日曜日―なんかソチ冬季オリンピックが終わりそうだ―
2月23日の備忘録。
個人的には、なにか今回のソチ冬季オリンピックは全然盛り上がらないままに終わりそうである。確かに、いくつかの競技は深夜まで観ていたが、それは歯が痛いので寝付けなくてテレビをボケーと点けていたからであり、積極的に誰かを応援しようなどとも思えなかったからである。では愛国心がないのかと言えばそうではなく、ただ積極的にメダル獲得至上主義になれない、と言うか、そもそも子供の時代に無かった新たな競技が余りにも増えすぎ、それに関心が持てなかったということが大きいと思う(わたし自身にとっては、専門で言うところの「人権のインフレ化」と同じく、「オリンピック競技のインフレ化」がメダル自体の質(価値)を逓減させてしまった)。
(追記)別の意味で覚めたソチ冬季オリンピックに対する感想を林知更氏が書いていたので貼り付けておく。
「2月21日(金)
世間で盛り上がっているらしいオリンピック、例によって、何の興味も湧いてこない。別に、偉ぶっているわけではなく、世を拗ねているつもりもない。自分にとってオリンピックが一番面白かったのは、1984年のロサンゼルス五輪だった。当時小学4年生。が、その後次第に興味が低下し、今はテレビも見ないし、ネットで結果も確認しない(見出しが目に入って、自然と知ってしまう、ということはある)。それにしても何故だろう、と考えて、何となく理由らしきものに思い当たる。子供の頃の自分を振り返ると、オリンピックの面白さとは、まず①順位争い(とりわけメダル争い)の面白さであった。順位付けなしで、一人の人が淡々と運動しているのを見るだけだとしたら、ちっとも面白くない競技は、結構ある気がする(もしかしたらそれが大半かも)。次いで、②自分の贔屓する選手(多くの場合は自国の選手)がメダル争いに絡んでくることの面白さ、がある。ノルディックスキー複合なんて、それまで全然人気がなかったのに、日本にとってオリンピックのメダル有望種目になった途端に人気に火がついて、低迷し始めたらまた人気も去っていった、という記憶がある。「競技自体が面白いんだ」とか「一生懸命頑張っている姿が美しい」等々、いろいろと綺麗事は言えるけれども、要するにこのふたつの要素がなかったら、多くの人はさほど興味は持たないし、このふたつの要素さえあれば、別にスポーツじゃなくても、どんなものでもそれなりに盛り上がれる。そう、例えばAKB総選挙のように(といっても、どういうものなのか詳しいことは知らないけれど)。
一言で言えば、そういう形で成り立っている娯楽というものに対して、興味を失った、ということだと思う。今は、野球もサッカーも全然興味がない。そんなことより、日本人かどうかとか、一番になるかどうか、などとは何の関係もなく、自分の心を動かしてくれるものが世の中にはたくさんあるはずで(例えば音楽にしても芸能にしても)、そういうものをなるべく大事にしたいし、自分が今一番恐れているのは、そういうものに対する感受性が年と共に鈍っていってしまうことだ。」
https://www3.plala.or.jp/verfassungslehre/tagebuch.html
9時34分、デニーズで野菜スープごはんM単品 400円を食べる。
13時17分、駅前のCoCo壱番屋でスクランブルエッグ・トマトアスパラカレー 780円を食べる。
18時56分、デニーズで牡蠣フライ膳単品 990を食べる。