教授会と忘年会
昨日は、今年最後の教授会があり、出席してきた。本務大学の教授会は、厳密に言うと教授会、教育会議および研究科委員会から成り、通常はだいたい午後1時より3時間半から4時間半前後審議と報告がおこなわれるのであるが、昨日は午後6時半より教職員の親睦会、実質は忘年会が入っていたので1時間半で終了した。来年は、1月9日が第1回目の教授会開催予定である。とはいえ、学校生活のサイクルは4月から、翌3月までの年度制で回っているからセンター試験、学年末試験、卒論・修論発表会、卒業判定、前期試験、後期試験そして卒業式、新入生の受け入れ準備と1月からの方が実際は忙しくなっていく。とりあえずは、推薦合格者判定が終わったので数多ある入試のうち、ひとつ入試業務が終わったということになる。
午後2時から、会場までの移動バスの出発の時間まで3時間ほどあったので、まず学務の菊池さんと相談して「日本国憲法」の集中講義を2月中旬に開講することにしてから、残りの時間でこのホームページに『国法学講義ノート』の第1講と第2講のレジュメをアップする。時間があれば、暇を見つけて残りの部分もアップしていきますので期待しないで待っていていただければさいわいです。
それから、メールを確認すると福島高専の木原氏からメールが来ていたので読んでみると、来年3月から1年間カナダに外地留学が決まったので、その間にわたしに非常勤に来てもらいたいとの依頼であった。「木原君おめでとう」と言う反面、病気上がりの現在の体調ではいわきまで行く体力と気力は残念ながらないので辞退することにした。しかし、高専は下手に地方大学に就職するよりも待遇が良いみたいである。木原氏は、博士号取得のために専任のままで東北大学大学院に通学することを許可され、その目的を達成したし、今度は内地留学ではなく外地留学1年とは地方国立大学法人では考えられないことである。それはともあれ、木原氏を助けると思って福島県近隣に在住している法律学者は、この非常勤講師の仕事に名乗り出てください。おそらく、彼は歓迎してくれると思いますよ。
ついでながら、携帯で掲示板を設営しているのであるが、それを見てみるとすぎもっちから、疫病を鎮めるためには祭壇を2倍にせよというデルフォイの神託を受けたアテナイ人が、その解決方法をプラトンに質問したという話を読んでいるという書き込みがあった。しかし、これって小学生で習った幾何の三角関数の問題で簡単に解けるのではないか、と思ってしまった(正方形を二つの三角形に分け、対角線を求め、その一辺の長さを求めた上でそれを三乗(縦×横×高さ)してみる。ただし、近似値ではあるが、ピタゴラス学派は虚数を認めないから、これも一つの解答にはなるハズ)。どうして、同時期にいたピタゴラス学派の人間に質問しないのかということも疑問であるが、エジプト人に比べてアテナイ人が数学に意外に疎かったことが伺えて面白かった。
午後5時45分発のにバスに乗って、午後6時過ぎに忘年会会場のホテル・テラスに到着。くじ引きで席が決まるのであるが、Ⅰ席で本田、橋浦、日下、神部、野崎先生と一緒のテーブルになる。今年の目玉は、音楽科の藤田、谷川先生のコンビで『オペラ椿姫』の「乾杯の歌」を聴けたことであるが、ピアノ演奏は音楽科の学生がお手伝いというかたちで行っなわれたのであるが、これが後で述べるハプニングに繋がるとは、このとき誰も予想していなかったであろう。ま~、病気の関係上、お酒は極力飲まないようにしているのであるが、飲むことを前提とした料理なので、料理の献立ももそのようになっていた。とりあえずは、付け出しと、刺身と、鴨鍋は食べたがお腹いっぱいということにはならなかった。そうこうしているうちに、ビンゴ大会になったのであるが、今年の目玉は自転車であった。これがディズニーランド家族旅行券などであれば、独身者のわたしが一等になっても申し訳ないと思われるので、辞退しなければならないのであるが、自転車であれば話は別である。当然、病気のリハビリや交通費を浮かせるために有効なので、久々に一位を目指しましたよ(ここで、ビンゴ・ゲームでどうやって一位を目指すのかは突っ込まない)。順調に、左下斜めから番号が埋まってきて、後、右上斜め上の24番が出ればというところで、「ビンゴ!」という声が。ところで、その人物を見てみると教職員では見たことのない顔なので訝しがったところ、なんと、先のピアノ演奏のお手伝いをした学生であった。当然のことながら、彼女は迷わずに自転車を指名して、それをゲットした。その次に、やっと24番が出てわたしと金子、渡辺先生が二位になったのであるが、下手に大きなものを貰うと後で処分に困るので、健康入浴剤・日本の秘湯セットを選んで、それでよしとした。もちろん、ビンゴ担当の斉藤先生は「先生、それは参加商品ですが」と言ってくれたが、今回の目玉は自転車以外ないので、それ以外はわたしにとってはみんな同じ価値であった。
というわけで、約2時間にわたる忘年会も無事終了、ビンゴ大会も一位でなく二位で終わって、こんなことで今年の運を使い切りたくないのでなかなか充実した忘年会であった。残念なのは現学部長に代わって、田代学部長時代の昔ながらの羊羹のお土産がなくなったことか。この羊羹は、実家に持って帰ると両親が喜ぶので、昔はあまった羊羹をもらったこともあったのである。
このようにして、午後9時頃に無事帰宅。しかし、大学に10時間以上拘束されると、内容が仕事でなくても結構疲れてしまうものである。