質問コーナー二日目
1月24日の備忘録。
午前9時前に起床。
午前11時前に、タクシーにて本務大学に向かう。
お昼休みから午後4時まで、研究室にて昨日に引き続き「現代人権論」および「法学概論」の受講者の質問時間とアナウンスしていたので、ドイツ語の原書ヘルゲ・ゾーダンのStaat und Bundesverfassungsgerichtbarkeit、2010年を読みながら待機する。質問に来たのは後者の履修生の佐藤友基くんと、公開授業として参加している年配の堀さんの2名だけであった。本当に、この科目の履修生は質問に来なくても、月曜日の期末テストによい点をとれるのであろうか。
この本の第一章は、「憲法の番人」についてのカール・シュミットとハンス・ケルゼンの対立を簡潔に説明しており、なかなか面白かった。なんといっても、年末までBundesverfassungsgerichtの原稿を書いていたので辞書をほとんど使わずに読めるのが嬉しい。
佐藤くんの質問は、なかなかわたしに刺激的なものであった。果たして幸福追求権、ないしは経済的自由で「どぶろく造りの自由」が被告人に認められたとして、密造による酒税法違反、酒税法未納付の罪が阻却されるのであろうか。確かに、酒造メーカーには酒造りの自由は認められているが、メーカーは酒税を支払っているのであるから、この後半の部分の問題も考えておかなければ訴訟論としては不十分である。
堀さんは研究室にお礼で来たようで、わたしが好きならば日本酒をプレゼントしてくれるようだったのであるが、それは辞退した。まず、病気でお酒は控えなくてはならず、私自身、公開授業は地域貢献の一環で無料参加できるものであると考えていたのであるが、どうやら大学は一回当たり500円の受講料を徴収していたことをつい最近知ったからである。昔は無料であったはずなのに、有料にするのはせこいし、そのお金はわたしに一切入らないというところが変といえばへんである。そうであれば受講許可試験はあったが、わたしが一橋大学の聴講制度でゼミに参加したり、単位を貰ったりしたように制度を変更する必要性があろう。もっとも、それを補うのが科目等履修生なのかもしれないが、担当教員にその説明をしないのは横着と言うしかない。
午後4時20分から、ゼミ形式の授業の最終講としてゲーム理論を学生に理解してもらうために、「現代人権論」と同じようにスタンリー・キューブリック監督「博士の異常な愛情」を上映して授業を締めくくる。来週の試験は、この映画の感想文と、各自が担当した長谷部先生の『憲法とは何か』の報告をレジュメではなく、レポートにまとめることで済ますことにした。授業後、小川くんのDVDを貸してほしいとの申し出に、このゼミでは積極的に授業に参加してくれたので来週まで貸与することにした。ただし、かつて不届きな学生が「バリー・リンドン」や「わが命つきるとも」を借りたままで卒業し、ペスケのマスターは「モンティ・バイソン ドイツ版」を返さないままで転居したりするなど、すでにここ10年に20本以上は行方不明のDVDがあることを指摘しておきたい。ひどいのは、人文学部の学生に大日本帝国憲法制定史をテーマに卒論を書くので、研究室分置図書を貸してほしい旨の申し出に気軽に応じたところ、それを返さずにその学生が卒業したために大学から管理責任者であるわたしに10万円の弁償代を請求されたことである。少なくとも、本務大学においては研究費は15万は切っており、このような現状だから研究費で書籍を買うことはお勧めできない。むしろ、パソコンなどの消耗品を購入すべきであろう。
午後7時過ぎに帰宅し、夕食をとってから一眠りしてこの備忘録を書き込んでいるところ。土曜には、試験を受けなくてはならないので、明日は試験勉強をする予定。とりあえずの目標は、3年後に図書館司書の資格を取得することである。