木曜、年内最後の授業

2012年12月20日 15:38

 とりあえず、2012年12月20日の備忘録を当日に付けている。とにかく、風邪がよくならない。来週は、共済病院に定期健診に行かなければならないのに大丈夫かと思う。

 午前8時半前後に起床して、朝食を飲まずに11錠の薬を飲んでおく。というのも、胃腸には優しくないが薬で病気を抑えている状態なのでとにかく処方された薬は飲んでおかなければならないからである。ニュースによれば、この朝は今年一番の寒さであったそうである。薬を飲んだあと、携帯電話のiモードで毎朝確認している記事を見てみようとするが繋がらない。よく考えてみると先週、携帯電話の料金の振込みをしていなかったから、20日に利用停止になるとのメールが入っていたことを思い出した。まずいので午前10時半に、タクシーを拾って市内のドコモ・ショップに支払いにいった。これで帰れればよいのであるが、今日は第5時限目に今年最後の授業が入っているので近くの刀削麺の店で、午前11時半ごろに昼飯(刀削麺)を食べて、大学方面行きのバスを待つこと20分、これでまた身体が完全に冷え切ってしまった。とにかく、バスに乗り込んで大学に向かい、生協の散髪屋に行って髭の手入れと洗髪をしてもらったら午後1時になっていた(ここまでが、昨日の書き込み)。IT基盤センター1階のPCルームでこの記事を書き込み時間を潰した後、教員控え室に向かってメールボックスを確認した。学会の会誌と、大学の試験関係の書類と大学院便覧の校正のお願いが入っていたが、またこれで書き仕事が増えてしまった。

 午後4時半から、ゼミ形式の授業。発表者は永山さんで、憲法改正手続き。テキストの長谷部『憲法とは何か』は読んでくれているのだが、彼女の指摘するようにこの新書発刊後に「憲法改正国民投票法」が制定されたので説明に苦労していた。ところでいまの学生は馬鹿正直(愚直)なのか、分からないところはわからないといって、その部分の解説を飛ばしてしまう―誤魔化してしまう(反対に、入学祝に電子辞書を買ってもらっている学生が多いので、漢字や英語の綴りを聴けばすぐに調べてくれる)。永山さんを例にすれば、「コンドルセの理論わかりません、これはとばします」とか、「○○頁の図は理解できなかったので、省略します」とか悪びれずに言ってしまうので発表時間の間が持たない。授業前に、「午後5時までは永山さんがこの授業の女王様、午後5時以降は他の学生が女王様の発表に満足いかなければ質問攻めという革命をおこせ」と言っていたのだが、質問者も限定されているのでなかなか時間の配分が難しい。ま~、学生諸君は憎めないやつが多いので、この形式の授業の仕方については改善の余地があろう。最後に、この授業の参加者には来年の「試験終了後にお疲れ会を開催して食べに連れててっやる」と言っていたから、連絡網を作っておいた方が便利なので年内最後の授業である今日、参加者の携帯電話のメルアドを一覧表に書かせる。ま~、携帯から年賀状も出しすことにしよう。帰りは、タクシーを呼んで午後7時前に帰宅。ただし、道がかなり込んでいたのでワンメーター分料金が高かった。ところで、通信教育で提出していたレポートが2通添削されて郵送されていたが「西洋哲学史Ⅱ」がAで、「ドイツ語」がBであった。ほとんど、時間の採れないままでレポートを作成したのでこの成績は満足であるが、やはりドイツ語はDuを主語とした文章作文がまずかったみたいである。これについては、ドイツ語は読んでもほとんど論文なのでDuは使用されていないし、研究会で招聘した先生とはさすがにSieでしか会話できないと言い訳しておこう。ここらあたりは、外地留学経験者で、留学時代に学生や助手であった先生を個人的にはDuで呼び合っているのか、またそれで済まされるのか留学経験の無いわたしには分からない。

 ところで、寝る前に林知更氏のHP公開上の日記を読んでいたら、「オーリウ『公法原理』の復刻版に対するオリヴィエ・ボーの序文を読んでいたら、今日のように公法が枯渇して干からびた時代にあって、オーリウを読むことは若返りの秘薬である、みたいなことが書かれていて、思わず笑ってしまった。私も是非若返らせてほしいと割と切実に願うが、ただ、本当に効果があるかを判断するには、まず長年のオーリウ研究者が若々しい様子をしているかをよく観察してみなければなるまい。それにしても、フランス公法史の鉱脈の豊かさよ。よく探したら若返りの薬だけでなく惚れ薬なんかも見つかるかもしれない」とのこと。わたしが今から10年前にゼミ生の五十嵐君とオーリウ『公法原理』を最初に読んだときは、地中海文明の発達の歴史から解説がはじまり、なんと大仰な本なんだと驚いたものである。末席に加えてさせてもらっている月1度開催のDAS研で、いままでフーバーやクリューガーの国法学の教科書の読書会に参加しているが、1960年代まではこのような形式面のみならず、その形式という器を盛る内容が広範囲に亘る教科書がメインだったのかと感心する。ある先輩がドイツ留学から戻ってきたときに、「ドイツの法学部で司法試験予備校のようなテキストが使用されていた」と言って、見せてくれたのがいま流行の三段階審査の口火となったピューロート・シュリンクのStaatsrechtであった。近頃、思い出ばなしが多くなってきたので、バイタルが低下している証拠なのか?

作詞 大森祥子 作曲 前澤寛之
 

思い出なんていらないよ

だって 今 強く、深く愛しているから

思い出浸る 大人のような甘美な贅沢

まだちょっと…遠慮したいの♪

(追記)

 上記で林氏のオーリウの話が出たので、研究者としてオーリウに関する思い出について追記しておく。実際のところ、現在を生きている以上、現在の英米独仏の学者で学会出張でお話ししたことがあったり、講演に来てもらった国法学者しか顔を知らないのが現実である。確かに、ゲルバー、ラーバント、イェリネック、カール・シュミット、スメントおよびケルゼンの顔ぐらいは知っているが、デュギーやオーリウの顔などは見たことがなかった。また、ウィーンに行ったとき、カール・レンナーの銅像を見たが芸術作品のような像なのでまったくどのような顔なのかわからなかった。

 ウィーンでこのカール・レンナー像に遭遇したが、これでは本当はどのような顔なのか分からない。 

 そこで、モーリス・オーリウがどのような顔をしていたのかネットで調べてみると以下のような肖像画が多くヒットする。

 現在、わたしは口髭をはやしており、髪も白髪が多くなってきており、眉毛が濃くて鼻が高いので風貌に親近感が沸いてきた。

 次に、林氏の書いている『公法原理』とは以下のDroi Publicのことであろうと思うのであるが、これについても思い出があるのでちょっと追記しておきたい。今から10年前に、わたしのゼミで殊勝にもデゥギーとオーリウで抵抗権について卒論を書きたいという学生(上記、五十嵐君)がおり、本務大学の蔵書にはフランスの国法学の文献が無いので、比較的場所の近い筑波大学にデュギー、オーリウ、エスマン、ヴァルテルミー、カレ・ド・マルベール等の原著があることが分かったので、その学生の自動車でそれらの文献をコピーしに通ったのである。ところで、フランスの本は原則的にペーパー・ナイフでくっついた頁の上部をカットしていって読むのであるが、筑波大学の中央書庫に所蔵のこれらの文献は東京教育大学時代に購入されたようなのであるが、頁がペーパー・ナイフでカットされた形跡が無い。ということは、折角の蔵書を50年も死蔵させていたということになる。図書館司書の方に頁がくっついているのですが、ペーパー・ナイフを貸していただけませんかと聴いたところ、「どうぞ、これをお使いください」と言われたので遠慮なくそれを使わせてもらった。現在、筑波大学の上記著者の本を読めるようにカットしたのはわたしと、わたしのゼミの学生であるということになる。学生の中に不器用な奴がいたので、少しカットの仕方が悪いのがあるが、それはわたしではありません。少し思い出に浸ってしまった(澪ちゃん、ごめん)。