教授会
4月3日の備忘録。
今日は、朝から大雨であった。しかし、臨時教授会が午後から入っていたので、午前9時頃には大学に到着していた。おかげで、全身びしょびしょになってしまった。
まず、昨日は総務に欠勤届を申告していなかったので、その申告を済ましておく。
午前10時過ぎに、このブログの記述していない部分をパソコンから入力しはじめる。かなり前の部分が、記載されずにいたためにその記憶をメモ帳などから再現する。したがって、この備忘録の記載にはわたしの記憶違いが若干紛れ込んでいることをあらかじめお断りしておく。
ある程度、空白を埋めてからメールをチェックする。生涯学習センターからのメールによれば、殊勝にもわたしの「法学演習」を履修してくれた社会人が4名いたそうだ。お恥ずかしい話であるが、わたしの演習、すなわちゼミは籍のある社会科教育教室の学生がいないという状態が、ここ7年間続いている。したがって、わたしのゼミが保てているのは他学部、あるいは他教室の学生が履修しているからに過ぎない。もっとも、外書講読のゼミであるから履修者の多くは他大学の大学院に進学しているのであるが、教室としてはあまり、わたしのゼミは歓迎されていない。とりあえずはこれで、ここ4年間履修者0名のゼミから脱却することができそうである。しかし、本当にカール・シュミットとルドルフ・スメントの往復書簡を読むのだが、これらの受講者は最後までついてこれるのだろうか。前回は、エルンスト・フォルストホフを読んで2名の内1名が途中脱落しただけに、一抹の不安が残る。今から、10年前には五十嵐君等がいてレオン・デュギー、モーリス・オーリウからジョゼフ・ヴァルテルミーまで読み進んだが、彼は例外中の例外と見做さなくてはならない(五十嵐君は二年の時からわたしのゼミに参加していた)。
午後1時から午後3時半まで、臨時教授会。どうやら、科研費申請の結果が公表されたそうなのだが、わたしには通知がまだ来ていないから駄目だったのだろうか。今回は、研究支援委員であったので、他人の申請書のチェックばかりやっていて、自分の申請書は3日で書いたものであるから、それはそれで仕方の無いことかと一人で妙に納得してしまう。
ちょうど、雨が上がった午後5時半ぐらいに自宅マンションに到着。熊本大学の大日方氏からの論文の抜刷りをいただいた。いつも、大日方先生の五高日記は拝見させていただいている。しかし、わたしではなくもっとご高名な先生に抜刷りを郵送した方が有効ではないのか、と思いつつ、早速、ぺらぺらと積読して、携帯のからお礼のメールを送信した。現在、校了を終えた本務大学の紀要に掲載される論文が活字化されるのは、おそらく4月下旬であろうから、それと一緒に感想文を送付する予定なので、いましばらくはご猶予のほどを。