印刷室でレジュメをコピー
9月13日の備忘録。
本来的には、金曜日は在外研究日で本務大学に来る必要はないのであるが、来週からはじまる夏期集中講義のために74頁に及ぶレジュメを作成し、それをカラーコピーしていると時間がかかり、昨日の午後2時半から午後5時のまで印刷しても全体の1/2程度しかできなかったので、明日から三連休になることも考慮した結果、今日は午前8時半には本務大学に向かい、印刷室で午前9時から午後1時までかけてレジュメのコピーを完了する(いわゆる、サービス残業)。当然のことながら、印刷室は風通しが悪く、湿気もあったので全身汗だくになってしまった。とりあえずは、教材面では集中講義の準備は万端というところであろう。あとは、馬鹿な学生がアンケートで資料の配布などが不十分だとマークシートすることがないように願うところ。しかし、おそらくはわたしほどレジュメを配布する教員はいないのに、出席を原則的には採らないためか、このような馬鹿げた授業評価をする学生が毎年、毎学期数人出てくる。このような意味で、わたしは授業アンケートを鵜呑みにすることはできないと考えている。一番よいのは、評価委員の先生がわたしの講義を聴講することであると思っている(これも考えもので、本務大学には自己推薦に基づきFDで「推奨講義」を公開する制度はあるが、こんな恥ずかしいことはわたしにはできない。それに、このような講義は本当に通常の授業なのか疑わしい)。わたし自身は、すべての担当科目を公開授業にしているのであるが、本学に赴任してから同僚の先生がわたしの講義を聴講したことは一度もない。講義の内容が学生にとって難しいと先輩先生方は、わたしに対して注意するが、それは学生の話からの伝聞に過ぎないので、本当に先生方にも講義を「お忍び」で受講してもらいたい。したがって毎回、一般教養科目と相互乗り入れの講義の終了後に、すこしいやな感じがしてしまう。ま~、来週はそんなことにならないようにと思うのではあるが。
(補足)
ここで参考になるのが、東京大学の石川健治氏の講義での以下のような態度であろう。
石川先生の講義は,決してそこで扱われている事柄のレベルは低くない。先生ご自身,「良い講義」というのは,学生向けに易しく語られる講義ではなく,手を抜かずに,教師自身が魅力を感じるような事柄を,学生に対して本気で語ることがその要件であるという趣旨の発言をされていた。
現に,石川先生の講義では,従来の学説が前提としていた事が次々と打ち崩され,そこで用いられる用語も,必ずしも従来の講学上の用語法は一致しないので,確かに,当初は難解な講義であるように感じられると思う。
しかし,石川先生の講義では,しばしば繰り返しの説明がなされ,そこでは当然当初と一貫した内容が展開され,また,論理的に筋の通った講義をされるため,講義回数が進むたびに次第に理解の度合が深まり,講義の最終回が近づくにつれ,理解が進んでくることが実感できるように思われる。
石川先生の講義では,しばしば,「ここでは~が問題になる訳ですが,時間がないので立ち入りません」というコメントがなされる。
これは,もちろん,「実はここには問題があるのだ」ということを示すために用いておられるのであろうし,立ち入る余裕のない箇所に関しては,あたかも問題がないかのように,「定説」のごとく語るのもそれまた問題であるのは確かである。
だが,通説や権威,先行業績に対して臆することなく,自説を鮮やかに展開される石川先生の講義に魅了されている多くの学生は,「問題がある」のに,時間の関係ということで素通りされてしまうと,消化不良というかフラストレーションがたまるのは事実である。
それもこれも,石川先生の講義が学問的に非常に興味深いものであるがゆえの副産物ではあるのだが,もしお時間に余裕があるのであれば,計画的に補講を入れて,先生が伝えたいことを時間にとらわれずに徹底的に伝えるという方が学生にとってはありがたいのではないかと思う。(上2つ、憲法・石川健治教授より引用)
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