日本公法学会2日目―立命館大学―

2013年10月15日 13:26

 10月13日の備忘録。

 《シンポジュウム》 第一部会 大規模災害と統治のあり方 討論要旨

 第一部会では、小幡純子会員(上智大学)と駒村圭吾会員(慶應義塾大学)の司会の下、各報告者に関し予め提出された質問及び意見を中心に討議が行われた。以下はその要旨である。

 一 水島会員に対する質問

 中野雅紀会員(茨城大学) 水島会員が報告中に限界事例として提示された「首相が、災害時における緊急事態に際して私人または公務員に対し生命に関わる命令を行った場合、これを拒否できるか」という問題について。これを拒否できるとした場合、私人または公務員が命令に従わないことを、①ある種の「抵抗権」として正当化する理論構成と、②刑法的な「正当防衛・緊急避難」として「違法性(違憲性)」が阻却されるとする理論構成が考えられる。いずれの理論構成が妥当か。

 水島朝穂(早稲田大学) まず現行法上、災害時において首相は公務員に対して生死に関わる命令を下す権限を持っていないことを確認する必要がある。と言うのは、「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め」ることを宣誓しているのは自衛官のみであり、それ以外の公務員にそのような義務はないからである。確かに自衛官に関しては、上官の職務上の命令に服従しない場合等、七年以下の懲役又は禁錮に処せられる可能性があるが(自衛隊法123条)、これは自衛隊法76条1項に規定される防衛出動が発令されるのは外部からの武力攻撃に関わる場合のみであるから、災害時にはこれに該当しない。従って、現行法を前提とすれば、いま問題にしているような状況が実際に生じることはない。もっとも、災害対策基本法71条は、災害時において従事命令等を発する権限を都道府県知事に与えている。講学上はの人的公用負担にあたるものが、これを拒否した場合、六ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金が科されることになる。だが、これは刑罰である以上、通常の司法裁判所の手続に基づいて、裁判官が犯罪の成否あるいは罰金・罰則の程度を決めることになる。その過程において、命令を受けた者は、当該従事命令等は違法であると裁判官に訴えることができるし、三つの審級の過程で無罪判決を勝ち取ることができる可能性もある。中野会員のご質問に引きつけて回答すれば、このような全プロセスをもって、抵抗権の一つの現象形態とみることもできるかもしれない。

 中野会員 いわゆる「災害法制」と「有事・軍事法制」の関係についてご教示いただきたい。

 水島会員 冷戦下のドイツでは、ソ連との核戦争を前提とした「有事・軍事法制」が整備されていた。しかし冷戦後は脱軍事化傾向を示して、形式上はともかく、実質的には水害等の大災害を念頭においた「災害法制」へと移行した。それと同時に、法制度の目的が、国民保護から住民保護にシフトした。これに対して日本は、国民保護法の制定に象徴されるように、既存の「災害法制」が、「有事・軍事法制」の方に引っ張られるような形で組み立てられるというアナクロニズムが生じており、「災害法制」が災害時に力を発揮できない状態となっている。

                                                                 (『公法研究』第76号、138-139頁)


 《シンポジュウム》 第二部会 大規模災害と国民の生活 討論要旨

 一 棟居会員に対する質問

 中野雅紀会員(茨城大学) ①「大規模災害と権利保障」の問題を難しいものにしているのは、個人と自然の関係が、ホーフェルト流の個人―行為―他者(国家)間に成立する「請求権」「自由権」「権限」「免除権」で説明される個人―他者(国家)の相対的法関係と上手く接続できないからと理解できるが、棟居会員もこの法関係を意識した上で議論を展開しているのか。また、②災害においてはあくまでも被害者はこの「請求権」が伴わなければ意味はないのか。

 棟居会員 ①ホーフェルトの名を思い出さなくてもわれわれに染みついた、国家を縛るのが立憲主義だという教えがある。そこから国家論をむやみに拡張する自然主義的あるいは共同体的な国家、国民の幸福のなかにまで入ってくる国家は近代立憲主義とは相容れないから排除すべきだとすると、では自然災害はほったらかしなのか、それがデフォルトではないのかと居直る議論が生じる。しかしそこからスタートして、システムに関わればという国家論的な理屈で結局は個人の所得保障を一定程度正当化できるという二転三転するシナリオを述べた。したがってホーフェルト流というか立憲主義的な前提があるから自然災害に対して素直に個人保障とは言えないということになる。

 ②私が言いたかったのは、被災者救済について便利な魔法の言葉をもってきてすべてが解決するというような、いたずらに被災者を期待させるだけの理屈ではなく、裁判所も認めざるを得ないような普通の理屈からスタートして、それでも認められるとしたらどういう理屈なのか、特に予算の配分権をもっている実務家に通用する理屈はどういうものなのかということである。先程工藤会員に教えて頂いたように、予算配分する当事者が現に銀行救済のときに公金支出をやっているが、同じ理屈で大規模災害に臨めないのか。これは実務家に対しても一定の説得力というか、少なくとも真剣に反論しなければならないと思わせる何かはあるのではないか。

                                                                  (前掲、201‐202頁)

                                                                       2014年10月20日加筆


  

   

    

  

 

 

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