系の天皇上に在しまし、肇国の皇謨を紹継して無窮に君臨し給ふ。皇恩万民に遍く、聖徳八紘に光被す。臣民亦忠孝勇武祖孫相承け、皇国の道義を宣揚して天業を翼賛し奉り、君民一体以て克く国運の隆昌を致せり。
 戦陣の将兵、宜しく我が国体の本義を体得し、牢固不抜の信念を堅持し、誓って皇国守護の大任を完遂せんことを期すべし。
 第二 皇軍
 軍は天皇統帥の下、神武の精神を体現し、以て皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任ず。
 常に大御心を奉じ、正にして武、武にして仁、克く世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり。武は厳なるべし仁は遍きを要す。苟も皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全しとは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。皇軍の本領は恩威並び行はれ、遍く御稜威を仰がしむるに在り。
 第三 軍紀
 皇軍軍紀の神髄は、畏くも大元師陛下に対し奉る絶対髄順の崇高なる精神に存す。
 上下斉しく統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大権の承行を謹厳にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫乱るるなきは、是戦勝必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。
 第四 団結
 軍は、畏くも大元師陛下を頭首と仰ぎ奉る。渥き聖慮を体し、忠誠の至情に和し、挙軍一心一体の実を致さざるべからず。
 軍隊は統率の本義に則り、隊長を核心とし、掌固にして而も和気藹々たる団結を固成すべし。上下各々其の分を厳守し、常に隊長の意図に従ひ、誠心を他の腹中に置き、生死利害を超越して、全体の為己を没するの覚悟なかるべからず。
 第五 協同
 諸兵心を一にし、己の任務に邁進すると共に、全軍戦捷の為欣然として没我協力の精神を発揮すべし。
 各隊は互に其の任務を重んじ、名誉を尊び、相信じ相援け、自ら進んで苦難に就き、戮力協心相携へて目的達成の為力闘せざるべからず。
 第六 攻撃精神
 凡そ戦闘は勇猛、常に果敢精神を以て一貫すべし。
 攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委すること勿れ。追撃は断乎として飽く迄も徹底的なるべし。
 勇往邁進百事懼れず、沈着大胆難局に処し、堅忍不抜困苦に克ち、有ゆる障碍を突破して一意勝利の獲得に邁進すべし。
 第七 必勝の信念
 信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く勝者たり。必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。
 勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。
 本訓其の二
 第一 敬神
 神霊上に在りて照覧し給ふ
心を正し身を修め篤く敢神の誠を捧げ、常に忠孝を心に念じ、仰いで神明の加護に恥ぢさるべし。
 第二 孝道
 忠孝一本は我が国道義の精彩にして、忠誠の士は又必ず純情の孝子なり。
 戦陣深く父母の志を体し、克く尽忠の大義に徹し、以て祖先の遺風を顕彰せんことを期すべし。
 第三 敬礼挙措
 敬礼は至純なる服従心の発露にして、又上下一致の表現なり。戦陣の間特に厳正なる敬礼を行はざるべからず。
 礼節の精神内に充溢し、挙措謹厳にして端正なるは強き武人たるの証左なり。
 第四 戦友道
 戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救ひ、非違相戒めて、倶に軍人の本分を完うするに在り。
 第五 率先躬行
 幹部は熱誠以て百行の範たるべし。上正しからざれば下必ず乱る。
 戦陣は実行を尚ぶ。躬を以て衆に先んじ毅然として行ふべし。
 第六 責任 
任務は神聖なり。責任は極めて重し。一業一務忽せにせず、心魂を傾注して一切の手段を早くし、之が達成に遺憾なきを期すべし。
 第七 死生観
 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。
 第八 名を惜しむ
 恥を知るもの強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。
 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
 第九 質実剛健
 質実以て陣中の起居を律し、剛健なる士風を作興し、旺盛なる志気を振起すべし。
 陣中の生活は簡素ならざるべからず。不自由は常なるを思ひ、毎事節約に努むべし。奢侈は勇猛の精神を蝕むものなり。
 第十 清廉潔白
 清廉潔白は、武人気節の由って立つ所なり。己に克つこと能はずして物欲に捉はるる者、争でか皇国に身命を捧ぐるを得ん。
 身を持するに冷厳なれ。事に処するに公正なれ。行ひて俯仰天地に愧ぢさるべし。
本訓其の三
 第一 戦陣の戒
一 一瞬の油断、不測の大事を生ず。常に備へ厳に警めざるべからず。
 敵及住民を軽侮するを止めよ。小成に安んじて労を厭ふこと勿れ。不注意も亦災禍の因と知るべし。
二 軍機を守るに細心なれ。謀者は常に身辺に在り。
三 哨務は重大なり。一軍の安危を担ひ、一隊の軍紀を代表す。宜しく身を以て其の重きに任じ、厳粛に之を服行すべし。
 哨兵の身分は又深く之を尊重せざるべからず。
四 思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。
五 流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ、動ずること勿れ。皇軍の実力を確信し、篤く上官を信頼すべし。
六 敵産、敵資の保護に留意するを要す。徴発、押収、物資の燼滅等は総て規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし。
七 皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無事の住民を愛護すべし。
八 戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は欲情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。
九 怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。
 軍法の峻厳なるは時に軍人の栄誉を保持し、皇軍の威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感激とを想起し、遥かに思を父母妻子の真情に馳せ、仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。
 第二 戦陣の嗜
一 尚武の伝統に培ひ、武徳の涵養、技能の練磨に勉むべし。
「毎時退屈する勿れ」とは古き武将の言葉にも見えたり。
二 後顧の憂を絶ちて只管奉公の道に励み、常に身辺を整へて死後を清くするの嗜を肝要とす。
 屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の遅らざることあるも、敢て意とせぎる様予て家人に含め置くべし。
三 戦陣病魔に倒るるは遺憾の極なり。時に衛生を重んじ、己の不節制に因り奉公に支障を来すが如きことあるべからず。
四 刀を魂とし馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦陣の間常に兵器資材を尊重し馬匹を愛護せよ。
五 陣中の徳義は戦力の因なり。常に他隊の便益を思ひ、宿舎、物資の独占の如きは慎むべし。「立つ鳥跡を濁さず」と言へり。雄々しく床しき皇軍の名を、異郷辺土にも永く伝へられたきものなり。
六 総じて武勲を誇らず、功を人に譲るは武人の高風とする所なり。
 他の栄達を嫉まず己の認められざるを恨まず、省みて我が誠の足らざるを思ふべし。
七 諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ。
八 常に大国民たるの襟度を持し、正を践み義を貫きて皇国の威風を世界に宣揚すべし。国際の儀礼亦軽んずべからず。
九 万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具に思を護国の英霊に致し、言行を悼みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし。
  結
 以上述ぶる所は、悉く勅諭に発し、又之に帰するものなり。されば之を戦陣道義の実践に資し、以て聖諭服行の完璧を期せざるべからず。戦陣の将兵、須く此の趣旨を体し、愈々奉公の至誠を擢んで、克く軍人の本分を完うして、皇恩の渥きに答え奉れべし。
                                   (陸軍省昭和16年1月8日)