節分
2月3日の備忘録。
今日は以下の4本のDVDを観て、休日を過ごした。午前中は、清掃業者に部屋を掃除・殺菌してもらうために駅前でウインド・ショッピングしていた。したがって、映画を見始めたのは午後2時過ぎから翌午前2時過ぎまでということになる。
①「市民ケーン」
バラのつぼみの意味を探る新聞記者が、C.F.ケーンの生前に親しかった人物にばらのつぼみの意味を訊ねてまわり、回想シーンでオーソン・ウェルズ演じるケーンの栄光と挫折を描いていくのだが、結局、その意味が分かる人物はおらず、財産処分でみすぼらしい雪ソリである「ばらのつぼみ」はむなしく暖炉で焼かれてしまうというラストで終わる。オーソン・ウェルズは、この映画をウィリアム・ハースト批判のために作ったと言われているが、それならばどうしてケーンを新聞王に設定したのか、という疑問が氷解する。いずれにせよ、金持ちの孤独な生涯を描いた作品である(ウェルズは「失楽園」を描きたかったそうだ。そうであれば、純真無垢な子供時代と孤独な独裁者になった晩年とのコントラストが明確になる。雪ソリは子供時代の象徴ということか)。最後の倉庫のシーンを、「レイダース」がパクっていると思うのはわたしだけか。欧米の映画を見ていて感じるのは人生観、あるいは愛についての考え方がわれわれと異なるということである。すなわち、自己愛についてである。これはテレビ版「けいおん!」のエンディングや後述する「クレオパトラ」の中でのクレオパトラのセリフからも、読み取れる。
②「映画 けいおん!」
アニメ映画は劇場で観たのは「名探偵コナン 迷宮の十字路」が最後であると思うが、それ以前は池袋の映画館が夏休みにオールナイトで特集を組んだアニメ作品はそれなりに観ている。実は、わたしはガンダム世代ではないのでガンダムはこのような映画祭で劇場版を観ただけである。「ヱヴァンゲリヲン」もそうである。したがって宮崎駿作品、川尻善昭作品、りんたろう作品等は本務大学に赴任前にほとんど観たが、赴任後は学生とDVDを借りて観るぐらいである。世に「けいおん!!」論争というものがあって、4人組があずにゃんを残して同じ大学に進学するのはだめであるか否か、が議論されているようであるが、この「けいおん!」を観るようになったのはエンディング・テーマであるDon't say “lazy”の歌詞が気に入ったからである。2度目の入院中に上映され、DVDは購入していたから続けて観た。
「自分を愛せなきゃ 人も愛せない~」
わたしは自己愛のない人間に他者愛が発生するとは思えないので、この歌詞は意味深である。
この映画のストーリーは、卒業旅行でロンドンに行って、後輩のあずにゃんに贈る歌を作るという他愛もない話である。しかし、さわちゃん先生のVCがデジキャラットなのは笑える。
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」および「となりのトトロ」
川尻善昭監督の「妖獣都市」、「獣兵衛忍風帖」 および「魔界都市新宿」
りんたろう監督の「幻魔大戦」、「迷宮物語」および「火の鳥 鳳凰編」
③「英国国王のスピーチ」
現エリザベス2世の父親ヨーク公、後のジョージ6世が吃音症であったとはこの映画ではじめて知った。こちらは、慈父としての国王の国民に対する、与える愛が問題となっている。それと、師弟愛、夫婦愛が描かれている。兄エドワード8世がシンプソン夫人と結婚して退位し、その後継者になるわけだが、対独戦を意識してアルベルトのファーストネームでなく、ゲオルグことジョージを選ばされることは豆知識となった。
④「クレオパトラ」
10年前には、5,000円はしたソフトが999円で販売されているとはショックである。愛の話で締めくくるのなら、この映画でクレオパトラがアントニウスに言う「愛に愛してはダメ」ということになろうか。追記として、オクタビアヌス役は先に書き込んだ備忘録のように「フライトナイト」のピーター・ビンセント役の俳優である。
(追記)
DVD化にともない、「フライトナイト2」の日本語版ソフトはなくなってしまった。たまたま、YouTubeを見ていると英語判がUPされていたので追加する。
https://www.youtube.com/watch?v=TlHEtcOTEZE
最後に、「愛」はギリシア思想を継受したキリスト教によって以下の4つに分類される。
①ストルゲー (στοργή):家族愛
②エロス(έρως):性愛
③フィーリア(φιλία ):隣人愛
④アガペー(αγάπη):至高の愛
(追記1)
アントニウスの死後、初代ローマ皇帝になったオクタビアヌスことアウグストゥスは家庭には恵まれていなかったという。そのオクタビアヌスが臨終の席で、知人にいった言葉が洒落ている。「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか?」、「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を!」
まさに、この臨終の言葉こそ石川健治氏の指摘する〈私〉、〈ペルソナ〉を論じる際に、考慮に入れておかなければならない点である。人の人生を舞台と考え、その生を仮面(ペルソナ)を被りながら演じ続けることこそPersonlichkeitの語源であるなら、オクタビアヌスはその仮面を被り続けていたということになる。キケロを政敵としながらも、その著作を高く評価し孫たちにその著作を読むことを薦めたと言われる点に鑑みると、オクタビアヌスこそは石川氏の言う「鉄仮面」を被り、その生涯を全うしたと言える。そうであるならば、政治的能力においてはジュリアス・シーザーに及ばず、軍事的才能においてはアントニウスやアグリッパに及ばぬ彼がローマ帝国初代皇帝になれたことも分かる。そして、樋口陽一先生や石川氏の「強い人間」像とは、この人が被らざるをえない複数の仮面の一側面を示しているのではなかろうか。しかし仮面を被っても、『ガラスの仮面』の主人公・北島マヤではない、われわれはの多くは内面においては「弱い人間」の仮面を捨てきれない。この議論は興味の尽きないところであるが、以上の私見を示すことで終わりにしたい。
クレオパトラの輪廻転生を描いた話が収録されている星野之宣『妖女伝説』。わたしはテオジストであるが、輪廻転生は信じていないのでフィクションとして素直に楽しめた。
(追記2)
このホームページの訪問者にはいないと思うが、意外と「ラピュタ」は宮崎駿が創造し、「ヤフー」はYahooが創造したと勘違いしている学生が多い。スイフトの『ガリヴァー旅行記』はイングランドとアイルランドの政治史を学ぶのに格好の素材であるが、それよりもまず「ラピュタ」も「ヤフー」も『ガリヴァー旅行記』を典拠にしている。この本は以下の4篇から構成されている。
- リリパット国渡航記
- ブロブディンナグ国渡航記
- ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記
- フウイヌム国渡航記←ヤフーの国とフウィヌムの国
10年程昔、わたしのゼミで『ガリヴァ―旅行記』を読んでいた時、ゼミ生だった大藤くんがラピュータの支配にバルニバービの住人が一揆を起こすのならば、磁石で浮遊しているラピュータの磁力とバルニバービの地下のアドマントに据え付けられた磁石の磁力を同極にし、磁力を強力にすれば、その反発でラピュータは地球外に跳ばされるのにと言ったのには感心した。たしかに、ラピュータは飛行石で浮遊しているのではないから、この指摘は科学的に正しい。わたしの赴任した当初は、このような気転のきく学生が多かったが、ゆとり世代以降、そのような学生は少なくなってしまったように思える。
それとの関係で、面白い記事を発見!
デス・スター建設のための資源や資金を確保し、2016年までに建設を始めるべきだという請願に対する、ホワイトハウスからの公式回答
米国政府も、請願者の皆さんと同様、雇用創出や防衛力強化を望んでいます。しかし、デス・スターを建設する計画はありません。以下にその理由を述べます。
・デス・スターの建設費は85京ドルを超えると推定されています(日本語版記事)。政府は財政赤字を拡大するのでなく減らそうと努力しています。
・政府はひとつの惑星を吹き飛ばすことを支持しません。
・「1人乗りの宇宙戦闘機1機だけで破壊されうる」という根本的な弱点を持つデス・スターに、人々が納めた多額の税金を費やす利点があるでしょうか。