臨時教授会
2月6日の備忘録。
昨日から今日は雪が降ると言われていたが、本当に雪が朝から降っていた。
午前10時過ぎに、本務大学にタクシーで向かう。
まず、総務に行って欠勤届(昨日の病院の定期健診)の手続きをし、20日の教授会の委任状(本務大学の集中講義)を提出してから、学務に行って月曜に返却できなかったB208のラックの鍵を返却した。
とにかく、教員控室のポストが火曜と水曜の2日間でいっぱいになっていた。おそらく、この業界にいると普通の人の何倍もの郵便物が送られてくることになろう。いらない勧誘の郵便物を処分して、対応すべき手紙などの案件を処理していたら、あっという間に午後1時になってしまった。
午後1時から午後3時まで、臨時教授会。外部に公開できない事案があったので、ここでは教授会があったとしか書き込まないことにしよう。久しぶりに、教授会で発言したことことぐらいは書いても問題ないので追記する。
午後5時から教室会議があるとの通知が教室長から事前にあったので、その時間を有効利用して前日の試験の結果をLive Campusに登録したり、まだ書けていない来年度のシラバスを書き込むが、教養、専門が滅茶苦茶に入り込んでいるためになかなか完成しない。その間に、南太平洋沖地震の余波としての津波警報で何度も携帯がけたたましく鳴る。
午後前に、わたしが前に使っていたA521に向かうが鍵が開いていなかったので、院生の川又くんに鍵を開けてもらって、しばらく川又くんと立ち話をして過ごす。教室長が来て、今日はA526で会議をすると知らせてくれたので、場所を変えてそこで午後5時から午後7時前まで会議。とりあえず、差支えない内容としては卒論・修論発表会の来週の開催についてのこと、特任教授できてもらう斎藤先生の使用する部屋をA521とし、A522を内留生の共同の研究室に充てるということである。
帰宅したのが午後7時半を過ぎていたので、遅い朝食をたべてから、下記のリドリー・スコット監督の「ブレードランナー ディレクターズ・カット版」(1993年)のDVDを観賞する。
最初、「ブレードランナー」(1982年)を観たのは大学の映画上映会で観たと記憶している。都内の大学はどこでもそうだと思うが、定期的に映画鑑賞会、講演会等が開催され、学生は大学生になったとの文化的雰囲気を体験できる。この映画で印象的なのは、タイレル博士の会社の最上階でデッカードがレイチェルにはじめて会う場面で、夕日に照らされたレプリカントのフクロウの眼が偏光するところである。それとのコントラストで、デッカードがレイチェルがレプリカントであるかどうかをチューリング・テスト(フォークト=カンプフ感情移入度測定法)で瞳孔検査するシーンが綺麗である。
この映画の見どころは、ショーン・ヤングの演じるレイチェルの美しさである。まさに、レイチェルを観賞するためにだけ「ブレードランナー」を観に行ってお金と時間を使っても惜しくない。ダリル・ハンナが演じる慰安用レプリカントのプリスよりも美人であり、色気があるとおもうのはわたしだけではあるまい。しかし、プリスと同じ目的でレイチェルを作ったとしたならば、タイレル博士は姪の記憶移入をしていないだろうから、そこら辺りの想像は鑑賞者の解釈に委ねるということになるのであろう。この当時、ロックの悟性論でtabula rasa(白紙)に記憶が書き込まれていくということを学んだところだったので、学問的にもおもしろかった。
この小説と映画の逃亡レプリカントの人数の相違のため、また映画編集の拙さのために第6人目のレプリカントとは誰かという問題が残された。1993年のデレクターズ・カット版ではリドリー・スコット監督はこの問題をユニコーンのシーンを入れることで、デッカードがレプリカントであることを暗示させているが、これについては論争があるそうだ。原作の小説は大学生時代と、千葉大学に非常勤講師で出向していた時に総武線車内で読んでいるが、タイトル名は秀逸だが、内容は「?」といった感想である。いずれにせよ、人間とレプリカントの相違とはなにか、人間の個性を生むのは形質か記憶かといった法哲学的に奥深い映画である(記憶移入すると感情が生じるとタイレル博士は言う。しかし、博士はチェスでレプリカント・ネクサス6型のリーダー・ロイに負けているのはどうしてか。知性と感情はことなるのか)。ちなみに、わたしたちが学生の頃は、サンリオSF文庫が次々とサイバー・パンクSFを翻訳出版していた時期と重なる。ついでながら、わたしは1979年から『SFマガジン』を購読し、バックナンバーを自宅と研究室に分置していることは意外と知られていない。しかし、この映画の設定は2019年ということだから、近未来の話になってしまった。
レプリカントのリーダー・ロイ役のルトガー・ハウアーはこの映画で好演しているが、わたしが好きな彼主演の映画はエルマンド・オルミ監督「聖なる酔っ払いの伝説」である。
この頃は、オーバー・ドクターだったのに顔パスで学割料金で映画を観まくっていた時期でもある。