3月1日の備忘録。
2月のこのホームページの訪問者数は以下のようなものであった。
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ちなみに、訪問者、訪問数、ページ、件数の順である。
次に、訪問国は1位アメリカ、2位日本、3位中国、4位チェコ、5位クウェートである。
最後に、キーワードは1位中野雅紀、2位林知更、3位憲法判例インデックス、4位国法学研究教室、5位少女革命ウテナである。
10時から16時ぐらいまで、スーフィズムについてレポートにまとめる。
第1章 スーフィズムとは何か
まず、本題に入る前に確認しなければならないことがある。つまり、それはそもそも「スーフィズム」とは何であるのかということである。なぜならば、東長靖が言うように、イスラームを「イスラム教」と翻訳するのと同じように、タサウウフをスーフィズム、あるいは「イスラーム神秘主義」と翻訳することは、その実態を十全にあらわすものではないからである(東長靖『イスラームのとらえ方』(世界史リブレット15、山川出版社、1996年)16頁以下、53頁、イスラーム神秘主義についてはレオナルド・A・ニコルソン/中村広治訳『イスラムの神秘主義―スーフィズム入門』(平凡社ライブラリー、平凡社、1996年)及びラレ・バフティヤル/竹下政孝訳『スーフィー―イスラムの神秘階梯』(イメージの博物誌、平凡社、1982年)も参照)。つまり、オリエンタリズムの立場でスーフィズム全体から、外部観察者が勝手に一部のみを切り取ってスーフィズムと認定し、その他の部分をスーフィズムではないとすることは妥当性を欠く(東長・前掲書57頁、オリエンタリズムについてはエドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年))。このことによって、なるほどスーフィズムは神秘主義の要素を一つの核としているのであるが、それに加えて広く日常倫理や社会変革の要素を含みもっていることが見えなくなってしまう(東長・前掲書57頁)。以上を前提とした上で、スーフィズムとは何かを考えなければならない。東長によれば、スーフィーは「外形よりは心の内面を重んじて、修行に励む人びと」であり、「スーフィズムとはこのような人々の営為を広くさ」すものである(東長・前掲書53頁)。神秘主義哲学を展開した神秘家からすれば、目にみえるモノの存在を絶対的なものとは考えず、日常意識を超えたところに真実が存在することを信じ、さらにこの相対的存在が真実在と合一しうると思想、体験、あるいは仮象的存在にすぎないのではないかという、はなはだ心もとない状態におかれている私たちが、この心もとなさからのがれるためには「神秘的合一」、すなわち真実在と合一するという難解なスーフィズム理解でよいのかもしれない(東長・前掲書53、56頁)。しかし、このような説明ではスーフィズムのイスラム世界での拡張、ひいてはイスラム世界の世界での拡張を説明することができない。なぜならば、このようなスーフィズムはごく一部の人だけがわかるものにすぎず、もしそうであればそれを理解できない大多数の一般大衆がメインの、スーフィズムの民衆的広がりが説明できないからである(東長・前掲書56-57頁)。東長によれば、「スーフィーの著作を読めばまったく神秘的ではない日常倫理を説いているものも多い」(東長・前掲書56頁)。そこからの帰結は、「少なくともイスラーム社会の歴史を考える際には、『スーフィズム=イスラーム神秘主義』という図式にとらわれないほうがよい」ということである(東長・前掲書57頁)。
第2章 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム
われわれ日本人がイスラーム(イスラム教ではない)を知るためには、容易ではない一神教を理解し、その神が世界を創造したということを知らなければならない。言うまでもなく、イスラームの神はユダヤ教の神でもあり、キリスト教の神と同一である(東長・前掲書1頁。それゆえに、この3つは啓天宗教であり、それを信じる者を啓天の民と呼ぶ)。
では、人々はなぜ宗教を必要とするのか。それは人びとが宗教に救いを求め、各宗教はそれぞれの仕方で救いを与えるからである。であれば次に、イスラームにおいて救いはどのように与えられるのかが問題となる。東長によれば、それは以下のように説明される。
「基本的に、ユダヤ教同様、戒律が神の命令であると信じるイスラームでは、導きとしての戒律を守ることが、そのまま救いにつながる。……しかしながら、決まりが一人歩きする可能性は否定しえない。たとえば信号はなんのためにあるのであろうか。しかし、真夜中の車一台通っていない横断歩道でも、信号が赤だとじっと待ってしまう自分を発見することがある。逆に、急いでいるときなど、赤信号で待たされると、信号だけをみていて、それが青になったとたんに、左右の安全も確認しないで渡り出すこともよくある。逆に、急いでいるときなど、赤信号で待たされると、信号だけをみていて、それが青になったとたんに、左右の安全も確認しないで渡り出すこともよくある。こうなると、元来、われわれの安全のためにある信号に、われわれは命令されてしまっているのかもしれない。あくまでも基本は、自分で自分の身を守ることで、信号はそのための補助手段であるはずである。ところがわれわれは本来の目的を忘れ、知らず知らず、信号を守りさえすればよいというふうになりがちなのである。
キリスト教がユダヤ教を批判したのは、まさにこのような点においてであった。つまり、「律法のために人があるのではなく、人のために律法がある」という主張である。元来の律法の趣旨は、人を救うためであった。ところで、昨今のユダヤ教徒は、その本来の精神を忘れ、ただ形のうえだけで律法を守っていればそれでよい、としている、というイエスは考えた。律法の外見的な形ではなく、その内にひそむ精神こそが大事なのだ、というのがイエスの主張であった。だからイエスは、あえて律法を破り、安息日に病人を癒している(マタイによる福音書、12章9~14節)。
このように、決まりはつねに形骸化する可能性をもっている。イスラーム法も例外ではない。イスラーム法は、心の内面よりむしろ、外にあらわれた行為をもって価値判断の基準とする傾向がある。これにたいして、そういう「形」ではなく、内なる「心」こそがより大事なのだ、という主張があらわれてきた。これをスーフィズムと呼ぶ。形による救いをもたらすイスラーム法と、心による救いをもたらすスーフィズムは、イスラームの両輪といえよう」(東長・前掲書51‐53頁)。
ここで若干の補足をおこなう。われわれは宗教というと、個人の心の救いを第一に考え、政治や経済とは無関係なものと思っているのに対して、イスラームはその本質上、つねに社会を問題にし、政治も社会もそのなかに包み込んできたことを指摘する必要がある(東長・前掲書7頁)。そしてもう一つは、キリスト教が「信仰さえあれば律法を守る必要がない」とするのに対し、イスラームは「行為にあらわしたときに罰せられる」という外形上の救いを原則としていることを指摘する必要があろう。これこそが、心による救いをもたらすスーフィズムの多面性の一つである(東長・前掲書13頁、規範的な側面については奥田敦『イスラームの人権』(慶應義塾大学出版会、2005年)参照)。
第3章 スーフィズムの確立
スーフィズムの確立は、イスラームの大帝国化およびそれにともなう世界宗教化と連関している。したがって、このことを東長に倣って説明しよう。
750年までに、イスラーム勢力は大征服によって東はインドの西北部から、西はイベリア半島にいたる一大帝国を築き上げた。この過程で、一方においては征服者であるムスリムは急速に富裕化し、現世享楽的な傾向が広まったが、他方においては、ただひたすら来世を思い、清貧に生きようとする禁欲家たちが登場してきたのである。
以上の説明が前章の心のはなしだとすると、次には形のはなしをする必要が出てくる。9世紀ころには、大帝国の誕生・成立により、国家統治の基礎になるイスラーム法の成立が促され、スンナ派四法学派が確立された。かつて禁欲家の流れを汲む人びとは、「形」が整えられたことによって満足せず、より内面的な「心」を求めて修行に励むかたわら、自分たちの思想を表現しはじめた。このようにして、9世紀から10世紀ころのスーフィズムが確立したのである。
スーフィズムの主張は、外面的な「形」を守るだけでは不十分であり、そこに「心」がこもっていなければ意味がない、というものである。そのなかには、この内面重視を徹底するあまり、外面的な「形」などどうでもよいというものまであらわれた。しかし、この主張はイスラーム法を破ってもよいということを意味するため、イスラーム法学者から激しい反発を受けることになる。10世紀から12世紀にスーフィズムの理論化が押し進められるが、そこでは、このような過激な主張はごく一部の者だけの発言であり、多くのスーフィーたちの本音はあくまで、イスラーム法遵守を前提とした内面的修行である、という姿勢が繰り返し示された。その努力の甲斐あって、12世紀ごろには、スーフィズムは、イスラームのなかにしっかり根をおろすことになったと言われている。もっとも、このような理論家たちの思想とはうらはらに、実際のスーフィズムのその後の歴史は、かならずしもイスラーム法遵守を貫いているとは言いがたい(東長・前掲書57-59頁)。
ここで指摘すべき点は以下の2点であろう。まず、スーフィズムの過激派の主張は、イスラーム法の原則である「心のなかでどんなに悪いことを考えてもそれ自体で罰せられることはな」く、「それを行為にあらわしたときにはじめて罰せられる」のではなく、むしろ、キリスト教の「外にあらわれた行為がどれほど立派でも、心のなかが立派でなければ、偽善にすぎない」の立場に近いものを感じる(東長・前掲書13頁)。
次に、過激派の主張は「シャーリアは本来的に神の命令だから、人間には立法権はな」く、それゆえに「法解釈」が必要となるという原則に反する。それゆえに、イスラーム法学者の激しい反発を呼んだと思われる(東長・前掲書48頁。これはキリスト教社会のドグマーティクとヘルメノイティークの対立に似ているように思われる)。
第4章 スーフィズムのはたした役割
東長によれば、イスラームは戒律でがんじがらめにされていて、自由がないなどの誤解を受けているとされる。しかし、自由のないイスラーム教徒数が15億を果たして超えることができるのか、あるいは民族宗教たりえるのかという問題が出てくる。次に、それに則してスーフィズムのはたした役割を概観することとする。
東長によれば、歴史的にみれば、スーフィズムが形にこだわらなかったことが、イスラームの宗教としての寛容さを与える結果になった。その例として、挙げられるのが偶像崇拝の禁止である。現実問題として、イスラームは偶像崇拝を禁じているが、イスラーム世界においても人びとが村はずれの古木に願かけをするといったことはよくみられる情景である。この聖木崇拝=偶像崇拝をスーフィズムはいかにして理論化、あるいは正当化するのであろうか。東長は以下のように説明する。「この木には、かつて聖者の誰某がさわって恩寵を与えたので、その恩寵が宿っている。だからこの木に願をかければ、それはきっと聖者に届き、そして聖者はそれをアッラーに取りついでくださる。だから、この木に願をかけることはイスラームに反しない(≒違法性の阻却か?)」。このように、民間信仰・土俗信仰(ここでは聖木崇拝)を取り込み、理論化していったのである。その結果、イスラームは民衆や異教徒にとっても受け入れやすいものとなった。法学が厳格な原則や手続き論にもとづいてイスラームを収斂させる一方、スーフィズムは形式に拘泥しないことによってイスラームを拡張する働きを担ったといえる。
次に、中世にはスーフィズムは民衆のあいだにどんどん広がっていき、イスラーム世界を席捲するにいたった。たとえば前近代のエジプトでは、ムスリムであるということは、いずれかのターリカに属することと同義であったと言われているように、「ターリカ」と呼ばれるスーフィー教団が各地でできあがり、民衆を取り込んでいった。また、中世イスラームが、東南アジアやサハラ以南のアフリカに広がったのも、スーフィズムのおよぼした影響が大きいと考えられる。ただし、ここで以下の問題が生じる。なるほど、この時代、これらの社会ではイスラーム諸国はファショナブルな先進文化の一部ではあったが、はたしてイスラームが法を前面に押し出し、これに合致しないものをすべて禁止するような態度に出ていれば、あれほどの改宗が起こったであろうか?、という問題である。これに対して東長は以下のように答えている。「やはり、スーフィズムのもつ、既存の信仰・儀礼を認める寛容さがあったからこそ、これらの地域に爆発的にイスラームが広がったのである」と。
最後に、中世との対比で近代になってのイスラーム世界の凋落によって、スーフィズムがその後進性の元凶として批判されるが、その批判が正鵠を射るものといえるのか?、が問題となる。この「スーフィズムの死亡診断」に対して、東長は以下のように反論する。
現代においてスーフィズムがもはや生命力をもっていないとみるのは、誤りである。現在も進行中のサハラ以南のイスラームへの改宗において、あいかわらずスーフィズムは大きな影響力をもっているし、旧ソ連中央アジア諸国における「イスラーム原理主義」運動の担い手はターリカである。むしろ、近現代におけるスーフィズムの衰退という現象は、東アラブやトルコに特殊な傾向とみることもできよう。そのトルコですら、スーフィズムの系統を汲んでいるといわれるイスラーム政党「公正発展党」が、政権を担うまで急成長しているのである(東長・前掲書59-62頁)。
第5章 むすびにかえて
イスラームないしスーフィズムに対する誤解は、パレスチナ人のサイードの言う意味での「オリエンタリズム」に基づいていると言えるのではなかろうか?そもそも、スーフィズムを「イスラーム神秘主義」と訳語をあてていることからも、「東洋を不気味なもの、異質なものとして規定する西洋の姿勢(視点)」にもとづいているように思われる(エドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年)。しかし、世界宗教であるイスラームを詳細に検討するならば、そこには刑法でいうところの「客観主義的」な側面もみうけられ、また「寛容」あるいは「フレキシブル」なものであることが理解できる。本レポートをまとめるに際し、イスラーム理解を深化させることができた。
―以上―
<参考文献>
①東長靖『イスラームのとらえ方』(世界史リブレット15、山川出版社、1996年)
②井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』(岩波新書、岩波書店、1980年)
③片倉・加賀谷・後藤・内藤・中村編『イスラーム世界事典』(平凡社、2002年)
④エドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年)
⑤レオナルド・A・ニコルソン/中村広治訳『イスラムの神秘主義―スーフィズム入門』(平凡社ライブラリー、平凡社、1996年)
⑥ラレ・バフティヤル/竹下政孝訳『スーフィー―イスラムの神秘階梯』(イメージの博物誌、平凡社、1982年)
⑦奥田敦『イスラームの人権』(慶應義塾大学出版会、2005年)
評価 合格
担当 藤木先生
コメント 前回に比べて格段に良くなったように思います。多少例外はありますが、全体的に引用を最小限に留め、自身の言葉で表現しようとした努力が伺えます。
ただし、このレポートの設問は「指定文献である『イスラームのとらえ方』をまとめること」ではなく、「指定文献を手掛かりに(或いはきっかけに)して、スーフィズムについて自身で調べ、多面的に論じること」を求めています。その意味では今回のレポートは未だ不充分と言わなければなりませんが、指定文献を熟読した跡が随所に見られ、他の参考文献も参照していることから合格とします。
今後は以上の点に注意してレポートを作成してみて下さい。
2014年3月26日追記
13時23分、デニーズでクリーミーボロネーゼ単品 740円を食べる。
18時46分、デニーズでぶりの粕漬け膳単品 1030円を食べる。
今日のドイツ語単語
braten 焼く brieten gebraten
brechen 破る brach gebrochen
brennen 燃える brannte gebrannt
bringen もたらす brachte gebracht
denken 考える dachte gedachte