やしきたかじん死す

2014年01月06日 14:39

1月7日の備忘録。

 午後1時半頃、Heath Brownで以下のパンを買って帰る。

 クロワッサン                      160円

 カリカリカレードーナッツ               160円

 ミックスピザ1/8                                                 160円

 なかなか眠れずに、午前5時過ぎのテレビを観ていると、大阪育ちの、われわれ世代の話法に大きな影響を及ぼした二台巨頭のうちの一人・やしきたかじんが死去したと放送された。小学校から中学にかけては深夜ラジオ(「はーーーい、浜村淳ですABC」や「サタディ・バチョンhttps://www.youtube.com/watch?v=Q8PH9LYZVLQ」)で浜村淳の影響を受け、大学時代以降は帰省すると、実家のテレビに出ていたたかじんに影響を受けた。

 東京に反発していたと言われていたが、いまでも覚えているのはざこばに「たかじん、紅白は出たくないの?」と某テレビ番組で聴かれたとき、たかじんが「紅白はおばちゃんのお菓子と同じで、べ・つ・ば・ら」と答えたことである。ひとつ、大阪のテレビの歴史がおわったなーーーー、と感じられずにはおれない。たかじん本人は嫌っていたが、わたしは彼の「砂の十字架」はカラオケで歌います。