明日は教授会の後、忘年会
昨日の日記を今日付けて、今日の日記も今日付けるとは、なんとお前は節操が無いと言われるてかも知れない。しかしよく考えれば明日は教授会の後、教職員の親睦会、つまり忘年会があるので、1日遅れで日記を付けるとすると明日の夜は忘年会で日記は付けられないから、今日のことは今日のうちに書くということをお許し願いたい。実は、わたしも本務大学の教職員の親睦会長を5年ほど前に勤めたことがあり、ここ2年は病気の関係で忘年会は欠席していたのであるが、忘年会についてはまったく無関心であるわけではない。本年は、会場はホテル・テラスで行われるようであり、自宅マンションに会場が近いことから出席することにした。
ところで、わたしの本日の活動といえばこの前のブログとこのブログの更新がおもで、それ以外の活動はほとんどない。実際は、教科書の担当箇所の執筆を行わなければならないのであるが、ここ2年内に出版された憲法の教科書を概観するといったことで、あっという間に午後10時を過ぎてしまった。あくまでも個人的感想であるが、わたし自身は編著の教科書に体系性はないと思っているので、その段階で目を通す教科書も限定されてくる。佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂、2011年)、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第五版』(岩波書店、2011年)、岩間昭道『憲法綱要』(尚学社、2011年)および長尾一紘『日本国憲法[全訂第四版]』(世界思想社、2011年)などである。もちろん、辻村、松井、渋谷氏等の改訂版も魅力的ではある。個人的には、樋口、長谷部氏の教科書も好きである。しかし、どうしても学部生時代、青林の佐藤幸治憲法や東大書籍部の芦部講義録で勉強し、また大学院で指導を受けた長尾先生の本は頭に入りやすい。岩間氏の本は「憲法秩序」を担当する身からすると、おそらくはこの中では「憲法秩序」の内容が一番充実している。
このように考えていくと頁数の関係上、下手をすればこれらの内容の劣化コピーを生産するだけになってしまうのではないかと内心怯えている。ここら辺りが資料を集め、それを研究しているときは楽しいが、いざそれを活字にする局面に立つと楽しくなくなってくるという、学者でよく聴かれることばで表されていることなのだろう。今回のこの仕事で、学生時代の橋本公亘先生の「憲法変遷論」の説明についての講義を思い出すことになった。少なくとも、当時は小林直樹先生の「違憲合法論」はナンセンスに思えたが、橋本説にもパースペクティブ上の混同という問題があることを再認識することとなった。具体的には、橋本説は客観的事実認識レベルでの「社会学的意味の変遷」と解釈学的レベルでの「法解釈的意味の変遷」の区別を曖昧にしてしまうということである。