私人間効力論

2013年06月24日 12:54

 6月24日の備忘録。

 午前10時ごろに、本務大学に到着。

 下記のレジュメを作成していたら、午後2時ぐらいになる。教養センターの印刷機で、80部コピーする。

 共通11号室で待機していたら、教育学部教務のKさんが外来の女性がわたしに用があると尋ねてきたという連絡をくれる。率直な感想として、あまり面倒な用件でなければいいと思った。

 午後2時40分から、現代人権論/日本国憲法の講義を行う。その内容は、以下のレジュメの通りである。

 

 

 

現代人権論/日本国憲法 〔担当 中野雅紀〕           2013.06.24

 

第7講 基本的人権の私人間効力(適用)論

 

はじめに.

 近代立憲主義国家の法制度は公法と私法を分離することによって、私的自治の原則や契約自由の原則を確立するに至った。これは、自律的な個人を創出することに繋がった。そもそも、近代市民革命はブルジョワ(Bourgeoisie)革命であることからも理解できるように、商人を中心とした市民が国家の重商主義政策や重農主義政策に他律的かつ受動的に従うのではなく、自律的かつ能動的に活動するためにアンシャン・レジューム(Ancien régime)体制を変革しようとすることから発生したものであった。そこにおいては、国家が市民の本来有する生命・自由・プロパティー(property;Eigentum)を侵害しようとする行為に対して、そのような権力行為を排除しようとする[国家-市民の関係]を規律する公法領域と、本来的には自由かつ平等である[市民-市民の関係]を規律する私法領域の分離が進展した。前者においては、権力関係が中心なので対国家的・防禦権が中心となる人権が問題となり、後者においては、私人と私人の約束事、すなわち契約に基づく権利(債権-債務)が問題となる。ここで注意しておかなくてはならないのは、人権と権利は憲法序列においては違う段階にあるということである。すなわち、人権は憲法に基づく権利であり、権利は法律に基づく権利であるから、憲法>法律である以上、人権>権利ということになる。加えるに、人権は自然権思想に基づき、自然権の具体化であるから、自然権>人権>権利ということになる。

 議論をもとに戻すならば、人権は国家権力が市民の自由領域に、市民に対する圧倒的な権力(暴力)で介入(侵害)してくるからこそ厚い保障を受けるのであり(垂直関係)、権利は対等な市民がお互いの合意によって結ばれる契約の不履行が問題であるから人権ほどの厚い保障を受けないのである(「水平関係」)。いな、市民間の取り決めに国家が介入するということになったら、そもそも市民個人の自由意思が蔑ろにされてしまうであろう。

Ex.頑固親父の経営するラーメン屋が、気に食わない芸能人レポーターに対して「御代はいらねー、とっとっと帰れ」と言っても問題ないか

 

学説

      A)無効力説

近代市民社会は公法と私法を分離し(「国家」と「社会」の分離とも言う)、市民の契約自由の原則をはじめとする私的自治の原則を確立し、市民を自律的な市民へと脱皮させた。したがって、この私的自治の領域に国家が介入することは、近代立憲主義国家における市民社会の自殺行為であり、許されない。したがって、私人間の関係においては人権の適用はない。

      B)直接適用説

市民社会は対等な市民だけから構成されているだけではない。市民の中には、自然人のみならず法人も存在している。そして、その法人の中には国家権力に比肩するだけの力を持った者も存在している。このような、「社会的権力」と呼べるだけの存在に対して、これも私的自治から人権の適用がないということは問題である。→法人の人権論:ここで重要な論点は「中間団体否定説」を日本社会が受容できるかどうか

      C)間接適用説

       AとBの極端な二律背反を克服するための学説。

   まず、市民社会における私的自治が大切なことを肯定した上で、例外的に社会的権力による人権侵害を「人権侵害」として認めるために、以下の一工夫を凝らす。

 私人による人権侵害を争うために、憲法の人権条項ではなく私法の規定を持ち出して、この私法の規定に基づいて人権侵害行為を無効とすることによって被害者の人権を救済する。そのために、民法90条等の一般条項を持ち出す。たとえば、民法90条は「公序良俗に違反する契約は、これを無効とする」と規定されているが、この条文自体は私法関係における規定に過ぎない。しかし、「公序良俗」という規定内容はきわめて抽象的で曖昧なので、その確定のための基準として外部から他の判断基準を持ち込まざるを得ない。そこで、たとえば奴隷契約においては、憲法18条の「奴隷的拘束からの自由、身体の自由」を、その一般条項に読み込むことによって、この契約を無効とする。これを、法律学上は難しい言葉で一般条項に「憲法価値・精神を充填」すると言う。なるほど、事件で直接適用されている条文は憲法の人権条項ではなく、直接に適用されているのは民法の一般条項なので、私的自治の領域における不当な侵害があるとは言えない。しかし、このような説明の仕方は欺瞞であるとする小嶋和司先生らの意見もある。

   Ex.契約自由の原則がないと、どうして困るのかを考えてみよ

   (補足)

    この他に、アメリカのステイト・アクションの法理とか、ドイツの基本権保護義務論による私人間適用問題の解決が議論されるようになっているが、本学には法学   

   部がないので興味を持った学生諸君はさらなる学習をしてください。

   判例

  三菱樹脂事件 (最大判昭和48・12・12)

 憲法19条、14条は、国または公共団体の統治行動に対して個人の自由と平等を保障するものであって、私人相互の関係を直接規律することを予定していない。私人間の対立の調整は原則として私的自治に委ねられ、ただ一方の他方に対する侵害が、社会的に許容しうる範囲を越えた場合にのみ、法が介入する。これは、一方が他方に対し、事実上の支配関係を持つときも同じである。私的支配関係において個人の自由・平等に対する侵害またはおそれがあるときは、民法1条、90条、不法行為に関する諸規定の運用によって調整ができる。また、憲法は22条、29条において、経済活動の自由を保障しており、企業者は特定の思想・信条を有するものをそのゆえに拒んでも、当然に違法とはいえないし、労働者の思想・信条の調査や、申告を求める事も違法ではない。雇い入れ後には、企業の解雇の自由は一定限度、制約を受ける。本件の本採用の拒否は、留保解約権の行使であり、通常の解雇より広い範囲の解雇の自由が認められるが、これは、客観的に合理的な理由が存し、社会通念上相当な場合のみ許される。

 

  ちなみに、社会的権力について語るためには法人に言及しなくてはならず、さらに「中間団体否定説」も説明しなければならないであろう。授業においては、法人の費用性とその発展、学説の紹介を簡単にするだけに止めた。なお、中間団体否定説については樋口陽一先生の著作以外では以下の文献が有用。

 井上武史「結社の自由保障の理念と制度――フランス結社法における個人と結社(1)~(2)」京都大学法学論叢155巻4号76~103頁、156巻1号91~117頁(2004年)同

「憲法秩序における結社の自由(1)~(3)」京都大学法学論叢159巻28~47頁、161巻68~92頁、161巻55~71頁(2006~2007年)

 高村学人『アソシアシオンへの自由--<共和国>の論理』 (勁草書房、2007年)