趣味
趣味は読書、映画鑑賞、数学(幾何学、無限論、集合論及び確率論)を解くこと、インド-ヨーロッパ言語の習得及びカラオケ。
読書は和書で年間平均400冊は歴史、哲学、フランス19世紀の小説の翻訳、SF小説、宗教学、ブルーバックスの順に、バランスよく読んでいるつもりです。一応、歴史では司馬遼太郎、隆慶一郎(池田一朗先生)及び宮城野昌光の小説はすべて読んでいる。哲学はカント全集(岩波書店)、プラトン全集(岩波書店)及びライプニッツ著作集(工作舎)は読破しています。あと、中嶋義道の哲学エッセーは面白いです。SF小説では星新一の作品集(新潮社、絶版)や筒井康隆全集(新潮社)はコンプしており、収録されていない作品もすべて単行本で揃えています。外国では、フレドリック・ブラウン、アーサー・C・クラーク、アーシュラ・K・ル=グイン及びフィリップ・K・ディックの翻訳書はサンリオSF文庫版をふくめて、すべて読んでいると思います。これらは、法哲学者のロバート・ノージックの著作を読むときに、その理解に役立ちました(現在は、ハーバード大学で法哲学と言えばマイケル・サンデル教授が挙げられるが、わたしたちの学生時代にはジョン・ロールズ教授とこのノージック教授がハーバード大学の看板教授でした)。フランス19世紀の小説は、授業でも話しますがビィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』(岩波文庫)は何度読んでも感動します(この小説は、ミリエル司教→ジャン・ヴァルジャン→マリユス・ポンメルシーの三代に亘(わた)る魂の伝承と読むべきだね)。さすが、豊島与志雄先生が学者生命を犠牲にしただけあり、その翻訳も優れています。宗教学では、中村元選集(春秋社)は読破し、ミルチャ・エリアーデの著作は大半は読みました。キリスト教思想では、わたしはアウグスティヌスが好きだけれど、一応、トマス・アクィナスの『神学大全』(創文社)は通読しました。あと、神秘哲学では高橋巌先生や、東方教会では森安達也先生の優れた業績があります。まだ、茨城大学に赴任する前に翻訳書もないクザーヌスやジョバンニ・ピコ・デラ・ミランドラについてドイツの憲法学者(ドイツでは憲法学は国法学と教会法からなり、当然、宗教学の話も出てくる)の講演会の通訳を依頼されたために、この二人の著作は最初から原典で読み思い出深いものがあります。ブルーバックスを挙げましたが、これは科学ものということで、そうであれば、SF小説の老舗のハヤカワ書房からゲオルク・カントールの集合論や紐理論のすぐれた解説書が出ています。それと、ニュートンの『プリンキピア』は原書で一応読みました。その他、好きな作家は小林恭二と京極夏彦かな。それと、大学時代の英語の先生がヘーゲル研究の第一人者の武市健人先生で、ドイツ語のように格変化するエリザベス女王期のシェークスピアの作品をテキストにして講読してくれたり、また、もう一人の英語の先生はトマス・ハーディー研究の第一人者の森松健介先生であったので、シェークスピアとハーディの作品は翻訳があるものはすべて読んでいます。ノンフィクションでは、若い頃の猪瀬直樹、荒俣宏が好きです。洋書は、ドイツ語メインで年間50冊程度は研究者の義務として読んでいます。また、マンガは大人買いで一回に30冊前後買って読むので、年間、500冊程度は読んでいるのかな。マンガは書くのも上手くて、昔、茨城大学漫研の部長の仙波君に、絵の描きかたを指導したことがあります。
映画鑑賞は、まだ茨城大学に赴任する前に、都内の大学で非常勤をしていたので、通勤ラッシュを避けるために名画座(並木座、早稲田松竹、アクト・ミニシアター、シネマ・ロサ、シネマ・セレサ等)で、週に最低でも四、五本は映画を観てから帰宅していました。就職するのが遅かったので、かなりの本数を観ています(そのおかげで、映画館には顔パスでした)。名画座で映画を観たので、山本嘉治郎(親子丼の開発者でもある)、小津安二郎、溝口健二、川島雄三、黒澤明監督等の古典的な名作はすべて観ているし、洋画もトーキー時代(D・W・グリフィス、フリッツ・ラング)からハリウッド全盛期の作品も大概、観ています。ませガキだったので、小学生の時代から「モンティパイソン」を観ていたから、オックス・ケンブリッジ派の作品はかなり好きです(英語科の小林英美先生と話が合う)。また、君達の先輩に茨城大学の映研部長だった伊藤君がいたので、サークル棟の映写室でB級映画をよく観ました。さらに、オーディオ機器の揃った学生の下宿をコロニー(サイド3までコロニー化)と名付けて、ヤクザ映画特集(網走番外地シリーズ、緋牡丹博徒シリーズ、唐獅子牡丹シリーズ、日本のドンシリーズ、仁義なき戦いシリーズ)や時代劇シリーズ(旗本退屈男シリーズ、東千代之介版水戸黄門シリーズ、眠狂四郎シリーズ)等と銘打って、コロニーでジャンルを問わず、レンタルビデオ及びDVDを借りて上映会をしていました。しかし、前学長がまだ学部長だったとき、ちょうどマフィア映画特集をやっていたため、「ゴッドファーザー」が好きな学部長と話が合い、学部長室で「ゴッドファーザー」について語り合うことになったのはいい思い出となっています。現代の監督では、アンジェイ・ワイダ、ピーター・グリーナウェイとコーエン兄弟の監督作品が好きだな。早川先生は誤解しているが、わたしはアニメも観るが、本当はルー・ウォーレス監督「ベン・ハー」(1959年)、ジーン・ケリー監督・主演「雨に唄えば」(1952年)やフレッド・ジンネマン監督「わが命つきるとも」(1966年)のような古典的な映画が好きなのであって、決してアニメオタクではない。だが最近、わたしの好きなナタリー・ポートマンが黒鳥役(白鳥役との二役)のバレリーナ役をやっているダーレン・アロノフスキー監督「ブラックスワン」が上映されているので蘊蓄(うんちく)を垂れるならば、チャイコフスキー作「白鳥の湖」はこの「ブラックスワン」と佐藤順一監督のアニメ「プリンセス チュチュ」(2002-2003年)(ただし、マンガ版は面白くない)を観れば思想的背景まで理解することが出来ると思います。ついでに、映画は面白くなかったが、北村想の戯曲『怪人二十面相・伝』及び『怪人二十面相・伝 青銅の魔人』(新潮社)は面白いですよ。アニメでは、つい最近亡くなられた出崎統監督の「ベルサイユのばら」、特に30話以降は世界史を勉強したい学生は観ておくべきだと思います。この頃の女子学生に池田理代子の『ベルサイユのばら』のことを聴くと、『外伝 黒衣の伯爵夫人』が面白かったと答えるが、あれは作り話なので無視しましょう。中公新社の愛蔵版『ベルサイユのばら(第2巻)』を読んだあと、池田女史の『栄光のナポレオン―エロイカ』(中公文庫)を読んで、長谷川哲也の『ナポレオン―獅子の時代―』(少年画報社)を読めばマンガだけで革命前後のフランス史をフォロー出来ます。あと、これに倉多江美『静粛に、天才只今勉強中!』(潮出版社)を読めば輪郭はつかめると思います。このあとは、佐藤賢一氏の『小説フランス革命』シリーズ(集英社)、あるいは、わたしのように辻邦生『フーシェ革命暦』(新潮社)、遠藤周作『王妃マリー・アントワネット』(新潮社)等を読めばよい。まさか、君達に遅塚忠躬先生のように高校生時代にアナトール・フランス『神々は渇く』(岩波文庫)を読んで、大学でフランス革命史を研究したくなったというようなハイレベルなことを要求しているわけではないです 。それに興味がわけば、ワイダ監督の『ダントン』(1984年)をみるとか、フランシス・コッポラ監督の父親が再生した、フランスの戦前のトーキー映画であるアベル・ガンス監督『ナポレオン』(1927年)を観ればよい。そうすると、『レ・ミゼラブル』のミリエル司教の青年時代につながり、歴史が点ではなくなり、線となり記憶に定着しやすくなります。一昨年前の大河ドラマ「江」は面白くなかったですが、アニメ『へうげもの』はよく出来ていると思います。それはそうで、武人として古田織部は信長、秀吉、家康、秀忠に仕えただけでなく、義兄が中川清秀で、義弟が高山右近であり、茶道については千利休(兄弟子に山上宗二)の切腹後、秀吉及び家康・秀忠の茶道頭になり、大阪夏の陣のあと、豊臣方との内通を責められ切腹することとなり、その後任に弟子の小堀遠州がつくわけだから、戦史のみならず、文化史の側面から観ても面白いはずです。そうすれば、日本の茶道の歴史を知りたくなり、曹洞宗、栄西、『喫茶養生記』と前の時代に遡り、また、映画田中絹代監督「お吟さま」(1962年)、勅使河原宏監督「利休」(1989年)、熊井啓「本覚坊遺文」(1989年)あるいは勅使河原宏監督「豪姫」(1992年)を観たくなるはず。それよりも前に、マンガの原作が第10巻まででているから、それをまず読むのではないだろうか。ちなみに、わたしは史学会会員なので、別に自慢話をしているのではなく、歴史は部分史だけではなく、通史から入った方が効率がよいということを言っているわけです 。ま~、世界史も日本史も好きなことは好きです。
数学は、親父がその業界ではそこそこ知られたエンジニアであったから、英才教育で小学生の段階で大学レベルの数学を教えてもらい、実際、高校でも数学は全国模試でトップレベルであった。しかし、進学校の理系クラスに入ったら、模試で測れないほど数学的センスがある友達がおり、「お前の数学の成績は練習問題をこなしているから高いだけで、大学入学後に伸びるセンスはない」と言われた。実際、彼は後にベルクマン賞という国際的数学の賞を受賞したこともあり、力量の差は明白であったから、文系に変更した。ただし、勘違いしてもらいたくないのは、彼が現在も高校時代からの最大の親友。ただ、大学入試レベルの数学ならば、自転車と同じで一度出来れば、しばらくやらなくても問題の解法が分かるから、専任教員になるまで予備校で数学担当をして、予習なしで稼がせてもらいました。そんなわけで、文系ならば法学部以外受験させないと親父に言われて、法学部に進んだわけだが、もし仮に理学部に進学していたらどのぐらいの大学に進学出来たのかと思い、最近まで『月刊 大学への数学』(東京出版)の学力コンテストに問題を解いては投稿していた。実際、わたしの日本国憲法の講義中に内職で微積分や幾何の問題を解いている学生より、速く問題が解けるし、大人気(おとなげ)ないがその学生の後ろに回ってノートに赤ペンで先に解法を書いたりしていた。したがって、結婚して子供がいたら結構、スパルタ教育をしてしまうと思います。
とにかく、国立大の志望校はもともと理系だったので数学と理科はクリア出来たが、英語の出来がよくないので失敗した。その反省から、ドイツ法講読やフランス法講読といった、司法試験を目指す学生が選択しない少数精鋭のゼミのような授業ばかりとっていた。その関係で、その授業の仲間は全員、大学院に進学し、同期に関しては全員、大学の専任教員となった(わたしが交通安全対策委員長のとき、茨城大学前にバス停を設置したり、高速バスで茨城大学経由コースを引くことが出来たのは、この人脈が生きた)。正直、そのような生き方がよいかどうかは分からない。しかし、外国語が出来る人物は、実際、日本語もよくでき、説明も明瞭。外国語等は外国人の幼児でも喋れるからと、わたしの見解に反対する本学教員もいるが、ではその幼児は大学レベルの専門書を読んで理解出来るのか。それに、翻訳書を読んで、誤訳も結構あるのに、それを鵜呑みにするのでは大学生と言えないのではないかな(原典にあたらなければ、孫引きで評価されない)。さらに、紹介がなされた以上、そのことについては二番煎じに終わりますヨ。悔しくありませんか。日本のことを研究して論文を書いてもsummaryは、本来はラテン語、最低でも英語で書かなければ学術的な価値はゼロです(池谷先生の博士論文『ドイツ中世後期の政治と政治思想』(刀水書房、2000年)のドイツ語で書かれたsummaryを見てください。けっして、わたしは法律学が他の学問に比べて高尚なものであると言っているわけではありません)。まったく、先人の理論を知らずして、新しい理論を創造することは出来ない。そんなものは、思い付きに過ぎない(三田紀房『ドラゴン桜』参照)。いや、それが出来ると言える天才ならば大学に来る必要はないでしょう。また、そのような学問的真摯さがなければ、たんなる無知であるか、傲岸不遜な人物であり、大学はそんな学生はいらない。これは自戒も込めて、諸君に一言指摘しておきたいところです。と言うわけで、かつて国立大は外地留学制度があり、それに騙されて茨城大学に公募したのですが、そのような制度はなくなってしまった。わたしは英独仏羅の文献は読めるのであるが、さすがに留学経験がある若手研究者には、会話においてかなわなくなって来ています。したがって、意外とわたしは勉強好きなので、昨年入院中も単語帳だけは病院に送ってもらいました。三度目のフランス語の勉強だったが、結構、単語を覚えていたので、ラテン語の勉強と一緒にイタリア語を覚えようとしているところです。ま~、これも趣味の一つかな~。
カラオケはハッキリ言って、茨城大学教育学部の教職員のなかでは、洒落にならないぐらいに上手いです。昔は、早川先生と一緒に、茨城大学校歌の普及運動をしていたぐらいですから。中学時代はサッカー部兼コーラス部で府音研において優勝や、準優勝していたから、専門家のお墨付きをもらっています。カラオケ店で校歌、軍歌、唱歌、アニソンならば確実に、全国順位で軽く10位内(点数平均85以上)に入ります(つい最近、実験してみた)。歌謡曲ならば男性は井上陽水、沢田健二、布施明等が得意。女性は相川七瀬、プリンセスプリンセス等が得意だな。演歌は、コブシが回らないので余り得意ではないが、津軽海峡冬景色、おふくろさん、北酒場と必殺シリーズの挿入歌は得点が高い。好きな歌と上手い歌は別だし、カラオケに行くときは競争しない限り、よく知らない歌も歌うので上手く調整してます。今、社会科で歌が上手いのは池谷先生ぐらいかな~。昔、鈴木暎ー先生や藤井千春先生がいたころは結構、定期的に社会科教員でカラオケしていたのに、この頃、しなくなったのは寂しところです。しかし、アニメ「けいおん!・!!」の歌はこれは難しい。秋山澪のベース演奏テクニックは凄いと言われているけど、エンディングもみんな難しいじゃん!!
好きな映画
これを語り出すととまらなくなるから、上述の趣味の部分を読んでください。ただし付け加えるならば、プレストン・スタージェス監督「レディ・イブ」(1941年)、エルンスト・ルビッチ監督「生きるべきか死ぬべきか」(1942年)、黒澤明監督「生きる」(1952年)、小津安二郎監督「東京物語」(1953年)、ジョーゼフ・マンキウィッツ監督「クレオパトラ」(1963年)、スタンリー・キューブリック「博士の異常な愛情」(1964年)、ケン・ヒューズ「クロムウェル」(1970年)、野村芳太郎監督「砂の器」(1974年)、トム・ホランド「フライトナイト」(1985年)、りんたろう監督「火の鳥 鳳凰編」(1986年)。
この中でお薦めなのは、「フライトナイト」で、「クレオパトラ」のオクタビアヌス役のロディ・マクドウォールが気弱なバンバイヤーキラーとして登場したり、また低予算で作られているのに、脚本が練れているのでホラーものの嫌いなわたしが、君たちにお薦めできるコメディー・ホラーです。