2014年03月11日 10:52
3月11日の備忘録。
今日で、忘れもしない東北東日本大震災発生から3年目を迎えることになる。下記写真は、2011年3月11日に撮影した駅南の光景である。道路に亀裂が入り水が噴出しているだけではなく、よく見ると真ん中から段差ができていることが分かる。個人的には、この日よりも、その後半年以上に亘った余震に悩まされることになる。同じ県民ならば分かると思うが、これは地震発生から1時間半後、駅南のコンビニで食料と水の買い出しに行った際に撮影したものである(この手前の交差点の両端に二軒コンビニがある)。駅構内は立ち入り禁止になり、駅南のバスターミナルはガス漏れで閉鎖された。実は当日、確定申告に行く前に駅前のネットカフェで書類を作成して、会場に行くためにタクシーを呼んで待機していたときに地震の直撃を食らった。さすがに当日は気が張っていたからか意外と堂々としていたのであるが、この3か月後にまた病気がぶり返して再入院することとなった。この再入院中に食事の記録と、その時に読んでいた読書日記がこのブログの元になっている。この無料ブログが閉鎖されたために、有料のWEBNODEではじめたのが国法学研究教室である。あらためて、被害者および被災地の方に向かって「がんばれ!」。ついでに、自分にもがんがれ!(・∀・)9 ガンバ!
あすで震災3年 NYでも追悼集会
3月10日 10時57分
東日本大震災から3年がたつのを前に、アメリカのニューヨークでも追悼集会が開かれ、現地に住む日本人やニューヨークの市民が犠牲者に思いを寄せました。
この催しは東日本大震災の犠牲者を追悼しようと毎年開かれていて、会場の教会には現地に住む日本人やニューヨークの市民などおよそ500人が集まりました。
集会では、はじめに参加者全員で1分間の黙とうをささげ、亡くなった人たちに思いを寄せていました。
続いて、被災地で復興に取り組んでいる人たちや福島県相馬市の保育園児からのビデオメッセージが上映され、いまだに避難生活を余儀なくされている高齢者の思いや元気に遊ぶ子どもたちの姿など、被災地のさまざまな現状が紹介されました。
日本に2年間、住んだ経験があるという29歳の男性は「ビデオを見てまだまだ厳しい状況にあると感じたが、子どもたちの元気な様子に救われる気持ちです。アメリカは皆さんのことを忘れていないと伝えたい」と話していました。
また、岩手県出身でニューヨークに住んで20年余りになるという女性は「3年たってもきのうのように思い出されます。遠く離れていますが、いつでも思い続けていますので、頑張ってほしい」と話していました。
白い面をマウスでこすってくれると、記事が見れます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20140310/k10015849681000.html
なお、学問的な関連で蟻川恒正「決定―アーカイヴズ―責任 <3.11>と日本のアーカイヴァル・ポリティクス」奥平・樋口編集『危機の憲法学』(弘文堂、2013年)59頁を読むことをお勧めします。
9時34分、駅前のすき家で以下のものを食べる。
まぜのっけ朝食 300円
冷やっこ 100円
10時頃、地元の三菱東京UFJ銀行に行き、手元の現金に余裕がなくなってきたのでお金を下してくる。
10時半頃、本務大学に到着。
11時9分、大学構内の放送で震災の被害者に対する哀悼のための黙禱をささげることの呼びかけがなされる。
13時7分、大学生協食堂でほうとう風うどん 370円を食べる。
14時46分、震災に対する1分間の黙禱。
16時から17時過ぎまで、後期入試試験の打ち合わせ会。
終わり間際に、O教室長から来年度、私の担当委員が学生支援委員と地域連携推進委員であることを告げられる。地域連携推進委員ははじめてなので、いろいろと調べてみる必要があるだろう。
17時30分、駅構内のSoup Stock Tokyoで以下のものを注文して食べる。
EAT-IN CSセット 900円
バターチキンカレーCS
東京ボルシチS
(セット)アイスコーヒー 100円
寝る前に海外の反応シリーズをネットで見るのであるが、かの地で東北東日本大震災を侮辱する、心無いネットにおける書き込みがあることを知り、日本人として憤慨する。今月に入って佐村河内守のバカ記者会見、小保方晴子女史の論文問題と頭にくるニュースが多すぎる。
https://blog.livedoor.jp/oboega/archives/37606562.html
今日のドイツ語単語
heben 持ち上げる hob gehoben
heißen 呼ばれる hieß geheißen
helfen 助ける half geholfen
kennen 知る kannte gekannt
kiessen 選ぶ kor gekoren