後期試験「現代人権論」・「法学概論」実施
1月28日の備忘録。
午前10時半に、自宅マンションで試験問題をプリントアウトしてからタクシーで本務大学へ向かう。
昨日までは学生として試験を受ける立場であったが、今日からは本務大学の教員として学生に期末試験を課す側に回った。
週末にメールで教養教育の曾田さんから人文学部の4年の学生で、来月の18日から20日までのわたしの集中講義の「日本国憲法」を履修したい学生がおり、受け入れ可能かどうかのメールの問い合わせがあったが、この学生には履修許可は出さないことにした。そもそも、誰が好き好んでこの時期に集中講義をしているのかというと、わたしの体調の問題と、所属学部の学生のニーズとの兼ね合いでこの時期にせざるをえなかったからである。本務大学では人文学部が社会科の学生を囲い込んで、わたしに法律科目を教えささない一方で、その他の教養教育の大半を負担させていながら、さらに卒業が危うい学生を押し付けるというのはあまりにも身勝手である。自分たちのお尻ぐらい、自分で拭けないのか。そもそも、このような無茶苦茶なことをしてきたから先代の前田先生は過労死し、わたしも夏休みの集中講義で入院することになったのである。ハッキリ言って、この大学は人文学部の社会科学・人文科学系の先生にとっては楽園であるが、教育学部のそれらの先生にとってはおそろしく忙しい職場である。そもそも、4年生は教育学部でも履修をしてはいけないことになっているのだが、それをどのように解釈すれば、このような要求ができるのか理解不可能である。それに、卒業判定はその1週間前に教授会で承認されなくてはならないはずだから、これはまったくもって怪しからん!そして、この学生が仮に単位を落とし、ごねた場合にはわたしの責任に転嫁しようとしているのは見えみえである。曾田さんにはいつもお世話になっているが、彼女のために人文学部の無理な注文をきくことは、いままで裏切り続けられた経験から無いと判断した。
ノートパソコンを借りて、午後2時前には4時限の「現代人権論」の試験会場に入室し、試験における注意書きを板書して待機しておいた。問題はニュースにアップした5つの課題のうち、本試験で2つ出題し、得意な方を1題のみ選択解答するというものである。解答時間は90分であるから、書けないということはないのだが、それでも相変わらず落第者が出てしまう。最初にパソコンで出欠をとったが、欠席者が5名前後いたので444をLive Campusに入力して彼らの「欠試」が確定、後は順次解答できた学生に答案を教卓まで持ってこさせて、それをチェックしておしまい。残念なのは1名、わたしの見る限りでは熱心に授業を聴いてくれている学生が十分に答案を書けていなかったことである。その他は、だいたい通常の授業態度から想像していた通りの結果であった。ところで、これが後期の最終講義ではなく、来週はこの試験の講評会で上位5名の成績を公開して、他の学生に他の社会科学系論文の書き方を体得してもらう予定である。
午後4時20分には、先のノートパソコンを教養教育の事務に返却して、大急ぎで5時限の「法学概論」の試験会場に入り、簡単に板書して4時限目と同じ要領で試験を実施した。この授業の履修者はわたしの所属している教室の学生なので気心が知れているので、あまり心配せずに試験を終了させることができた。しかし、どうしても真面目だと思っていた学生が思ったほどに書けていないなど、こちらでは対処できない問題は残されたように思われる。公開授業なので、聴講していた堀さんも試験にチャレンジしたが、答案の提出は辞退されたので来週の講評会に出ることをアドヴァイスして終了した。
午後6時半過ぎに、タクシーで帰宅して夕食をとり、メールのチェックやフリーのホームページの選択をしていると、午前2時になったので就寝。携帯電話で実家の母親と話したのだが、母は明後日は小津安二郎「東京物語」のオマージュの「東京家族」を映画館でレディースディなので観に行くそうである。小津の映画については語りたいこともあるが、長文になったのでこの日の備忘録の書き込みはこれでお仕舞とする。(※)少しだけ小津映画の特色を書くと、これは大学時代の友達川北氏や教え子の伊藤くんの言うように、子役がお爺さん・お婆さん、あるいはお父さん・お母さんに対して小憎たらしい態度を撮らせたら超一流であるということである。下の「東京物語」では、尾道から出てきた笠智衆と東山千恵子のお爺ちゃん・お婆ちゃんにお受験が近いから「帰れ」と言わせたりして、小憎たらしいガキを上手く演じさせている。特に、原節子の下にいる弟もお兄ちゃんの真似をして「かえれ~」というシーンは子供の憎たらしさが上手く出ている。
(追記)
帰宅すると、樋口陽一先生から寒中見舞いが届いていた。先生、ありがとうございます。