逆転裁判
2月8日の備忘録。
午前10時前後に、タクシーにて本務大学に向かう。
教員控室のメールボックスを確認し、パソコンでメールを確認した後、生協の散髪屋でおばちゃんに髭の手入と洗髪をしてもらう。
午前11時から午後3時まで、シラバスのパソコン入力を行う。本務大学のパソコンは、サイバー攻撃からの保護のため学内からLive Campusを通じて成績報告書やシラバスを入力しなければならないのだが、今年は昨年度までと違ってカット&ペーストができないのでとにかく10数本ある講義のシラバスをいちいち入力するので時間がかかる。レジュメを配っても学生には感謝されていないようだから、大人数講義の「日本国憲法」の教科書はレジュメではなく、市販の樋口陽一先生の『憲法 第三版 』(2007年、創文社)と記載した。あと、主だったところでは「法学概論」は『基本的人権の事件簿』、「憲法と社会生活」は『憲法とは何か』および「法と社会」は『シネマで法学』を教科書にしておいた。わたしとしては、学生に教科書を買わせないように努力してきたつもりだが、その親心が学生に伝わらない以上、それなりの出費は覚悟してもらうことにした。わたしは、功利主義者ではないが割が合わないことはしない主義である。
ところで、「法学演習」のテキストだけは趣味に走って、以下のカール・シュミットとルドルフ・スメントの往復書簡集を読むことにした。戦後、ドイツ国法学の系譜はこの二人の学派から枝分かれしたことは周知の事実であり、日本のドイツ憲法学者もこの系譜に繋がることから、わたしのゼミに参加して律儀にもドイツ語で原書を読みたいという学生がいれば、それはそれなりの意義のあることになろう。ついでながら、法律学においては書簡等の研究は地味であまりなされていない(もちろん、J.S.ミルの研究の第一人者の山下重一先生等の優れた業績は忘れてはならない)。しかしながら、日本史などで手紙をはじめとする古文書研究に比べると、少しばかり見劣りするような気がする。さて、来年度にこのゼミに参加する学生がいるのかどうかが、楽しみである。5年前に、自主ゼミでエルンスト・フォルストホフを読んで以来、そのような気概を持つ学生がいないのは残念。
帰宅途中、ヤマダ電機によって以下の2本のDVDを買って帰り、夕食を境にして一本づつ観賞する。
①「逆転裁判」
サイバンチョが弟のサイバンチョになっている、小中大(こなかまさる)が社長でなくフリーライターになっている等、文句をつけはじめたら限がないが、三池崇史監督にもゲームの「逆転裁判」をプレイしたこともない人も観れる映画として作成しなければならないという大人の事情もあるのだろう。「逆転裁判1」をやっいてない人には一応、お薦め、ゲームをやったことのある人にはイメージが壊れるのでお勧めしない。むしろ、「逆転裁判」等はアニメ映画にした方がよかったと思う。演出的には、狩魔豪(石橋凌)に最後に指さすシーンはゲーム版と同じで成歩堂龍一(成宮寛貴)と綾里千尋(壇れい)をオーバーラップさせた方が効果があったはず。最後に、専門家の観点からすればこのストーリーの根幹である「序審裁判」の説明をきちんとしてもらいたい。
②「会議は踊る」
おそらく、この時代がドイツ映画の最盛期であったと思われる。この当時の一高生は、この映画を観てドイツ語の発音を覚えたという(山口瞳『血族』など)。ナチスの犯罪のひとつは、ユダヤ人差別のために大量の名監督や脚本家をドイツからハリウッドに亡命させたことである。戦後になっても、ジム・ベンダース監督の作品ですら面白くなく、退屈でしかない。今年度の夏、「白いリボン」、「黒い雲」、「白雪姫」、「ミュンヘン」等も観たが、ドイツ映画にはコミカルさがない。しかし、今回はこの名画の余韻を味わいたいので批評はこれまでにする。