日本のいちばん長い日(2)

2014年06月19日 10:15

6月19日の備忘録。

 9時3分、駅前のすき家で山かけのっけ朝食 410円を食べる。

 

 13時36分、揚げたて屋店でえび玉丼 810円を食べる。

 

 16時20分から17時50分まで、「法と社会」の講義を行う。

  今日は、前回に引き続き「日本のいちばん長い日」の後半部分を学生たちと一緒に鑑賞し、論評を加えた。


  社会科教育 佐藤さん

 美濃部達吉と天皇機関説事件について

 天皇機関説事件とは、美濃部達吉の学説である天皇機関説が反逆にあたるのではないか、ということが問題となり議会の場で激しく批判され、岡田内閣は軍部の圧力に負け美濃部の行政・司法処分を迫られたという、一憲法学説が権力によって禁圧された事件である。また、この天皇機関説排撃の運動は国体を明徴ならしめる(証拠などに照らして明らかにすること)という精神運動一環として行われているため、国体明徴運動と呼ばれている。

 天皇機関説がどうしてこのように激しい批判を受けてしまったのかというと、天皇を国家を統治する一機関であるとしたからである。また、当時の社会は、資本主義経済のゆきづまりや大陸権益の危機などで、政府は信用を失いつつあった。ここに国家主義的革新運動が台等し、政府に武力を使って圧力をかけるようになっていた。この国家主義的革新運動は軍部が強く影響していた。政友会の首相犬養毅がクーデターで殺されてからは、軍人が中心の挙国一致内閣の体制を確立しつつあったという背景がある。

 軍部は国体の維持を目的としていた。国体とは、天皇を倫理的、政治的、精神的中心とする国の在り方、、天皇制を意味する日本の伝統的国家体制のことを示す。軍部は国体の維持という大義名分を掲げて、国政に対する影響を拡大することを裏の目的としていたように思えてならない。そのためには国会の議員や学者のような軍部の方針に反対する勢力を排除する必要があった。それで美濃部達吉はこのような言いがかりをつけられて、議員を辞職した。軍部は武力を背景に国政の場に台頭し、日本を戦争へと導いてしまった。


 社会科教育 飯田さん

 国体と国体護持

 国体とは「天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方」(大辞林第三版より)である。そして、国体護持とは、それを守り抜こうとすることである。ここでは、終戦直前と終戦直後における国体護持の実態を述べる。

 まず、終戦直前についてである。1945年5月3日、木戸幸一が昭和天皇を説得した。何について説得したのかというと、いわゆる「聖断」についてだ。皇族存続だけを条件にして、早期終戦を試みたのである。このように木戸が終戦を急ごうとしたのには、ドイツの敗戦という背景があった。しかし、終戦を決定するには困難も多くあった。なぜなら、終戦に反対する人々もいたからである。その代表として挙げられるのは、当時の陸軍だ。大きな流れでとらえると、日本は広島における原爆投下を期にほぼ終戦へ向かっていく。しかし、その直前で問題が起きた。1945年8月10日、御前会議の結果、日本は「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」ポツダム宣言を受諾することを連合国側に伝えた。これは、端的に言えば、「『天皇による国の統治』を変更するつもりはないが、降伏はしようと思う」という内容である。すると、アメリカより国務長官バーンズが起草した回答が送られてきた。そこには、“subject to”という表現があった。この解釈を巡って、問題が起きたのである。外務省は「制限の下に」と訳したが、陸軍は「隷属して」と訳したのだ。だから、陸軍はポツダム宣言を受諾したら国体を護持できないと考えたのであった。このように、ポツダム宣言受諾か否かは、最後の最後まで意見が二分していたのである。一方、昭和天皇が国体護持よりも国民の安全を望んでいた。それは、「国体問題についていろいろの疑義があるということであるが、自分はいかになろうとも万民の生命を助けたい」という言葉から読み取ることができる。

 次に、終戦直後についてである。終戦から約一ヶ月後の9月27日、日本の国体護持が正式に認められることが決定した。しかし、天皇制をどのように残していくかが新たな課題となった。この課題解決に関して、昭和天皇は次のような見解を残している。それは、①皇室が権力から離れること、②天皇並びに皇室は平和的存在であること、③民主的な天皇であること、の3点である。GHQやCIEもこれに賛成し、ここから、新たな「国体護持」が始まった。そして、GHQによって天皇の「人間宣言」や神道指令が図られたのであった。

 このように、国体護持は姿を変えながら、様々な方法でその実現が目指されてきたということがわかった。


 参考文献 酒井直行編『日本の決断とマッカーサー』(新人物往来社、2005年)

                                                                      2014.08.03加筆補足

 

 18時44分、駅構内の吉野家で鰻丼 730円を食べる。