読書三昧

2013年01月06日 18:39

 1月4日の備忘録。

 午前中に年賀状の第三弾が到着する。さすがに、この段階ではこちらが年賀状を出していない人物は一人もいなかった。

 今日は年賀状の配達があるので、元日から届いた、わたしがまだお礼を書いていない人からの年賀状、および学問上、文通をしたいと思う研究者に年賀状を書き、近くのポストに投函する。この時点で、メールを併せるとお年賀の総数は200通を突破した。相変わらず、80余枚も本務大学の同僚に年賀状を出したのに、こちらに返ってきた年賀状は10枚前後であり本務大学教員の常識を疑う。もとから、虚礼廃止を公言している人物ならば理解できるが、そうではない人物はどのような社会教育(礼儀・作法)を受けてきたのか……。

 昨日は、佐藤賢一『小説 フランス革命』Ⅵ巻を流し読みして、Ⅶ巻を完読しⅧ巻の区切りのよいところまで読んで就寝したので、本日はⅧ巻を読みながら、平行して辻村先生や遅塚先生の本を読む。実際、自分で言うのはなんであるが小説は250頁ぐらいであるならば1時間半で読めてしまうのであるが、このように何冊かの本を併読しながら読んでいくと、一冊読むのに3時間ぐらいかかってしまう。独白と台詞の切れ目、それと主語がときたま不明確なのが佐藤氏の小説の欠点かなと思うが、なかなかよくできているなと感心する。Ⅶ巻がロラン夫人を中心に話が展開されるとするならば、Ⅷ巻はカミーユ・デュムランとダントンを中心に話が展開していく。主人公が巻ごとに変わってくるのが、この『小説 フランス革命』の特徴であると言えよう。

 

 岩波ジュニア新書なのに、完全に大学生以上の読者を対象として書かれている著作。一時、この本を少人数の講義の参考書に指定したが、ちょうどその当時の学生はゆとり教育世代の学生であったために読んでも分からないといわれてしまった。しかしながら現在も、わたしは本書をフランス革命を知るには第一の入門書であると思っている。

  佐藤氏のⅧ巻にドリヴィエが出てくるのは、他のフランス革命を取り扱った小説とは一味違った点を醸し出している。 

個人的には、小学校時代に池田理代子女史の『ベルサイユのばら』を読み、中学時代にシュテファン・ツバイクのフランス革命の一連の作品を読み、大学時代に倉多江美『静粛に、天才只今勉強中!』、辻邦生『フーシェ革命歴』等を読んできた経験からすると、佐藤氏のこの作品については、その筆致から小説というよりもフランス革命概論といった感じで読んでいるというのが本音。Ⅷ巻で興味深いのは、ジャコバン派とジロンド派の中央集権化と反中央集権化(連邦制)の対立というところであった。このために、また小堀先生らのアメリカ憲法の概説書を読み返してしまった。

  残念なことに、この倉多さんのマンガは現在は絶版のようである。

 辻邦生氏の絶筆。ツバイクのフーシェの描き方と対比させると面白い。

 ここから先は、既存の小説・映画・マンガでも詳細に描かれるところであるが、Ⅸ巻ではエーベルとマラを中心に話が展開されるようであるので、ここのところが佐藤氏の腕の見せ所か。Ⅷ巻の最後のルイ・カペーの独白は少し定型的で面白くなかった。

 しかし、遅塚先生がフランス革命史研究を志したのが、高校時代にアナトール・フランス『神々は渇く』を読んだことというのは驚く。