採点(2)とDVD観賞
1月30日の備忘録。
昨日に引き続き、月曜に実施した「法学概論」の期末試験の答案を採点する。その結果は、以下のようなものである。
下記の「現代人権論」と同じ理由で、成績上位5名をここに掲示して表彰することにする(この掲示については、あらかじめ授業で告知した)。
1位 中山佳紀くん、田辺亮くん 93点
3位 星野莉奈さん 91点
4位 川又大生くん、松井康太くん、鈴木雅輝くん 90点
今回の成績に誇りをもって、他の科目の試験でも頑張ってもらいたい。また、ここには掲示していないがA評価でも絶対に不合格にならない模範答案を書いてくれた学生が数名いたので、これはわたしの所属教室の学生が受講者の大半を占めるとはいえ、素直に喜びたい。ここが難しいところなのだが、模範答案は絶対に不合格にならないが、反面、個性が出ないのでS評価には至らないな(まるで、優性遺伝子のような感じがする)。ただし、資格試験などではホームラン答案を狙うよりは、こちらの方が堅実な勉強法なので多くの学生はS狙いよりはA狙いでいった方がよいかもしれないと最近思うようになった。
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模範解答
課題2 平等原則の「合理性の基準」の目的テストと手段テストとの関連で、仮に動物愛護という目的から現在における新生類憐みの令ともいえる法律が国会で成立し、その罰則規定において人間以外に動物に加害行為を加えた場合、死刑を含める重罰が科せられると規定されていたとするならば、この法律は合憲か違憲かを論理的に論じなさい。
法学概論 △△学部◎◎専修 学籍番号☆☆☆☆☆☆☆ 田辺亮
一.元々江戸時代に生類憐みの令を出すこととなった背景に、徳川五代将軍綱吉はその目的として「殺生を慎め」ということを第一原則として挙げていた。当時は武士の身分は帯刀を許されており、己の判断のままに「切り捨て」することができたので、そうした血気盛んな武士などの民衆に対して命の尊さをこの法令を通して訴えかけたのである。(まあ将軍が愛犬家だったという単純な理由もあるとは思うが…)これだけを考えると、この法律自体の目的としては何ら理にかなってないとは言えない。しかしここで挙げるべき問題点は、この法律が死刑を含む刑罰付きであるということだ。この法律の合理性の基準として、果たしてこのことは正当であるかどうかを考えてみる必要があるだろう。
二.まず現在の日本にはこれに似た法律が存在しているのかを考えてみる。それには「動物の愛護及び管理に関する法律」とよばれるものが当てはまるだろう。この法律は一般に「動物愛護令」と呼ばれる。この法律の目的とは「生命尊重、友愛及び平和の情操の滋養に資する」というものであり、生命遵守という点では「殺生を慎め」という目的を掲げた生類憐みの令と同列に扱われるものであると考えられる。ここから動物愛護令と生類憐みの令の違いについてみていきたい。動物愛護令についての罰則は第44条にもとづき、1年以下の懲役または100万円以下の罰金となっている。それに対して生類憐みの令についての罰則は最大で死刑である。つまり、この2つの法令では罰則が大きく異なっているのである。次に範囲についてだが、動物愛護令は飼育動物が主体となっているのに対して、生類憐みの令ではその対象が魚、貝、昆虫にまで及んでいる。罰則と範囲、この2つが動物愛護令と生類憐みの令に大きな差を生む要因となっている。
三.では、この生類憐みの令は合理性の基準にかなっているのかを考えてみると、必ずしもそうとは言い切れないだろう。問題はその罰則の程度にある。動物や昆虫に対して傷を負わせることで死刑にまでなってしまうと考えるのは、万物が平等であると考えても、やはり動物、さらには虫までも人間と同列にして扱うのはさすがに無理が生じるのではないか。人間と同じように注意して行動するわけではないので、例えばカエルを誤ってひいてしまったり、体の機能が異なるので飼っていた犬を病気にさせてしまうことも可能性としては十分にあり得る。それら全てのことが生類憐みの令の下に死刑にされてしまうのかどうかの嫌疑にかけられてしまっては、それこそ「生命の尊重」とは何かという疑問が出てきてしまう。以上から、この法律は今の生活のなかで取り入れることには無理が生じるであろう。よって合理性の基準となる規則の必要性や合理性、同じ目的を達成できるより緩やかな規則の有無の観点において、生類憐みの令の原則は「国民一人ひとりが国家との権利・義務の関係において等しく扱われなければならない」とのことなので他の生き物に関しては掲示していないことから、人間と同列で扱うべきということは考慮していない。
四.一説には、生類憐みの令が元になって今日の日本で適用されている動物愛護令が生まれたという意見がある。一般に「天下の悪法」とまで言われることとなった生類憐みの令であるが、日本で初の生命を尊ぶことを目的とした法となったためにここから刑法の殺人罪や、児童虐待防止法が生まれ、現在の法律として存在しているとも言われている。素晴らしい目的の下で生まれる法律であっても一歩その基準を間違えれば人々に受け入れられないものになってしまう。目的が同じであるならば、より現実的な手段、合理的な基準で法律を作るべきではないだろうかと考える。
-以上-
おそらく、法学部法律学科の教員ならばこれで最優秀答案なのかと疑問を持たれるかもしれない。しかし、わたしの担当は教養教育ないし社会科教育での法律学講義である。さらに、上記の問題は「悪法も法なりや?」という所謂「ラートブルフ定式」の問題ではないか、あるいは日本法制史の問題ではないかという批判があるかもしれない。このような疑問や批判をとなえられる方は、ハッキリ言っていまの大学に就職できたことを天に感謝してもらいたい。細かい法律論など展開すると、少なくとも本学の中では完全に浮いた存在になりますヨ。「ラートブルフ定式」については、わたしの『自治研究』に掲載されたドイツ連邦憲法裁判所の「壁の射手」判決の判例評釈を見ていただきたい(後にドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例Ⅲ』に収録)。さらに詳しくは、足立英彦氏の東北『法学』に掲載された論文、Nomosから出版されている博士論文が有益である。
なお、平等条項については木村草太氏の下記のモノグラフィーが最近出版されたもののなかでは、―異論は当然あるが―一番問題触発的であると考えられる。
但し、反省すべきなのは最高裁が法令違憲判決を下しても、なかなか立法府によって当該条項が改正されないまま放置されることはぐらいは受講生に理解させるべきであった。
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午後から、ヤマダ電機で先日書き込んだようにWi-Fi環境を整えるために下記L04Dを購入。しかし、接続までの手続きに時間がかかったために、店内で時間を潰していたらドイツ語の電子辞書がかなり安くなっていたので貯まっていたポイントを使って、下記の電子辞書を購入。
それでも、まだ時間が余ったのでDVDコーナーで以下の三つの日本映画のDVDを購入。おおよそ、2時間半程度ヤマダ電機で時間を過ごした後、自宅マンションに帰宅し、先のDVDを下記の順番で午後5時から翌午前2時までかけて観賞。
①「テルマエ・ロマエ」
これは珍しく、原作のコミックを読まずに観た映画であるが、阿部ちゃんが濃い顔をしているので古代ローマ人ルシウス役をやっても違和感があまりなかった。一応、エンドロールでこの映画は東京大学大学院人文社会系研究科の監修を得ているのには驚いた。上戸彩が『ローマ人の物語』ではない本を読んで、五賢帝時代を勉強し、発音がイタリア人ですら明確でないラテン語を薄っぺらい参考書で完全にマスターしているところはご愛嬌か。わたし自身はハドリアヌス帝の後継者を忘れていたが、高島政宏の演じていたアントニヌスがアントニヌス・ピウス帝であることは途中で思い出した。しかし、コモドゥスの名を持つ皇帝継承者は「グラディエーター」をはじめとして暗愚な人物が多い。もう一回、塩野先生の『ローマ人の物語』を読み直すか。
Marcus Cocceius Nerva
Marcus Ulpius Nerva Trajanus
Publius Aelius Traianus Hadrianus
Titus Aurelius Fulvius Boionius Arrius Antoninus Pius
Marcus Aurelius Antoninus
皇帝の胸像を観ていると、ピーター・グリナウェイ監督の「建築家の腹」を思い出した。わたしが学生時代、彼の作品である「コックと泥棒、その妻と愛人」、「英国式庭園殺人事件」、「プロスペローの本」および「ヘビー・オブ・マコン」などを銀座や渋谷の映画館で観た。これらの映画音楽担当がマイケル・ナイマンで、彼の演奏会を聴きに多摩パルテノンに行ったことも懐かしい。個人的には、グリナウェイ作品では「ZOO」が好きである。ちなみに、「料理の鉄人」の挑戦者の紹介のときに流れていたBGMは「ZOO」のTime Lapse(https://www.youtube.com/watch?v=aui92OsawRY&list=PLEE15F0799DD274C1)で、審査時間に流れていたBGMはナイマンの「コックと泥棒、その妻と愛人」のテーマ(https://www.youtube.com/watch?v=ZG_-iTyQdog)であった。
②「武士の家計簿」
去年まで本務大学にいて、わたしが闘病中に他の大学に移籍した磯田道史氏の原作を元に映画化された作品。この映画の内容はそれなりに面白いが、本来的には本務大学の看板教員になるはずだった磯田氏のエクソダスの方に関心がいってしまうのはわたしだけか。わたしにとって、森田監督は「家族ゲーム」ということになる。配役で気に食わなかったのは、大村益次郎役の嶋田久作である。全然、キヨソーネの肖像画とかけ離れた顔立ちだし、嶋田といえば「帝都大戦」の加藤保徳の印象が強すぎる。
森田監督と言えば、この「家族ゲーム」のワンシーンである。これはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と同じく、このような横一列でご飯をたべることはまずない。もっとも、このテーブルの向こう側に大画面プラズマTVでもあれば別ではあるが、時代的にそんなものは存在しない。
荒俣宏氏を一躍有名にした『帝都物語』の映画化。魔人・加藤保徳を文庫表紙イラストを描いていた丸尾末広らの絵からは想像できなかったが、嶋田久作が加藤を演じきった。映画的には、「帝都大戦」の方が好きである。
「切り裂いた闇が吠え 震える帝都に~」
どう考えても「帝都物語」の二次創作、女の子ヒロイン・ヴァージョンの「サクラ大戦」。でも、『帝都物語』にも辰宮母娘が出てくるんだな。
③「利休」
勅使河原宏監督版の「利休」を20年ぶりに観た。勅使河原監督と安部公房氏の組み合わせの映画は難解で、いくつか観たがさっぱり分からない映画であった。それに比べれば、この映画は冒頭の一つの朝顔の花以外を除いて、他の朝顔の花を切らせるシーンは分かりやすい。個人的には、この作品と「豪姫」を観て「へうげもの」を読むなり、観たりするのが侘び茶を知るのに有効だと思う。
この映画の見せ所は、家康に切腹を命じられた仲代演じる古田織部が辞世の句を読むところ(「いふならく 奈落の底に入りぬれば 貴人も下人も変わらざりけり」)。この映画にインスパイヤーされて、マンガ『へうげもの』やアニメ「へうげもの」を読んだり、観たりしてしまうんだな。わたしにとっては仲代達也は「二〇三高地」の乃木希典か、この「豪姫」の古田織部か、あるいは「金融列島」のACB銀行名誉相談役が当たり役だと思う。やはり、黒澤映画だと三船敏郎の代役の感を免れない。
『へうげもの』の最大の欠点は、女性に魅力的な人物が登場しないことである。
病気で入院中、小林恭二氏の本を古本で20冊ぐらい購入して、退院後、自宅で静養していたころ読み直してみた。ま~、この程度が茶道初心者には適当な本かなと思う。親戚の女性陣はお茶の先生が多いのに、わたしは飲み方も自己勝手流である。ただし、この本で知ったのであるが茶席で酒を飲んでも礼儀に反しないとは……。
恐れ入りました。