LINCOLN

2013年04月23日 10:46

 4月22日の備忘録。

 午前9時過ぎに、本務大学に向かう。

 午前10時前に大学に到着し、メールボックスの確認などして生協の散髪屋に行く。しかし、先客としてN崎先生がいたので外で順番を待って午前10時半から11時まで散髪屋のおばちゃんに髭の手入れと、洗髪をしてもらう。

 午前11時から、4時限目の講義用レジュメの作成、印刷およびコピーを行う。

 4時限に共通11で、現代人権論/日本国憲法の講義を行う。配布したレジュメは、以下のものである。

現代人権論/日本国憲法(担当 中野雅紀)      2013.04.22

1.問題提起
 日本国憲法の三大原則の序列を考えてみよう(ちなみに、ドイツは「自由の原則」、「民主制の原則」、「基本権尊重の原則」および「法治国家の原則」の四大原則である)
 価値相対主義→マックス・ヴェーバーの「神々の争い」
 何か決まっていないと不味いのではないか
 それでもいいと言うならば、序列を考える必要はない


2.ホッブズの思想 
 平和あっての主権論、あるいは人権論
 ホッブズの生きた時代背景
 無敵艦隊の来襲→外敵の脅威→『リヴァイアサンLeviathan』
 清教徒革命  →内乱の脅威→『ビヒモスBehemoth』

 社会契約理論→ bellum omnium contra omnesの解消


3.カントの思想
 『人倫の形而上学原論』→人間は常に手段として取り扱われるのではなく、目的として取り扱われなくてはならない。
 Ex.たとえば、戦争中の神風攻撃は否定される。また、自殺も否定される。


4.結論
 少なくとも、わが国は近代立憲主義を採用している以上、啓蒙期のカントの思想の方に力点をおく必要があると考えるのだが、諸君はどう考えるのか。

 

参考
 映画「わが命つきるとも」
   「エリザベス ゴールデンエイジ」
 著作
 トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』、『ビヒモス―あるいは英国における長期議会―』、『De Cive(市民論)』
 イマニュエル・カント『人倫の形而上学原論Die Metaphysik der Sitten』
 マックス・ヴェーバー『職業としての学問Wissenschaft als Beruf』、『職業としての政治Politik als Beruf』、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus』
 フランツ・ノイマン『ビヒモス ナチズムの構造と実際』
 長谷部恭男『比較不可能な価値の迷路』、『憲法とは何か』
 日比野勤「基本価値論争をめぐって―現代西ドイツ国法学界管見―」(芦部信喜先生還暦記念『憲法訴訟と人権の理論』843頁以下
 

 【考えてみよう】なぜ、ハムレットやドンキホーテは悩むのか。

 

 午後6時過ぎに、自宅マンションに帰宅する。駅南の映画館で映画を見ようと思ったが、上映時間まで二時間半あったので、以下のDVDを観賞して時間をすごす。

 

 午後8時25分から午後11時まで、久しぶりに映画館(箱)でスピルバーグ監督の「リンカーン」を観た。この作品は国法学研究者として前々から観ようと思っていたものである。しかし、平日の深夜最終上映であったためか観客がわたし一人という観賞環境としてはこの上もないベストの状態であったが(C-11席)、映画ファンとしては少し寂しい気がしないでもなかった。内容的には完全に玄人受けの作品であり、アメリカ憲法を学んだことのない一般人には受けないような作品である。詳しい感想はについては後日、ブログの書き込み、あるいは内容修正で行いたいと思う。とりあえず現時点でここで書き込んでおきたいのは、リンカーン時代の共和党と民主党の立ち位置が正反対であること、リンカーンがシーザー、独裁者と非難されていたこと、日本の旧大審院の芸妓契約無効判決と同じ理屈で黒人を奴隷から開放しようとしたこと、奴隷解放急進派議員の主張を「法の前の平等」までに押さえ込んだことである。後半の問題は、合衆国連邦憲法の修正条項と大きく関係してくる。しかし、これはアメリカ憲法やアメリカ史を学んだことがない観客にはチンプンカンプンであろう。おそらくは、これが原因で「アルゴ」とのアカデミー作品賞レースで負けたと思うのだが。

 

 帰宅後、以下のDVDを観賞してから就寝する。

 クトゥルー神話については、4月14日のブログの書き込みを参照のこと。