平成30年度博士学位授与式 式辞 (2018年9月25日)

2018年09月26日 09:51

9月26日(水曜日)


 中野雅紀です。京都大学のホーム・ページに、昨日の平成30年度博士学位授与式 式辞がアップされていました。


 第26代総長 山極 壽一

 本日、京都大学から博士の学位を授与される187名の皆さん、誠におめでとうございます。

 学位を授与される皆さんの中には、60名の留学生が含まれています。累計すると、京都大学が授与した博士号は44,265となります。列席の副学長、研究科長、学館長、学舎長、教育部長、博士課程教育リーディングプログラムコーディネーターをはじめとする教職員一同とともに、皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。

 京都大学が授与する博士号は合計20種類もあり、博士(文学)のように、それぞれの学問分野が称号のあとに記されています。また、7年前からリーディング大学院プログラムが始まり、これを受講し修了された皆さんの学位記には、それが付記されています。これだけ多様な学問分野で皆さんが日夜切磋琢磨して能力を磨き、その高みへと上られたことを、私は心から誇りに思い、うれしく思います。本日の学位授与は皆さんのこれまでの努力の到達点であり、これからの人生の出発点でもあります。今日授けられた学位が、これから人生の道を切り開いていく上で大きな助けとなることを期待しています。

 私は総長に就任する以前、アフリカの熱帯雨林でゴリラの研究をしていました。熱帯雨林、通称ジャングルという場所は高温多湿で多種多様な菌類や植物が繁茂し、昆虫から爬虫類、両生類、鳥類、哺乳類に到るまで多くの動物たちが日夜活動しています。そこは陸上生態系で生物多様性がもっとも高い場所であるとともに、様々な生物が多様な関係を繰り広げ、新しい種を次々に生み出している場所です。総長になって大学を眺めたとき、私はこのジャングルと大学がよく似ていると感じました。大学は世界の多様な知が集積する場所であり、またこれまでの歴史を担った知もそこで収集され、様々な視点から分析されています。まさに時空を超える知の拠点であり、それらの知を駆使して創造的な活動を展開する場所でもあります。そして、重要なことは大学もジャングルと同じように、新しい種、すなわち新しい考えが次々に生み出されていく場であるということです。本日、学位を取得された皆さんは、その最先端に立って新しい知を生み出してこられたのです。

 博士の学位を得るということは、自分の独創的な考えを認められたということであり、未知の世界の探究者として入口に立ったということを意味します。それは、これから社会に出ていく人にとっても、大学に残って研究を続ける人にとっても同じことです。世界の未解決な課題を発見し、それを自分が置かれた環境の中で、これまでに培った知力と独創力を駆使して解いていくという作業に変わりはないからです。そして皆さんは、自分の一生をかけて取り組む大きな課題にいつか出会うかもしれません。

 今年の7月に、東京で京都大学―稲盛財団合同京都賞シンポジウムが開かれました。テーマは「生命の神秘とバランス」で、青山学院大学の福岡伸一さん、京都大学の森和俊さん、大阪大学の長田重一さん、東京工業大学の大隅良典さんに講演をしていただきました。私が驚いたのは、これらの方々が様々な学問分野の出身でありながら、それぞれ異なるアプローチから生命の本質に迫っていることでした。大隅さんと長田さんは理学、森さんは薬学、福岡さんは農学の出身ですが、皆さん生命科学に目を開かれ、細胞の不思議な活動に取り組むことになります。大隅さんは細胞内でタンパク質を分解するオートファジーという現象を発見し、森さんはタンパク質を合成する小胞体の活動を明らかにしました。長田さんは、細胞自体が死んでいくアポトーシスという現象を解明しました。福岡さんはこうした細胞の絶え間ない分解と合成の作用を、熱力学第2法則に従わずにエントロピーを常に捨て続ける「動的平衡」として生命の本質を定義しています。さらに私が感銘を受けたのは、これほど素晴らしい発見を成し遂げた4人の方々が、まだ生命は解明されていないとして、その謎に挑み続けているということでした。真の研究者は、生涯の課題を決してあきらめることなく探求し続ける。その姿に私は強く心を打たれました。遺伝子組み換えやゲノム編集によって生物が大きく改変され、私たちの世界に人工知能やロボットが共存する時代を迎え、生命の本質を探ることはますます重要になっていると思います。

 現代は不確定性の高い時代と言われます。情報通信機器が発達したおかげで、私たちはいつでもどこでも膨大な情報にたやすくアクセスできるようになりました。しかし、その反面、どれが信用できる情報なのか、判断しにくくなりました。歴史が新たに編纂しなおされ、解釈しなおされて、歴史上の人物の評価が目まぐるしく変わります。プラネタリーバウンダリーという概念が提唱され、その9つの条件のうちのいくつかが限界値を超えていると言われます。しかし、その数値をめぐって学者の間では意見が分かれます。地球温暖化の原因は大気中の二酸化炭素の割合が上昇したことだという事実が各国で共有される一方で、それとは異なる数値を示して温暖化は地球の気候変動の自然な変化だと述べ、パリ協定から離脱する大統領もいます。日本でも地震や津波に耐えうる基準や、原子力発電所の脆弱性、放射能による健康被害をめぐって、どのデータを用いるかで研究者の意見は分かれています。科学や技術が人間の安全や安心を保障できなくなっているのです。

 それは、私たち現代人が高度な情報インフラに囲まれて暮らしているためでもあります。交通手段も建物も、食糧や水の供給に到るまで、複雑なネットワークのなかで電化され情報化されて維持されています。台風や地震などの災害で通信網や電気が停止すると途端に何もかもが動かなくなることを、今年日本を襲った災害で私たちは身に染みて知っています。問題は、その情報システムの内容がわからないままに、私たちはその恩恵を享受しているということです。システムが停止しても、一般の人々にはその内容がわからないので、専門家が復旧してくれるまで不便に耐えなければなりません。しかも、原子力発電所の事故のように、システムが破壊されたことでどれほどの災禍を受けるか、確かなことは不明なままです。昔は安全・安心な環境は人の手で造られ、それが壊されても人の手で修復することができました。しかし、現代は人工的な環境が被害を過大にし、その修復は人知を超え、新たな技術の開発を必要とする時代です。人間が作り出した科学技術が人間をさらなる不安に陥れているのです。今こそ、すべての研究者が分野を超え、総力を挙げて、確かな未来を提示する必要に迫られているのです。

 本日学位を授与された論文の報告書に目を通してみると、京都大学らしい普遍的な現象に着目した多様で重厚な基礎研究が多いという印象とともに、近年の世界の動向を反映した内容が目に留まります。グローバル化にともなう異文化との交流、多文化共生、人の移動や物の流通、地球規模の気候変動や災害、社会の急激な変化にともなう法や経済の再考、心の病を含む多くの疾病に対する新しい治療法などです。

 これらの論文は、現代世界で起こっている問題や、これまでに未解決であった問題に鋭い分析のメスを入れ、その解決へ向けて新たな証拠や提言を出すということで共通しています。確かな資料に基づく深い考察から発せられたこれらの提言は、未来へ向けての適切な道標となると思います。タイトルを見ただけでも中身を読んで詳しく内容を知りたいという気持ちをかき立てる論文や、私の理解能力を超えたたくさんのすばらしい研究が学位論文として完成されており、私はその多様性に驚きの念を禁じえませんでした。この多様性と創造性、先端性こそが、これからの世界を変える思想やイノベーションに結びついていくと確信しています。

 現代の日本は世界の先進国に比べ研究力が落ちていると言われています。とりわけ、分野を超えた対話が低調で、産業界ではイノベーションが起きないことが問題視されています。京都大学はその重苦しい空気を吹き飛ばして、時代の先端を走らねばなりません。それは、皆さんが今まで京都大学で培った能力を世界へ向けて発信することです。自分が発見した新しい事実や考えを世に出すためには、面白いと思う対象や現象を忍耐強く追い続け、それを発見に結び付ける静謐で自由な学問環境と、発見したものを論文として形にするための質の高い対話や討論が可能なコミュニティが必要です。京都大学はこれまでその環境を維持することに全力を尽くしてきました。

 ここに集った皆さんも、京都大学での研究生活を通じて、発見の喜びや論文に仕上げるまでの苦労を十分に味わってこられたことと思います。自分と同じ分野の仲間や他分野の仲間と、活発な対話を通じて、独自の考えや世界を作り上げたことでしょう。それは自由の学問の都、京都大学で学んだ証であり、皆さんの今後の生涯における、かけがえのない財産となるでしょう。また、皆さんの学位論文は、未来の世代へのこの上ない贈り物であり、皆さんの残す足跡は後に続く世代の目標となります。その価値は、皆さんが今後研究者としての誇りとリテラシーを守れるかどうかにかかっていると思います。昨今は科学者の不正が相次ぎ、社会から厳しい批判の目が寄せられています。皆さんが京都大学で培った研究者としての誇りと経験を活かして、どうか光り輝く人生を歩んでください。

 本日は、まことにおめでとうございます。