試験のノートの受取
3月1日の備忘録。
午前中に大学に行き、まず教員控室のポストの郵便を確認。
学務事務室に行き、先日、「欠試」となっているという学生の成績を確認して「B」評価に成績を変更する。手元にある成績一覧表によれば、Nくんの成績は付けているのであるが、わたしの講義は教養と専門が同時開講であり、さらに最高学年と1・2年生の成績の入力一覧が違い、おまけに今年は院生の受講者と公開講義に参加している学生がまじっていたので、パソコンからの入力は鉄分不足で慢性の眼精疲労に悩まされているわたしには酷なものであった。埼玉大学や千葉大学などで教鞭をとった身からすれば、専門は専任が、一般教養は非常勤が、あるいは教職免許状必要であるかないかで専任と非常勤の使い分けをしているのであるが、本務大学は予算の関係でほぼ法律学関係の講義は専任が担当するために負担が多いだけでなく、その成績の付け方も煩雑である。
お昼ごろに、生協の散髪屋に行っておばちゃんに髭の手入と洗髪をしてもらう。
次に、共通教育の事務に行き先週3日間行った集中講義の試験・レポートの代替策としての学生が講義内容を書いたノートの提出期限なのでノートを回収する。帰宅してから読んだのであるが、なかなか面白い内容のノートもあり、本務大学の学生の伸びしろを感じさせるものも少なくなかった。←本務大学の学力レベルからすると、この伸びしろのある学生をいかに教育するのかがメインになると思われる。
大学図書館で資料をコピーしたが、『法学教室』が開架にないことはショックであった。
帰宅はまずバスで駅南まで戻って、駅ターミナルでショッピングなどをしてから午後3時過ぎに帰宅。
午後3時過ぎに、教養教育の事務から携帯に連絡があり、事務にノートを提出しにきた学生がいるのだが、それをどのように対処するのか確認してきた。相変わらずと言っていいが、本務大学の連絡はわたしと波長が合わないのか、タイミングが悪い。1時間前ならば、大学にいたのに万事がこの調子であり、このことも関係して3年前の大病に繋がったとも考えられる。わたしは金曜はまだ2月だと勘違いしていたので、「2月内に提出と言ったので午後5時までのノートの提出までは受け付ける」旨の回答をしておいた。
学生へのメールの回答や、事務関係のメールの処理をしていると夕食時間になり、また実家への定期連絡をすると、近所のおばさんがスキルス性の胃癌で急死したそうなので、町内会の班長をしている両親とは話をすることができず、ネット・サーフィンをしていたら午前2時頃になったので就寝した。