砂の器

2013年06月06日 11:52

 6月6日の備忘録。

 朝食から豪勢に、吉野家の鰻丼を食してから本務大学に向かう。わたしは関西で育ったから鰻は腹開きを好むが、大学以来、四半世紀関東で生活しているので鰻の背開きも慣れてきた。むしろ、関西に行った場合、わたし自身はウマキを食べることが多くなった。

 

 

 

 午後4時20分から、「法と社会」の授業で学生たちと野村芳太郎監督の「砂の器」のDVDを鑑賞する。

 昨日、購入したDVDはデジタルリマスター版であるためか上映時間が長く、途中で切って、この映画における法律問題について解説をおこなう。

 しかし、この映画は本当に素晴らしい作品であり、このブログにアクセスしてくれた方でまだ未見の人がいるならば、近くのビデオレンタル店でいいから借りてきて観ることをお勧めします。平成の中居君版は駄作なので、この映画も駄作だと勘違いされている方も居られるかもしれないが、野村監督の「砂の器」は名作です。是非観てください。悪名高い母体保護法が改正される前にハンセン氏病をテーマに取り扱ったからこそ、この映画の主題が分かるのである。当然のことながら、併せて「ベン・ハー」も観てもらいたい。この両作品の根底のモティーフは、「ヨブ記」のテーマである。このような深遠なテーマを扱っているにも拘らず、上辺だけの悪平等によって、ハンセン氏病、らい病=業病に基づく差別は悪いから、それをテーマに取り扱ってはならないという広義の「言葉狩り」のために、その設定を変えてしまうことは百害あって一利なしと言っていいだろう。表現の自由は自己実現だけではなく、自己統治の役割を果たすからで重要なのであり、悪しき優勢保護法の流れを汲む母体保護法を批判して国政を問うことも後者の役割を果たす上で欠かすことができないはずである。その点で、脚本家の橋本忍氏が、この設定を変えたことは非常に残念なことである。

 法律学的には、経済的自由の警察的目的による規制の問題を映像的に理解してもらえると思うし、また空襲による「本籍再生」をはじめとする各種登記制度の問題点を理解してもらえるかと考えている。いずれにせよ、来週はこのDVDの続きの部分の鑑賞とディスカッションということになる。