臨時政府と科目試験
1月26日の備忘録。(国法学研究室(第二帝國)より転載)
このホーム・ページの本館である国法学研究教室のアップ・グレードが遅れているので、こちらのホーム・ページhttps://www4.hp-ez.com/hp/reichをアジール(ἄσυλον)として臨時開設した。日記というものは、やはり3日程度間があくと記憶が曖昧になったり、感動がなくなったりして拙いのでしばらくはこのコロニーのブログに備忘録を書き込むことにする。
26日は午後1時から午後6時まで、わたしの住んでいるマンションの川向にあるプリンス・ホテルで1月試験を受験した。
まず、午後1時から「社会心理学」の試験を受けたのであるが、これは参照可であったのでどうにか切り抜けることができた。ただし、違う章に跨る問題なので、全体としてその接続が上手くいっているかどうかということで点数差が出てくると思われる。つぎに、午後2時半から「西洋史概説Ⅱ」の試験を受けたが、これは二者択一の問題の中から1問を選択して解答するものであるのだが、19世紀のロシアの社会改革を選択したのは失敗だった。なるほど、アレキサンデル1世→ニコライ1世→アレキサンデル2世→ニコライ2世の社会改革の歴史は改革とその揺れ戻しのファランドール(Farandole)であり、その流れは分かりやすいのであるが、ではデカブリストの乱は誰が皇帝の時に起こったのか、ポーランドの反乱はいつのことなのかといった細かい知識は忘れてしまった。さすがに、センター試験監督から3日で5科目を総復習するのは難しい。最後に、午後4時から「教育史」の試験を受けたのだが、大正新教育運動については沢柳政太郎の教育活動は知っているが、目的ー手段モデルの説明は完全にカントの定言命法の話と型にはめない自由教育の話を書いてお茶を濁した。したがって、この日は1勝2敗といった感触である。しかし、「西洋史概説Ⅱ」は前日の備忘録が午後10時の記述で終わっているように、そのあと徹夜して臨んだだけに残念である。受験生控室で、意気のいい兄ちゃんに「もしかしたら、夏のコミュニケーション論を履修していませんでしたか」と聴かれる。この世の中は意外に狭いものだと感じる。
Aleksandr I
Nicholai I
Aleksandr II
Nicholai II
午後5時過ぎには、明日の「教育学」のテキストを読み始めて、午後11時から毎週定例のチャットを覗いたりして午前2時ぐらいに就寝する。本当は、「ドイツ語Ⅰ」の試験勉強もしておかなければならないのであるが、こちらは普段の実力試しに受験するので勉強したら意味がない。
(追記)
帰宅すると、東大の宍戸氏のアメリカからの寒中見舞いの葉書が来ていた。宍戸氏の葉書には「アメリカに留学するのはドイツ法研究者仲間から「裏切り者」と呼ばれそうですが……」と書かれてていたが、多かれ少なかれわれわれドイツ法研究者はドイツ法の他に英米法やフランス法をやっているので、それは杞憂であろう。むしろ、外地留学ができる大学に就職していることの方がうらやましい。現段階では、学習院の村山氏がアメリカ留学の2年目、来年度は木原君がカナダに1年留学、そして畑尻さんもドイツに留学ということが年賀状に書かれていたので、一層そう感じられる。