緊急援助物資到着

2012年12月15日 10:44

 とにかく、風邪の状態が良くならず、下手にパブロンを飲んだからかお腹の調子まで悪くなってしまった。この日記の内容は12月14日の内容であるが、書き込みは本日の午前11時前なので原稿の締め切りの最終日になってしまった。すなわち、これから12時間の間に原稿を1本書き上げてしまわなくてはならないということである。したがって、この日記ブログを書き上げ次第、ただちに原稿作成を行うことになる。

 昨日、12月14日は母親から緊急援助物資が宅配便で届けられる。メインはコンタックと、お菓子類の詰め合わせであった。しかし、これは病気のときに一番役立つ贈り物である。しかし、相変わらず病気は好転せず、お腹の調子は最悪であった。一番困るのは、トイレに再三再四行くので現行の執筆が進まないということである。それでも、食欲は少し戻ってきたみたいで、昨夜は久しぶりにビーフシチューを食べることが出来た。ここにきて、間断の差が激しいのが困りモノである。折角、ご馳走を食べてもすぐにトイレでは興ざめしてしまう。実は、15年前の12月13日から14日にかけて深夜、わたしの親父が脳梗塞で倒れたので、わたしは皮肉を込めて脳梗塞記念日とこの日を呼んでいる。わたしが本務大学に赴任してわずか、2ヵ月あまりで大病になったために、親不孝ではなく、最大の子不孝であると考えているのであるが、みなさんはどう思われるであろうか。新任教師であったために、父と母は大学との関係を気にして倒れたことを1週間伏せていたが、それは気を使いすぎたのでないかと今では思っている。さいわいにして、親父は右半身は不自由になったが(ただし、わたしの父親だと思うから運動が下手だと思うかもしれないが、親父はインターハイやインターカレッジ代表に選ばれたスポーツマンであった)、それまで寡黙であったが体が不自由になったためか帰省すると結構、話をするようになり、それまでチェーンスモーカーであったのだがスパッと禁煙した。現在は、某学校法人の役員を務めており、毎年東京の総会に出てくるので都合が合えば東京で会っている。20代半ばまでの親父は都市計画の新進気鋭の研究者として宮内省、通産省および文部省に技官として出向しており、その業績は知る人ぞ知るというもので、20代はまだオーバー・ドクターであったわたしとは比べようの無い将来を嘱望された研究者であったと思う(所属は、東京工業大学研究所研究員)。とくに、親父はいわゆる帝国大学出身ではなく、私大出身の研究者であったが、その関連分野では中央省庁の技術官僚から一目置かれていた。このような関係から、わたしがなぜ東京で生まれたのかは理解できると思う。そもそも、叔父や伯父も東京大学生産科学研究所研究員や広島大学教員等、ほとんど大学の理系教員であったから、数学や物理が得意だったわたしも当然、理科系に進学するものだと思っていたようである。しかし、高校時代にのちに数学者になるN君と友達になったとき、「中野の数学能力は受験レベルまでで、研究者として大成できない」と言われたことも契機となり、高3で文型に志望を変更した。親父は小学校の段階で大学1年生レベルの数学を教えてくれていたから反対したが、しぶしぶ承知して出した条件は経済学部にはマル経の学者がいるから駄目、文学部は女子が行く学部だから駄目ということになり、結局、法学部だけということになってしまった(訪問者の中には女性の方もいると思いますが、文学部云々の発言は現在では明らかに性差別につながるので、75過ぎの老人の戯言であると思ってください。なぜならば、わたしの祖父は漢学者だったので、それでは親父は祖父の研究を否定するのかということになってしまう)。ただし、わたしが京都大学法学部受験に失敗したとき、「おめでとう、その程度の受験勉強で京大に通ってしまったら、お前は本当に鼻持ちなら無い男になってただろうから、これでよかったんだ」と言われたことで少し肩の荷が下りた気がした(理系としてはそこそこ英語は出来たが、文系としてはあまり英語の偏差値は模試等でかんばしくなかったから、当然といえば当然の結果)。ま~、あれから30年たって先日書いたようなセンター入試の監督官を勤めるとは、これも面白いめぐり合わせだと思う。

 ちなみに、父方も母方も教員一族の出身、父方の祖母は大洲藩の勘定奉行で坂本竜馬にいろは丸の購入代金を提供した人物の孫娘であった(ただし、一般に知られているのはいろは丸事件で紀州藩との関係を慮って切腹した主席勘定奉行国島六左衛門の名前が有名)。このことからも分かるように、わが家は晩婚が多いために明治維新後、三代しか経っていないのである。

 それと、母校府立寝屋川高校の教員のみなさん、学区の再編成で二番手校から三番手校になったのは分かりますが、漏れ聞くところでは英語教育の質が芳しくないとのこと。わたしたちの時、英語教員の優秀な人材が近畿予備校の講師に引き抜かれて以来、四条畷高校との進学格差が益々ついたと言われています。それでも、京大でも現役・浪人を合わせると10名以上は通っていたし、東大は四条畷よりも東京志向が強い学生が多かったので3人程度は進学していたはず。さらに早稲田や慶應にも10人レベルの合格者を出していたのに。したがって、OBの質から言えば寝屋川高校は四条畷高校にけっして引けをとっていない。OBかつ大学教員の立場から一言言わせてもらえば、大学入試は理系であろうと文系であろうと、英語が死命を決します。カナダの留学制度もよろしいが、英会話と入試英語は異なるのだからそこのところをきちんとわきまえてご指導願いたいと思います。