日曜日

2014年09月21日 11:18

9月21日の備忘録。

 10時4分、駅構内の吉野家で鰻丼セット 740円を食べる。

 10時11分、駅前のYAMADA電機でRRXS355  6024円を購入。

 

 10時18分から14時10分まで、駅前のRAUM オアジで以下のレジュメなどを作成する。

「国法学講義ノート」

5講 法実証主義と自然法思想

 茨城大学教育学部准教授 中野 雅紀

 

はじめに

 

 違憲立法審査権において法実証主義と自然法思想を語る意義

 まず、法実証主義は制定法が全てであるので「憲法」と「法律」の間に序列関係がない。したがって、違憲の「法律」を同等の「憲法」に照らして「違憲である」と宣告することができない。これに対処するためには、「法律」を超えた規範である「自然法」を承認し、その自然法を体現化した「憲法」という上位規範を設定することによって「下位」の「法律」を「上位」の「憲法」に照らして「合憲」か「違憲」かを判断するしかない。戦前の日本においては「法実証主義」が採用されていたので、改正の手続の硬性・軟性を除いては「憲法」と「法律」の上下関係がなく、当然のことながら「違憲立法審査権」は認められていなかった。しかし、法実証主義が採られていたのには理由があるのであり、それなりの歴史的意味があったことは否定できない。過去の歴史的過ちを、現代人であるわれわれが批判するのは「高慢ちきな」態度であり、それは慎まなくてはならない。そこで以下においては、自然法から法実証主義、法実証主義から戦後の再生自然法主義へとの流れを説明することにする。

 Ex.法実証主義において、戦前の治安維持法、ナチスの人種法は違憲と言えるのか。

 

1.   古代から中世までの自然法思想

 

自然法思想と法実証主義の歴史はソクラテス裁判にまで遡ることができる。

そこで議論の中心となったのは、「悪法も法」であるのかという本質的な問いである。

  『ソクラテス最後の弁明』や『クリトン』

 

中世キリスト教社会においては、「神の法」や「自然法」が支配した。しかし、仮に神が実在するとしても、果たして、その「神の声」を知ることが可能であるのか。反対にいえば、この「神の声」によって為政者が恣意的な支配や裁判権を行使することにならないであろうか。

   王権神授説⇒神によって国王は地上の支配権を与えられているのであるから、国王の権力行使はすべて正統化される

 

 例えば、ジャンヌ・ダルクも神の声を聴いたのではなく、大天使ミカエルの声を聴いたに過ぎない。

 

2.   近代市民革命(フランス革命)以降の法実証主義の進展(「神の法」から「紙の法」へ)

 

近代市民革命は、国王のオールマイティーな権力を奪い、宗教と世俗の分離を目指す。したがって、国家権力と市民の間の法律関係は単純に不可視の「神の法」ではなくて、自分たちの代表者が制定し、それを文章化した可視的な「紙の法」に基づくことになった。また、これは自分たちの代表者によって制定された「法律」の支配によるものだから、「自己拘束性」のあるものであり、さらに「可視性」の観点から「法的安定性」と「予測可能性」を担保し、資本主義の発展を促した。

 その最高潮は、ナポレオン法典の制定に象徴される。

 

  遅れてきた、近代立憲主義国家である日本とドイツは近代法制確立のために、このフランスの法実証主義に倣うことになる。

  Ex.日独における法典論争

 グリム兄弟による、童話の収集および、その編纂はこの過程において行われた

 

 グリム兄弟 兄弟は法律学者から出発した

 

 江藤新平

 「維新後における民法編纂の事業は、明治三年に制度局を太政官に設置せられたのに始まったものである。当時江藤新平氏は同局の民法編纂会の会長であったが、同氏は「日本と欧洲各国とは各その風俗習慣を異にすといえども、民法無かるべからざるは則ち一なり。宜(よろ)しく仏国の民法に基づきて日本の民法を制定せざるべからず」という意見を持っておった。右は同氏の伝記「江藤南白」に掲げてあるところであるが、その「仏国の民法に基づきて」という言葉の意味は、如何なる程度においてフランス民法を採ろうとしたものであるか、如何様にも解せられるが、これを江藤氏の勇断急進主義より推し、また同書の記事に拠って見ると、敷き写し主義に依って殆んどそのままに日本民法としようとせられたもののようである。初め制度局の民法編纂会が開かれた時、箕作麟祥博士をしてフランス民法を翻訳せしめ、二葉(によう)もしくは三葉の訳稿なるごとに、直ちに片端からこれを会議に附したとの事である。また江藤氏が司法卿になった後には、法典編纂局を設け、箕作博士に命じてフランスの商法、訴訟法、治罪法などを翻訳せしめ、かつ「誤訳もまた妨げず、ただ速訳せよ」と頻(しき)りに催促せられたとの事である。箕作博士が学者としての立場は定めて苦しい事であったろうと思いやられる。しかも江藤氏はこの訳稿を基礎として五法を作ろうとし、先ず日本民法を制定しようとして「身分証書」の部を印刷に附した。磯部四郎博士の直話に依れば、当時の江藤司法卿の説は、日本と西洋と慣習も違うけれども、日本に民法というものが有る方がよいか無い方がよいかといえば、それは有る方がよいではないかという論で、「それからフランス民法と書いてあるのを日本民法と書き直せばよい。そうして直ちにこれを頒布しよう」という論であったとの事である。」

 

3.   戦後における「再生自然法」思想の導入

 

第二次世界大戦後に、ナチス・ドイツによる「法実証主義」による残虐行為が明らかにされる。果たして、法律という名前が付いていれば「どんな悪法も法なり」と言えるのかという問題に直面することになる⇒法という名前が付いているだけではなく、その法の内容の妥当性が問われるようになる。

自然法的側面の再復興⇒再生自然法思想

ただし、ここで注意しておかなければならないのは、この再生自然法思想は中世の「自然法思想」の先祖返りではなく、原則としては「法実証主義」を採用しつつ、例外的に「耐えられない程度の著しい不法」が存在する場合にのみ、そこに「自然法的側面(道徳、倫理、宗教等の自然法)」を包含する憲法に照らして、悪法に対して「違憲・無効」であることを宣告することができるという考えであることである。

Ex.ラートブルフ定式:正義に対する矛盾があまりにも耐え難い「不正な法」は効力を有しない

 

 ラートブルフ

 基本的な主張:法とは「法の理念に奉仕するという意義を持つ現実」であり、法の理念は正義でありその核心を構成するのは平等原則である。したがって、平等原則にまったく奉仕しない法は「法」ではない。

 

戦前(1933年以前):平等原則は非常に形式的であり、「等しきものを等しくあつかうこと」としていたが「誰を等しいものとみなすか」については何も語っていない。

価値相対主義の立場から普遍的に効力の持つ自然法を否定(法実証主義的)。

 

戦後(1945年以後):平等原則は、すべての人間を人権の共有主体として平等に扱うこと、すなわち人権の普遍性を含意するものとした。「人間を人間以下のものとしてあつかい、その人権を認めなかったすべての法律は、法としての性質を欠いている」と、平等原則と人権の普遍性との密接な関係を強調した。

 

戦後の論文に現れるラートブルフ定式:

  • 受忍不能定式:正義に対する矛盾があまりにも耐えがたい「不正な法」は効力を有しない。
  • 不忍定式:正義の核心をなす平等原則が法律の制定に際し意識的に否認された場合、そのような法律は裁判官が適用すべき法ではない。