採点

2013年01月31日 02:30

 1月29日の備忘録。

 昨日は、ほとんど試験の採点をすることなく就寝したので、今日から「現代人権論」および「法学概論」の試験を採点しはじめる。

 全体的に、みんな答案はよく書かれていた。不合格になったのは、形式的基準である答案用紙の90%を埋められなかったか、章立てが明示的にきちんとなされていなかったかのいずれかである。

 個人的には、勉強とは切磋琢磨してお互いに向上するものであるで、成績表を掲示板に貼りだし、模範答案も開示すべきものであると考えるが、この中には当然、不合格者も数人いることに鑑みて成績上位5名の名前を挙げて表彰するものである(その掲示については、授業で予告した)。

 1位 井内義浩くん 95点

 2位 北崎未来さん 93点

 3位 関根法子さん 92点

 4位 宮阪雪菜さん、野藤千聖さん 90点

 この受講者数で5名もS評価を付けていることから分かるように、わたしの試験はそんなに難しい試験ではない。ただし、他の先生と違って試験ができなければ、いくら通常点がよくても不合格を付けるので、落とされた学生がデマを流していると思われる。そうであっても、この5名の答案は本当によく書けていました。今後もこの調子で頑張ってもらいたい。

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模範答案

課題1 功利主義によって人権を基礎付ける場合、「人間の尊厳」の原理とって不都合なことはないのか、具体的事例を挙げてその可否を論じなさい。

 

現代人権論 △△学部◎◎専修  学籍番号☆☆☆☆☆☆☆ 井内義浩

一.本来、人間は、人間が神の似姿に造られているから、あるいは人間には生まれつき「人間の尊厳」がインプットされ兼ね備えているという前提から、すべての動物のトップである万物の霊長としての人間だけが権利を持つことができるという理由付から構築されている。この理論によって私たち人間は、自分たちより劣った動物を食べることができる。アリストテレスの「性質説」を取り上げると人間は牛肉を食べていく性質を持ち、牛は逆に人間の胃袋に納まる性質を持っているから食べられるということになるが、「性質説」を用いると人間においても生来的に「奴隷」の性質を持っているものが「奴隷」だという人権差別の要素を含む身分社会を肯定することになるために、この説は採用できない。

二.それによって、「人間の尊厳」を発展させて、人間だけが理性的に判断して行動ができるという理性万能主義に徹底してしまうと人間は他の動物に比べて知性が高いため生命を含めて支配とてよいということになり、別解釈をすると、知能指数が高いクジラやイルカは権利を持ち支配することができず、知的障害者は健常者に比べて劣っているため差別をしてもかまわないということになり、それは第二次世界大戦下の日本やナチスの人種法などの人権の普遍性を侵害する法として現われてきてしまうおそれがある。

三.人間たるホモ・サピエンスの人権を一律に「人間の尊厳」に求めたとして、これが通説的見解で止まってしまうのは、現在のところ地球上の生物の中では人間より優れた動物がいないからである。ロバート・ノージックのように、地球外から人間よりずっと優れた宇宙人が襲来して侵略した場合、これらの論理は崩壊してしまう。ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」に要約される理論における功利主義の考えを用いるならば、我々人間たちは食べられる動物たちの不幸よりも、動物を食べて感じる人間たちの幸福の総計の方が大きいならば道徳的となる。この功利主義を貫くならば、上記で述べたように人間より優れた宇宙生命が地球に襲来し、人間を食べ侵略した時に、圧倒的な科学力を持つ宇宙人が「お前達人間が劣った動物たちを食べるように、我々も劣ったお前達を食べる」と主張した際には反論は不可能である。

四.また、生命体における集合ではなく、人間に功利主義を限定したとしても常に都合が良いというものではない。完全たる功利主義を通す場合、ある健康体である人物が何らかの事象の結果、脳死状態となった場合ドナーカードや親族によるインフォームド・コンセントがなくても、必要とする患者が存在すれば、その人物は解体されあらゆる臓器を提供し、必要があれば角膜、骨髄に至るまでのありとあらゆるものを即刻提供することになる。それは、“脳死状態にある人物の解体に対して臓器提供等を受ける患者達の授かる幸福の方がはるかに勝る”と理論付けられるからである。

五.したがって功利主義に人権を基礎付ける場合、最大多数の最大幸福という考え方は、全体主義的な思考に偏ることが予想でき、個人の尊厳を確保するのには難しいものとなる。よって、現在において人間よりも優れた動物は存在しないという前提での人間だけを特別視し、動物界における功利主義を採る一方で、人間での基本的人権の理由付においては「神の似姿」論たる一人一人が「人間の尊厳」を持ち、個人の尊厳性は侵すことができないとする基本的人権の位置付けをしている。功利主義を全て否定するわけではなく、人間という種の存在意義は功利的に扱う上で、プトレマイオスのような地球が中心に存在し、地球に神がいるという理論を軸に神の似姿たる人間は最も近い存在であるという考えに徹底した方がこの二つの原理を用いて人間の基本的人権を位置付ける上ではるかに容易で完結する考え方であり、惑わされる必要がないのである。

                                                                                   -以上-

(注意書き)

  若干の修正は入れたが、ほぼ井内くんの答案をそのまま掲載した。そのために、最後の部分の日本語は少々理解しずらいところとなった。さらに進んだ功利主義の学習として、以下に挙げる安藤馨氏の著作を読むべきであろう。もっととも、安藤氏の見解はわたしとほとんど相容れないものである(なお、わたしの見解はこのホームページにアップした『国法学講義ノート』第5講を参照のこと)。しかし、学問というものは違った見解も知ることにより展開するものであるから、訪問者でこの議論に興味を持たれた方には一読をお薦めする。

 

 

 

 

  このホームページの訪問者はハーバード大学の法哲学教授と言えばマイケル・サンデルの名前を出すであろうが、わたしが学生時代にはハーバード大学の法哲学教授と言えば二大巨星のジョン・ロールズとロバート・ノージックであった。特に、ノージックの論文はわたしの学位論文が国家の権力独占と私人間効力をテーマとしたものであたので、『アナーキー、国家、ユートピア』はよく参照させてもらった。わたしの既発の論文では1本を除いては、引用もされていないがドオゥーキンとともに学問的バックボーンであることは確かである。前掲書には、例え話で「宇宙戦争」や「マトリックス」と強調する話が出てきて、大学生レベルでも楽しめると思う。大先輩の山下先生が「イェリネック、ケルゼン、シュミット」がドイツ国法学の三大話であると言を借りるなら、わたしにとって「ノージック、ゲワース、ドオゥーキン」が英米法哲学の三大話になろうか。

 

  ジェレミー・ベンサムは修士時代、清水先生のゼミでフランス語版を2年間講読した思い出がある。

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 夕方に、先日のブログで書いたKindleが到着、またWebnodeのバージョン・アップの手続きが完了し、こちらのホーム・ページに戻ってくることが可能になった。Kindleの方は、Wi-Fiで接続しなければならないそうなので、明日、ヤマダ電機にでも行こうかと考えている。実は、一時期スマートフォンにしていたことがあったので、そのままにしていれば問題なく接続ができたのであるが、病気でタッチパネルが上手く操作できなかったので、違約金を支払って元の携帯電話に戻したという経緯がある。

  

  部屋の一角に堆く積まれた本の一部。右側は『へうげもの』などコミックが見られるが、左側は専門書が多いことが分かると思う。本棚に収納できないのは、3年前の震災で本棚が3竿が壊れてしまったことと、上記写真から理解できるように専門書に付箋やメモ書きを挟み込む習慣があるために平積みしてしまうからである。このコーナーは江戸学に凝っていた時期に読んだ本が置かれているので、江戸とか歌舞伎とかついた名前の本が散見される。左側は法哲学関連とフランス革命関連の和書が積み上げられている。この写真では写っていない右側にはイェリネック、シュトロアイス、レプシウス、メーラー、チェンチャー、アフォルター、ロマーノおよびオーリウなどの原書が同じような感じで平積みされている(こちらは企業秘密なのでお見せしません)。わたしは本は捨てない主義であるから、どうしても全部屋がこのような状態になってしまう。それを緩和するために、Kindleを購入したのであるがこの問題は解決するのであろうか。

  それでは、本日の書き込みはここまでということにしよう。