教授会or試験救済対策
2月19日の備忘録。
現在、本務大学ではインフルエンザが流行しているらしい。13時から始まった、平成26年度個別学力検査の打ち合わせ会では、O先生からO学部長がインフルエンザを拗らせて肺炎になったとの報告があった。それほど、今年の冬は異常に寒いということである。このことは、当然ながら学生にも影響を及ぼし、17日17時半の締め切りまでにノートを提出できなかった学生が10人前後出てくる原因となった。田舎に帰省中に大雪にあい大学に戻れないとか、ノロウイルス感染とか、本学と提携を結んでいる大学に短期留学に行くとかetc.で、それに対する救済策を講じる必要性が出てきた。とりあえず連絡が取れる学生に連絡し、最大公約数をとって救済策を本日午後に設定したわけである。おかげで、昨日の夜から携帯やメールがしょっちゅう鳴りっぱなしだった。結局、終了が18時半過ぎになってしまったので、15時から開催された教授会は出席できず仕舞い。とりあえずは、このことを見越して前日に委任状は提出していたのであるが。少なくとも、これで7名は救済できた。ちゃんと学生たちが所属教室の先生方に、私が救済の手を差し伸べたことを伝えてもらいたいものだ。
ところで、愚痴を書かせてもらうならば本務大学は「日本国憲法」を教養科目と専門科目に分けないで相互乗り入れ開講するという、おかしな大学である(少なくとも、私が教えたことのある国立大学、すなわち千葉大学、埼玉大学、東京農工大学と比較して)。さらに、そこに科目等履修生、公開講座聴講者、高校生が加わるので150名(1コマあたり)も履修者がいると、その成績入力がめちゃくちゃ煩雑になる。すなわち、ひとつの講義につき最低で4通の報告書を作成しなければならない(高校生が履修した場合、高校宛てに評価を書かなければならない)。それに、JABIや授業アンケートなどの書類を作成することになる。これはおかしなことで、私は本務大学に赴任した当初から、「教養コマを複数持つことに異論はないが、教養と専門は別開講してほしい」、あるいは「英語や理系科目にグレイド別開講があるのだから「日本国憲法」もグレイド別開講にしたら」と言ってきたにも拘わらず、大学側は「これまで、そのようなことはやったことがない」からという前例主義を持ち出し、この要求が聞き容れられたことががない(最近はバカバカしくなったので、意見も言わなくなった)。これではなんのために、私が教養科目を3つ担当(病気で倒れるまでは4~5)しているのか、また非常勤講師を雇っているのか、まったく理解できない。ま~、このブログを読んでいる文科省高等教育関係者はいないだろうが、読んでいたら「それはおかしいよ」と本務大学に指導していただきたい。勘違いしないでもらいたいのだが、私は講義をすること自体は好きなのでコマを減らせというのではなく、専門と教養を分けろと言っているだけである。授業アンケートが二極分解するのは、「教養と思ったのに難しすぎた」という学生と、「専門だと思ったのに、基礎的過ぎた」という学生に股裂きされるからである。そのために、私の授業アンケートは1か5で真ん中がほとんどいなくなり、授業の満足度については偏差値的には凡庸なものになる。
*補足するならば、教養と専門を相互乗り入れ科目にすることは学生に対しても欺瞞である。なぜならば、仮に「日本国憲法」を教養と法律学専門と分けるとするならば、それではなぜ、わたしが人文学部の学生を受け入れることになるのかの説明にならない。次に、十歩引いて「日本国憲法」を教養と教育学専門に分けたとしても、それは教育上、望ましいものではない。なぜならば、教育学専門であるとすれば2年次配当となるのだから、そこで教えられるべき内容は1年次配当のそれとはグレードを変えるべきである(教育学部に所属していてるから擁護するわけではないが、教育学部の専門科目が他の学部の教養レベルでいいというなら、それでは教育学部がかつての師範学校のように一段下に見られることを容認してしまうことになる)。つまり、一般教養と教育必須が同じレベルの「公民教育」であっていいはずはない。このことは、2005年の日本公法学会の質疑で私が提起した問題点からも明らかである。(Vgl.小室直樹『偏差値が日本を滅ぼす―親と教師は何をすればいいか』(カッパビジネス新書、1984年)、竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1999年)、橘木俊昭『学歴入門(14歳の世渡り術)』(河出書房新社、2013年))
(図1)
Aレベル 法律学専門
Bレベル 公民教育専門 教育学社会科教育専門
Cレベル 公民教育教養 教育学教員養成課程専門
Dレベル 政経既習者教養 教育学部教員非養成課程教養
Eレベル いわゆる、政経未履修者用の一般教養
「法学概論」の試験の講評は後日追記するが、とりあえず「日本国憲法/現代人権論」についての全体的感想はいまの学生は講義を聴いて、それをノートにまとめることが出来ないという傾向にある点を指摘しておく。もちろん、中には現代っ子らしくイラスト入りで、かつそれを使って今すぐに自身が教室で「政経」の講義が出来るようなノートを提出してくれる優秀な学生も20%は存在する。しかし、問題はその他の学生で、板書しかノートに書いていない学生とか、出席した回の板書しかノートに書いていない学生が相当数いることである(まったく、行間を読むという能力がない)。特に、後者はまともな「親友」がいないのであろうか(「友人」=「遊人」)。欠席しても、その回の講義のノートを見せてもらえる学友がいないとするならば、そちらの方が問題である。何しに大学に来ているのか、私には理解できない。そして、講義で取り扱えなかった法令違憲の最高裁判例を6っ調べてきて、ノートに書くことを課題にしたのであるが、これをきちんとやっていない学生が過半数はいた。仮にも、受講者の半分が教員養成課程の学生なのだから、「調べ学習」ぐらいはできて当然だと思うのであるが。
そもそも愚痴であり、だんだんネガティブな話になっていくので、私の心が和んだ、ノートの最後に書かれた学生の講義の感想を掲載させてもらう。
ほとんど日本国憲法について知識がない私でしたが、先生の分かりやすい例を混じえた授業&ノート作成で、かなり勉強になりました。ドラえもんや、最近話題のアニメの話を取り入れることで、頭の中にすんなりと入ってきやすく、また、全く別世界のことだという概念も自然と取りはらわれていきました。
最後の授業で先生が6っの判例について調べてくるようにと課題をだしてくださいましたが、正直その時は、“うわ、春休みが遠のく……”と思いました。しかし、意を決して調べてみると、「こんな事件があったんだ」「これ覚えておけばカ〇チ薬局の近く通った時とか、弟にドヤ顔で語ってやれるぞ!」と、だんだん自ら興味をもつようになりました。最後に心を鬼にして6っの課題をだしてくださった先生に、深く感謝致します。
授業もとっても楽しかったです。ありがとうございました!(教育1年・Kさん)←第1回目の講義のとき、この講義を聴いて知ったことを、家族や友人に「薀蓄」として語れという、私のことばを理解してくれてありがとう!
9時13分、駅前のすき家で牛小鉢たまご朝食 300円を食べる。
よく、海外の掲示板版サイトで外国人が箸を付けた(?)後の料理の写真をUPすることが、日本人のコメントにおいて「きたない」と批判されることが散見される。下記の写真は、見ての通り、卵かけご飯にしてから気づいて撮影したものである。
本当は、山かけご飯朝食のシリーズから注文しようと思っていたのだが、雪の関係でオクラが届かず、山かけご飯はないとのことで、牛小鉢たまご朝食を食べることになった。
12時34分、生協購買部で以下のものを購入。
三菱 SXN15007 126円
コープボールペンBPK1 84円
マウントレーニアカフェ 140円
トオカツ ジューシーハム 220円
この教室でお昼休み、および14時30分から18時まで学生の成績救済を試みた。結構、冷えて帰りはお腹の調子が悪くなった。
19時過ぎ、駅ビル内の中国麺家でハーフ坦々麺炒飯セット 980円を食べる。
18時以降、「法と社会」お疲れ会の幹事に任命した中野くんから、お食事会の時間・会場の問い合わせが来たので、Aurura de la vie、ペスケPあるいはPas a pasのいずれかに電話を入れて、2月28日18時半から20時半までに席が取れる店がないか確認し、席が空いていたら予約を入れるように指示する。
以下のツイートを発見
@kamachan9 どこにあるとか連絡先分かる?中野先生との食事会の候補で予約取らなあかん←私は、関西弁はしゃべりまへん(笑