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中国文学史

2014年03月07日 14:14

3月7日の備忘録。

9時24分、駅前の松屋で鶏の辛味噌炒め定食 580円を食べる。

 

 ↑ なかなか、美味しゅうございました。

 9時半から12時半頃まで、県立図書館で中国文学史をレポートにまとめてみる。

 おもに検討したのは以下の2点

  ①中国文学における漢代の意味

  ②中国文学における政治

 13時9分、駅前の庄やで松花弁当 580円を食べる。

 お膳の端に写っているのは、図書館で複写してきた石川健治「統治のヒストーリク」奥平・樋口編『危機の憲法学』(弘文堂、2013年)15頁のコピーである。帰宅後に、通読したが、その感想については後日、補完する(ergänzen)ことにしたい。ただ、この論文は石川「コスモス―京城学派公法学の光芒」酒井他編『岩波講座「帝国」日本の学知1」(岩波書店、2006年)とのつながりを意識して読む必要があることだけは指摘できる。

 個人的に興味を持った箇所は以下のものである。

 「理論的に彼らを支えてたのは、主として、普遍主義=全体理論で知られるウィーン大学のオトマール・シュパンと、1931年にローマ教皇ピウス11世が出した回勅「クワドラジェシモ・アンノ(Quadragesimo Anno)」である。前者は、全体・普遍としての社会こそが始原的・本来的な実在であり、個体・個人は無であると主張し、後者は、国家の役割に関する補完性(Subsidarität)原理の提唱でも知られるが、ともに、行きすぎた個人主義による自由放任経済とマルクス主義による統制経済の双方を批判し、職能身分(Berufstände)がおりなす有機体的社会への再編を構想する。翌1932年に、ザイペルとの代替わりで頭角を現した、エンゲルベルト・ドルフスを首班とする新政権が成立すると、権威原理(Autoritätsprinzip)」と、(職能)身分原理(Ständeprinzip)とを掲げた。前者は、権力の正統性の源泉を国民に求めながらも、反議会主義的統治を意味し、後者は、職能身分ごとに自治的な(しかし、実際は強制加入の)団体を設け、それらを集めた職能代表によって、国家と社会を媒介させようとするものである。」(石川「統治のヒストリーク」44-45頁)

 

 今日のドイツ語単語

  geben  与える          gab                        gegeben

    gedeihen  栄える      gedieh                   gediehen

    gehen  行く          ging                      gegangen

   gelingen  うまくいく     gelang                    gelungen

    gelten  有効である     galt                        gegolten                

  

 

公益財団法人史学会―財団法人はGesellschaft-

2014年03月06日 11:02

3月6日の備忘録。

 普通、専任の大学教員(教官)がどれだけ学会に所属していてるのか分からないが、そろそろ学会の会費を支払う上で限界になってきているような気がしてきた。現在、わたしが所属している学会は日本公法学会、憲法理論研究会、法文化学会、法哲学会、法制史学会、日本法政学会、比較憲法学会、史学会、哲学会であり、さらに研究会は憲法裁判研究会、ドイツ憲法判例研究会、東京法哲学研究会、公法研究会、基礎法研究会、DAS研究会である。そんなわけで毎年、会費だけで15万円以上を支払っていることになる。その多くは専門の研究と関係しているわけだが、中には専門とは関係のない学会がある。反対に、憲法学者ならば入っているはずの全国憲には入会していない。そんなこんなで、会費の支払いを後回しにしていた史学会から会費の支払いの催促状が来てしまった。法律学以外の学会は資格審査が甘いので、専任教官になったときに次からつぎへと入会したのが不味かったのかもしれない。これで、各学会が出している学術誌に投稿でもしていれば意味があるのかもしれないが、多くの場合は忘れたころに総会に参加するぐらいだからたちが悪い。むかしは、これに加えて関西系の大学の研究会にも所属していた。いったいどのような考えであったのか。←言い訳をするならば、病気をしなかったら、まだモチベーションとヴァイタルは持続できたのにな~(´・ω・`)。

  9時16分、駅前のすき家で山かけのっけ朝食 400円を食べる。 

 10時頃から、カリキュラム開発室でN教務委員長から依頼されていた「憲法と社会生活」のシラバスの記事の書き換えを行う。この頃は、書き仕事はカリキュラム開発室で行うのがもっぱらになってきた。というのも、病気が完治しているわけではなく、事務仕事関連で4階の自室と1階の事務室の行き来が頻繁になるとつらいので、1階にあるカリキュラム開発室で事務仕事をおこなう方が身体に優しいからである。それに、カラープリンターが利用できることも大きい。

 上記写真の画面を覗き込む、というような酔狂な訪問者はいないかと思うが、来年度の「憲法と社会生活」は石川健治『自由と特権の距離』を読む予定である。これは現在、東京学芸大学大学院博士課程に在学中のNさんがこの講義に参加して以来、久しぶりの再読会である。

 

 それでも、13時前に駅前に戻ってきて中央郵便局で会費 12.000円を支払ってきた。

 12時56分、駅前の庄やで日替りC 500円を食べる(卓番33)。

  何度も庄やで食べてはいるのだが、定食Aと定食Bがまずメニューにあがり、そのどちらかが売り切れると定食Cがメニューにあがるということをはじめて知った。

 18時2分、駅前のCoCo壱番屋でやさいカレーなす 780円を食べる。

 今日のドイツ語単語

  fließen 流れる     floß                 geflossen

    fressen 食う       fraß                 gefrassen

    frieren  寒い       fror                  gefroren

    gären 発酵する          gor                  gegoren

    gebären 産む      gebar              geboren

    

BS歴史館「反逆者か?英雄か? 日本の海賊・知られざる真実」

 

放送概要

日本の歴史の大きな転換点には、実は、海賊の存在があった!?12世紀末の源平合戦の勝敗を分けたのは、源氏が、最終的に有力海賊を味方にして、平氏を圧倒したためといわれる。さらに、戦国時代、毛利軍に味方し、瀬戸内海の覇者・村上海賊は、信長軍に勝利した。その強さの秘密とは何か?彼ら海賊のおきてと独特の戦法とは?最新の発掘史料をもとに、歴史の陰に埋もれている知られざる海賊の素顔に迫る。【出演】作家和田竜ほか

 

アメトーーク!サバンナ高橋、バカリズムらジャイアン語る

2014年3月5日 10:10 147

イメージ

「アメトーーク!」の「ジャイアン心の友芸人」。(c)テレビ朝日

 

明日3月6日(木)の「アメトーーク!」(テレビ朝日・ABC系)で「ジャイアン心の友芸人」が放送され、キャイ~ン天野、よゐこ有野、勝俣州和、麒麟・川島、サバンナ高橋、博多華丸・大吉の大吉、バカリズムが出演する。

「ドラえもん」に登場するジャイアンに「うらやましい」「憧れる」「男の中の男」といった気持ちを抱えるという彼らが、ジャイアンの魅力を語り尽くす1時間。「お前の物は俺の物」「心の友よ」をはじめとする名文句の数々、「ジャイアンリサイタル」の被害状況などが詳しく紹介される。

意外と知られていないジャイアンの優しさ、ピュアな一面なども明らかに。ゲストがみなジャイアンに扮してスタジオに登場するジャイアンだらけのトークをぜひお楽しみに。

   

 

虎ノ門法律経済事務所

2014年03月05日 12:43

3月5日の備忘録。

 本務大学の1階にある教員控え室のメール・ボックスに先日、虎ノ門法律経済事務所からのゆうメールが届いていたので、いったい誰から、いかなる用件でわたしにこの郵便物が送付されたのか訝しがったのであるが、中身を見て安心した。石田栄二郎先生(近畿大学法学部名誉教授)からの事務所開設の挨拶状であった。しかし、憲法学を専門に研究していると結構、神経質になることは免れない。こんな地方大学で教えていても結構、左右からの政治的干渉を受けるからである。そもそも、これまでの人文学部の憲法の先生が政治色が強すぎたと感じる。そのことについては後日、追加的な書き込みを行いたい。

※「一般に、政治的争点について、人々は(選挙における投票行動を思い起こせば分かりやすいが、)論理的にというよりもむしろ「好き嫌い」という内心の感情に従って判断する傾向性がある。それだけに、政治の場では、同じ意見の人は味方だが反対の意見の人は「敵」だと見做される場合が多い」(小林節「憲法学者としての三十五年間と通信教育」『三色旗』792号、11頁)。

 9時54分、デニーズでベーコンエッグ朝食単品 500円を食べる。

 13時25分、デニーズで以下のものを食べる。

  LデミグラスHBとコロ単品      580円

  セットドリンクバー           200円(割引券利用で-200円)

 18時19分、デニーズで美健丼 サーモンバーグ飲バー 890円を食べる。

 今日のドイツ語単語

  fechten  闘う         focht                      gefochten

    finden    見つける      fand                        gefunden

    flechten  編む         flocht                      geflogen

    fliegen  飛ぶ         flog                          geflogen

    fliehen  逃げる        floh                         geflohen

    

      

臨時教授会

2014年03月03日 13:22

3月4日の備忘録。

 前期試験の合格発表が近づき、その承認が必要となるので3月は臨時教授会が入るのが通常である。以下、教授会の合間を縫って書き込んだので、文章的には直すべきものが多く見られると思うが、お付き合い願いたい。←そもそも、こんなマニアックなブログに訪問している人、「そう君だから」こそ、このような注意書きをしておいたわけです。

 10時16分、駅前のすき家でまぜのっけ7朝食 300円を食べる。

 慶應に内地留学中にお世話になった、小林節先生が今年度いっぱいで退職されることを知った。確か、本学のI先生と新宿高校の同級生であり、私立と国立の違いはあれ定年が65歳ということで、退職なのは理解できるのだが。ちなみに、内地留学時の思い出話は、暇ができたら書き込むことにしよう。

※わたしの引き受け教官は小山剛教授であったが、小林節教授、大沢秀介教授、駒村圭吾教授にも内地留学中、あるいはその後も大変お世話になっている。特に、内地留学初日に小林先生が、わたしの歓迎会のために三田の滴屋でお食事会を開いてくれたことは思い出深い。内地留学中、わたしは生意気にも「慶應の憲法はこれでフランス憲法の先生がいれば磐石ですよね」と言ったことがあるが、その数年後に山元一教授が慶應に移籍され、わが国の法学部では一番バランスのとれた布陣となっているように思われる。

 メールを見ていると、商事法務の水石さんから献本希望の伺いが来ていたので、一応、以下の先生方への献本をお願いした。

  阿部照哉先生

  大石 眞先生

  大沢秀介先生

  大日方信春先生

  桑原勇進先生

  駒村圭吾先生

  小山 剛先生

  佐藤幸治先生

  宍戸常寿先生

  初宿正典先生

  須賀博志先生

  曽我部真裕先生

  高田 篤先生

  土井真一先生

  藤井樹也先生

  棟居快行先生

  毛利 透先生

  山元 一先生

 13時から15時まで、教授会に出席。

 15時37分、大学近くの宝島でL石焼きビビンバ 714円を食べる。

 16時から17時半頃まで、教育学研究科インターンシップFDに出席。

  付属小学校及び付属中学の先生方のみならず、実践報告を行った大学院生に拍手。

 18時前、大学前の大幸飯店で盛り合わせJを久しぶりに頼んで食べる。

 19時過ぎに代引きの荷物が自宅マンションに送られる予定だったので、19時前後に帰宅し、19時半に宅配業者からAmazonに注文したヴェルギリウス関連の著作を受け取る。←これは、あくまでも教養のため。あと今年度中に自費で買いたいのは、値がはるが以下写真のものである。

※わたしのラテン語能力は辞書を引けば、なんとか読める程度でしかない。大学院時代に国際法の文献(わたしの記憶が正しければハーシュ・ローターパクトの原書)を読むために、柴田光蔵先生の著作でちょこちょことラテン語を勉強しただけである。しかし、最終講義でI先生が学部時代に勉強してよかったことのひとつとしてラテン語を自習したことと言うように、西洋のことを研究対象としている以上、ラテン語を知っているかいないかは、文献理解に大きな差を生じさせる。ところで、おもしろいのはまど☆マギでQB営業のテーマと言われているSis puella magica である。これは、ニコニコ大百科で説明されている以下の内容を読めばラテン語の誘いとなろう(なるんじゃないかな)。

 

                                https://www.nicovideo.jp/watch/sm13778100

 空耳「♪ラーミア トスティーヤ アリアー ニーキーヤ ソーリア リートーワー ロウラー

♪ゲースティナ オーリーヤ マリアー ニッキーヤ ソーリヤ リートーワー ソホヤー
♪セマリア リーヒーッヒ ィソウラーラ ロウラー ソリビヤ ロウチェーヒ ローヤーヤ リヒオー
♪サマリア ローチェー ニッヒーイーヤ ニイロー ロウラー リヒーヤー シイラーワー トゥオラー」←よくやるわ!

 しかし、空耳ストは結構ファンがいるものである。林知更氏の日記にも以下の記述が。

 2月28日(金)
 「夜中まで、必死に研究会報告の準備。おかげで、『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」を見るのを忘れる(地デジ対応をしていないが、デジアナ変換とかで、まだかろうじて『タモリ倶楽部』くらいは見られる)。
 しばらく前に一緒にドイツ語を読んで勉強した若い助教さんから、無事に助教論文を提出しました、とのメールをもらう。自分が助手論文を書いていた頃のことなども思い出して、ちょっとした感慨に耽る。こういうことって、うれしいですよね。」https://www3.plala.or.jp/verfassungslehre/tagebuch.html

本題に戻って

 「"Sis" は、ラテン語の動詞 "sum"英語で言うところの "be" )の接続法現在・二人称単数形。接続法は話す人の観がこもった表現に使われ、例えば「勧誘」、「命令」、「願望」などを表す。 "Puella magica" が「魔法少女」なので、訳は例えば、「魔法少女になってみない?」とか「魔法少女になってよ!」とか「魔法少女になってほしいんだ!」とか「魔法少女になってくれたらうれしいな!」といったものになる。」(https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%96%B6%E6%A5%AD%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E)←出ましたね、英語では習わなかった「接続法」という解説が!!!

 

 本当は来年度、わたしの本務大学のゼミでこの本を輪読したかったが、昨年からゼミ員と読み続けている仲正昌樹『カール・シュミット入門講義』(作品社、2013年)が最後まで読み切れていないので、これを読むのはH27年度以降ということになろう。いずれにせよ、『ガリヴァー旅行記』は当時の政治思想を知る一級の書物なので、いつかは学生・院生とじっくりと読み込みたい、と考えている。(実は、今から15年ほど前のゼミで1回だけ『ガリヴァー旅行記』をテーマに扱ったことはある。)

 20時から21時まで、ニコニコ動画で勝谷誠と岡田斗司夫の対談を視聴する。面白かったのは、勝谷氏の、自分は「中二病」ではなく、「小二病」であったという発言である。しかし、小学生で宮沢俊義先生の憲法教科書を読むか!←とは言え小学4年生の時、有吉佐和子『恍惚の人』と『複合汚染』で読書感想文を書いたわたしも完全に『小四病』である。この頃のわたしは、読書感想文や、絵や音楽会(コーラス)で府の賞をほとんど独り占めしていた。残念なのはその後、これが続かなかったことである。

 

 今日のドイツ語単語

 erschrecken 驚く         erschrak                  erschrocken

  essen          食べる        aß                          gegessen

  fahren          行く         fuhr                         gefahren

  fallen           落ちる       fiel                          gefallen

 fangen          つかまえる    fing                          gefangen

 折角、今日の話題でラテン語が出てきたのだから、ラテン語の単語や文法もこの備忘録に書き留めたいが、その時間的余裕がない。とは言え、HPでラテン語名言集がUPされていたので、ここで引用させてもらう(https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~gokun/latin.html)。

ラテン語名言集

文頭が大文字になっていないのは間違いではありません。
気が向いたら更新。
 

  • cogito, ergo sum. 
    我思う、故に我あり。--デカルトの有名な句。

  • memento mori.                  
    死ぬ事を忘れるな。

  • quo vadis domine? 
    主よ、どこへ生き給うのか?--キリスト教がローマで大迫害された時、ローマから逃げ出したぺテロ(だっけ?)が道でむこうからイエスが歩いてくるのを見て言った言葉。此の後イエスは「ローマへ」と言う。

  • vox populi vox dei. 
    人民の声は神の声。--ローマの民主主義を表す。

  • jacta est alea. 
    賽は投げられた。--カエサルが政敵を倒すためにガリアからローマに戻って来る途中、ルビコン川を渡る時に言った言葉。

  • odi et amo, quare id faciam, fortasse requiris, nescio, sed fieri sentio et excrucior. 
    憎みながら、愛す。なぜそうするのか君は尋ねるかもしれない。自分でも分からない。しかし、そうなる事を感じて苦しんでいる。--ローマの或る詩人(誰だっけかな)の残した詩。恋愛の二律背反を唄っている。

  • vivere est militare. 
    生きる事は戦う事だ。

  • pleraque facilia dictu sunt, sed factu difficilia. 
    多くのことは言うには易しいが、為すには難しい。

  • quod nimium est, fugito; parvo gaudere memento. 
    あまりに大きい事を避けなさい。小さい事に喜ぶ事を忘れるな。

  • qui sapienter vixerit, aequo animo morietur.m 
    賢く生きた人は平静な心で死ぬだろう。

  • fac, quod rectum est, dic, quod verum est. 
    正しい事を為せ、真の事を言え。

  • aliis ne feceris, quod tibi fieri non vis. 
    自分にして欲しくない事を他人にするな。

  • ne gloriatus sis beneficiis tuis. 
    自分の親切を自慢するな。

  • veni, vidi, vici. 
    来た、見た、勝った。--カエサルのたった3語で全てを言い尽くした手紙。

  • festina lente. 
    ゆっくりと急げ。--ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの座右の銘。

  • errare humanum est. 
    間違う事(迷うこと)は人間的だ。

  • usus est magister optimus. 
    実践は最良の教師。

  • et tu Brute,(Then fall, Caesar!) 
    ブルータス、お前もか、(ならば倒れよ、シーザー)--カエサルがブルータスに暗殺される時に言った言葉(本当は言っていないらしい)シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の台本にある言葉。このセリフだけラテン語。

  • homo homini lupus. 
    人間は人間にとって狼だ。--喜劇詩人プラトゥスの喜劇に出てくるセリフ。

  • vita brevis, ars longa. 
    人生は短く、技法(芸術)は長い。

  • mens sana in corpore sano. 
    健全な精神は健全な肉体に。--ストア派の言葉。現代では意味が少しズレている。もともとは、神にお願いをする時は色々願うのではなく、健全な精神と健全な肉体だけを願えば良い、という意味。

  • ave Maria gracia plena. 
    めでたきかな、慈愛に満ちたマリア。

  • noli me tangere. 
    私に触るな。--キリストが十字架上で死して後3日後に復活してマグダラのマリアの前に現れて、マリアがキリストに触ろうとした時にキリストが言った有名な言葉。

  • diriges proximum tuum sicut te ipsum. 
    汝が隣人を汝自身の如く愛せよ。

  • in principio erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum. 
    始めに御言葉ありき。御言葉ば神とともにあった。御言葉は神であった。--新訳聖書のヨハネの福音の冒頭部分。

  • nemo sine periculo vincere potest. 
    誰も危険なしには勝つ事はできない。

  • in dubio pro reo. 
    疑わしきは、被告に。--現代にも生きている、裁判の方針。

  • Dominus tecum. 
    主は汝とともに。

  • sapientia virtus est, id summum bonum est. 
    叡知は徳である。それは最高の善である。

  • nudus ara, sere nudus. 
    裸で耕せ、裸で種を撒け。--ヘシオドスの言葉。

  • qui bene serit, bene metet. 
    よく種を撒く者はよく刈り取る。

  • verum est quod pro salute fit mendacium. 
    安全のためにつく嘘は真実である。

  • sequere naturam. 
    自然に従え。--自然主義を唱えたストア派の主張。

  • tu fui, ego eris. 
    我は汝であった。汝は我になるであろう。--とあるローマ人の墓碑。

  • deus videt te non sentientem. 
    汝が感じなくても、神は汝を見ている。

  • deo duce, non errabis. 
    神が導けば、あなたは誤ることがないであろう。

  • superanda omnis fortuna ferendo est. 
    すべての運命は耐えることで克服されなければいけない。

  • sit difficile; experiar tamen. 
    それが困難であるとしよう、それでも私は試みよう。

  • Grammatica loquitur, Dialectia vera docet, Rhetorica verba ministrat, Musica canit, Arithmetica munerat, Geometrica ponderat, Astronomica colit astra. 
    文法は語り、弁証法は真なることどもを教え、修辞学は言葉を治め、音楽は歌い、算術は数え、幾何学は量り、天文学は星を見守る。--中世の大学の自由学科7つ。

  • Vivat academia! vivat professores!
    vivat membrum quodlibet!
    vivant membra quaelibet!
    semper sint in flore! 
    アカデーミア万歳!教授達万歳!
    どのメンバーも万歳!
    どのメンバー達も万歳!
    彼らみな常に華の中にあれ!
    --中世から現代まで歌い継がれている大学生の歌の最後の方の歌詞。

  • quid faciam? quo eam? 
    一体私は何をしたらよいのか?一体私はどこへ行けばよいのか?

  • ne vivam si abis. 
    もし君が去っていくなら、私は生きたくはない。

  • tunc adfuisses. 
    あの時、君がそばにいてくれてたらなぁ。

  • citius, altius, fortius. 
    より早く、より高く、より強く。--近代オリンピックのモットー。

  • vita hominis gravior est quam orbis. 
    人間の命は地球よりも重い。

  • homines dum docent discunt. 
    人は教えてる間に学ぶものだ。

  • quem di diligunt juvenis moritur. 
    神々が愛する者は若くして死ぬ。

  • per asprera ad astra. 
    険しい物事を通って星々へ。(困難を克服して栄光へ)

  • cras amet qui nunquam amavit quique amavit cras amet. 
    一度も愛した事のない者は明日は愛せよ。愛した事のある者も明日は愛せよ。---「ウェヌスの宵宮」という歌の1フレーズ。


 

    

雛祭―コクミンでメディケアデンタルクリームを買って帰る―

2014年03月03日 12:46

3月3日の備忘録。

 10時22分、駅構内の吉野家でハム納豆定食 400円を食べる。

 まず、県立中央図書館に行ったが、今日は休館日であった。

 次に、駅周辺の文教堂や川又を回るが、国文学史や中国文学史に関する本は置かれていなかった。地方の不便さは、専門書を書店で手にとって見れないことである。

 そこで、本務大学へ行ったが、放送大学が業務終了で資料を見ることができなかった。個人的な感想であるが、本務大学の敷地内にある放送大学は、社会人・生涯学習のための組織としては十全に機能していないと思う。というのは、業務終了で2階の図書館が使えないのであれば、放送大学生はどこで勉強すればよいのであろうか。国立大学法人の図書館ですら地域住民に門戸を広げているのに、通信教育をメインとしている大学が、そして来年度から博士課程開設予定である放送大学がこのように使い勝手がよくないのは問題だな~。

 しかたがないので、IT基盤センターで調べ物と書き物をして帰宅する。

 14時29分、駅構内のコクミンでメディケアデンタルクリーム 880円を買って帰る。

 先週末から、歯茎がザクロのように腫れていたので直ぐに自宅マンションに帰って、患部にこのクリームを塗って横になる。

 テレビをぼーーーーーと見ていると、やしきたかじんのお別れ会のニュースが流れていた。

 21時57分、近くのマクドナルドで以下のものを買ってくる。

  ビッグマック                    350円

  チキンマックナゲット5ピース          190円

   マスタードソース

 22時半頃、薬の効果か咥内の腫れものが裂け、中から大量の膿が出て、腫れが引いてきた。よほど、ここ数日疲れていたのか、翌朝9時過ぎまでよく眠れた。

 今日のドイツ語単語

  empfangen  迎える    empfing            empfangen

     empfehlen  勧める    empfahl             empfangen

     empfinden  感じる    empfand             empfohlen

     erbleiben  身まかる    erblich               erblichen

     erlöschen  消える        erlosch               erloschen

歯が痛い

2014年03月03日 12:44

3月2日の備忘録。

 ここ数週間、歯痛でなかなか眠れず、ヴァイタル(vital)が低減している。このように言うと、それは虫歯にしたお前の自己責任ではないかとツッコまれそうである。しかし、ここであえて反論しよう。私の歯痛は、虫歯ではなくカルシュウム不足により歯が欠けていっていることによる。前にも書いたかもしれないが、私の奥歯には確かに虫歯があったのであるが、それは小学校高学年までに虫歯になったもので、それ以降は一本も虫歯がなかった。腸の炎症で栄養分を吸収することが1年半難しかったために、完全に歯がイカレてしまった。歯痛のためか、上の歯茎が腫れ上がり、なかなか寝付けない。かと言って、歯医者に行く暇もない。これでも、大学の先生は結構忙しいのである。

 10時17分、デニーズでベーコンエッグ朝食単品 500円を食べる。

 14時13分、近くのマクドナルドで以下のものを買ってくる。

  ビッグマックMセット             630円

   ビッグマック

   マックフライポテト

   プレミアムローストアイスコーヒーM

   20時52分、近くのセブンイレブンで以下のものを買ってくる。

  7プレミアム 麦茶      500L                           98円

  手巻おにぎり辛子明太子               136円

  手巻おにぎり紅鮭                    136円

  シェフ直伝ソースの海老グラタン           398円

 今日のドイツ語単語

  dingen  雇う       dingte             gedungen

     dreschen  脱穀する  drosch            gedroschen

     dringen  突き進む   drang              gedrungen

     dünken  うぬぼれる  deuchte          gedeucht

     dürfen  してもよい   durfte             dürfen

 大体、夕方から寝るまでニコニコ動画で「キャプテン・スカーレット」を観て過ごす。

 

ゆくぞ ぼくらのエース

宇宙の基地から キャプテン・スカーレット

めざすは ミステロン

見えない敵なんか 怖くない

出発! OK! S・I・G

もえるファイトだ ついせきだ

キャプテン・スカーレット

 

ゆくぞ 不死身のエース

宇宙のはてまで キャプテン・スカーレット

めざすは ミステロン

エンゼル編隊 ついてこい

出発! OK! S・I・G

ロボット光線 つきやぶれ

キャプテン・スカーレット

3月に突入

2014年03月01日 09:41

3月1日の備忘録。

 2月のこのホームページの訪問者数は以下のようなものであった。

 

2月 2014 1329 4555 15369 149411

 ちなみに、訪問者、訪問数、ページ、件数の順である。

次に、訪問国は1位アメリカ、2位日本、3位中国、4位チェコ、5位クウェートである。

最後に、キーワードは1位中野雅紀、2位林知更、3位憲法判例インデックス、4位国法学研究教室、5位少女革命ウテナである。

 

 10時から16時ぐらいまで、スーフィズムについてレポートにまとめる。

第1章 スーフィズムとは何か

 まず、本題に入る前に確認しなければならないことがある。つまり、それはそもそも「スーフィズム」とは何であるのかということである。なぜならば、東長靖が言うように、イスラームを「イスラム教」と翻訳するのと同じように、タサウウフをスーフィズム、あるいは「イスラーム神秘主義」と翻訳することは、その実態を十全にあらわすものではないからである(東長靖『イスラームのとらえ方』(世界史リブレット15、山川出版社、1996年)16頁以下、53頁、イスラーム神秘主義についてはレオナルド・A・ニコルソン/中村広治訳『イスラムの神秘主義―スーフィズム入門』(平凡社ライブラリー、平凡社、1996年)及びラレ・バフティヤル/竹下政孝訳『スーフィー―イスラムの神秘階梯』(イメージの博物誌、平凡社、1982年)も参照)。つまり、オリエンタリズムの立場でスーフィズム全体から、外部観察者が勝手に一部のみを切り取ってスーフィズムと認定し、その他の部分をスーフィズムではないとすることは妥当性を欠く(東長・前掲書57頁、オリエンタリズムについてはエドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年))。このことによって、なるほどスーフィズムは神秘主義の要素を一つの核としているのであるが、それに加えて広く日常倫理や社会変革の要素を含みもっていることが見えなくなってしまう(東長・前掲書57頁)。以上を前提とした上で、スーフィズムとは何かを考えなければならない。東長によれば、スーフィーは「外形よりは心の内面を重んじて、修行に励む人びと」であり、「スーフィズムとはこのような人々の営為を広くさ」すものである(東長・前掲書53頁)。神秘主義哲学を展開した神秘家からすれば、目にみえるモノの存在を絶対的なものとは考えず、日常意識を超えたところに真実が存在することを信じ、さらにこの相対的存在が真実在と合一しうると思想、体験、あるいは仮象的存在にすぎないのではないかという、はなはだ心もとない状態におかれている私たちが、この心もとなさからのがれるためには「神秘的合一」、すなわち真実在と合一するという難解なスーフィズム理解でよいのかもしれない(東長・前掲書53、56頁)。しかし、このような説明ではスーフィズムのイスラム世界での拡張、ひいてはイスラム世界の世界での拡張を説明することができない。なぜならば、このようなスーフィズムはごく一部の人だけがわかるものにすぎず、もしそうであればそれを理解できない大多数の一般大衆がメインの、スーフィズムの民衆的広がりが説明できないからである(東長・前掲書56-57頁)。東長によれば、「スーフィーの著作を読めばまったく神秘的ではない日常倫理を説いているものも多い」(東長・前掲書56頁)。そこからの帰結は、「少なくともイスラーム社会の歴史を考える際には、『スーフィズム=イスラーム神秘主義』という図式にとらわれないほうがよい」ということである(東長・前掲書57頁)。

 

第2章 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム

 われわれ日本人がイスラーム(イスラム教ではない)を知るためには、容易ではない一神教を理解し、その神が世界を創造したということを知らなければならない。言うまでもなく、イスラームの神はユダヤ教の神でもあり、キリスト教の神と同一である(東長・前掲書1頁。それゆえに、この3つは啓天宗教であり、それを信じる者を啓天の民と呼ぶ)。

 では、人々はなぜ宗教を必要とするのか。それは人びとが宗教に救いを求め、各宗教はそれぞれの仕方で救いを与えるからである。であれば次に、イスラームにおいて救いはどのように与えられるのかが問題となる。東長によれば、それは以下のように説明される。

 「基本的に、ユダヤ教同様、戒律が神の命令であると信じるイスラームでは、導きとしての戒律を守ることが、そのまま救いにつながる。……しかしながら、決まりが一人歩きする可能性は否定しえない。たとえば信号はなんのためにあるのであろうか。しかし、真夜中の車一台通っていない横断歩道でも、信号が赤だとじっと待ってしまう自分を発見することがある。逆に、急いでいるときなど、赤信号で待たされると、信号だけをみていて、それが青になったとたんに、左右の安全も確認しないで渡り出すこともよくある。逆に、急いでいるときなど、赤信号で待たされると、信号だけをみていて、それが青になったとたんに、左右の安全も確認しないで渡り出すこともよくある。こうなると、元来、われわれの安全のためにある信号に、われわれは命令されてしまっているのかもしれない。あくまでも基本は、自分で自分の身を守ることで、信号はそのための補助手段であるはずである。ところがわれわれは本来の目的を忘れ、知らず知らず、信号を守りさえすればよいというふうになりがちなのである。

 キリスト教がユダヤ教を批判したのは、まさにこのような点においてであった。つまり、「律法のために人があるのではなく、人のために律法がある」という主張である。元来の律法の趣旨は、人を救うためであった。ところで、昨今のユダヤ教徒は、その本来の精神を忘れ、ただ形のうえだけで律法を守っていればそれでよい、としている、というイエスは考えた。律法の外見的な形ではなく、その内にひそむ精神こそが大事なのだ、というのがイエスの主張であった。だからイエスは、あえて律法を破り、安息日に病人を癒している(マタイによる福音書、12章9~14節)。

 このように、決まりはつねに形骸化する可能性をもっている。イスラーム法も例外ではない。イスラーム法は、心の内面よりむしろ、外にあらわれた行為をもって価値判断の基準とする傾向がある。これにたいして、そういう「形」ではなく、内なる「心」こそがより大事なのだ、という主張があらわれてきた。これをスーフィズムと呼ぶ。形による救いをもたらすイスラーム法と、心による救いをもたらすスーフィズムは、イスラームの両輪といえよう」(東長・前掲書51‐53頁)。

 ここで若干の補足をおこなう。われわれは宗教というと、個人の心の救いを第一に考え、政治や経済とは無関係なものと思っているのに対して、イスラームはその本質上、つねに社会を問題にし、政治も社会もそのなかに包み込んできたことを指摘する必要がある(東長・前掲書7頁)。そしてもう一つは、キリスト教が「信仰さえあれば律法を守る必要がない」とするのに対し、イスラームは「行為にあらわしたときに罰せられる」という外形上の救いを原則としていることを指摘する必要があろう。これこそが、心による救いをもたらすスーフィズムの多面性の一つである(東長・前掲書13頁、規範的な側面については奥田敦『イスラームの人権』(慶應義塾大学出版会、2005年)参照)。

 

第3章 スーフィズムの確立

 スーフィズムの確立は、イスラームの大帝国化およびそれにともなう世界宗教化と連関している。したがって、このことを東長に倣って説明しよう。

 750年までに、イスラーム勢力は大征服によって東はインドの西北部から、西はイベリア半島にいたる一大帝国を築き上げた。この過程で、一方においては征服者であるムスリムは急速に富裕化し、現世享楽的な傾向が広まったが、他方においては、ただひたすら来世を思い、清貧に生きようとする禁欲家たちが登場してきたのである。

 以上の説明が前章の心のはなしだとすると、次には形のはなしをする必要が出てくる。9世紀ころには、大帝国の誕生・成立により、国家統治の基礎になるイスラーム法の成立が促され、スンナ派四法学派が確立された。かつて禁欲家の流れを汲む人びとは、「形」が整えられたことによって満足せず、より内面的な「心」を求めて修行に励むかたわら、自分たちの思想を表現しはじめた。このようにして、9世紀から10世紀ころのスーフィズムが確立したのである。

 スーフィズムの主張は、外面的な「形」を守るだけでは不十分であり、そこに「心」がこもっていなければ意味がない、というものである。そのなかには、この内面重視を徹底するあまり、外面的な「形」などどうでもよいというものまであらわれた。しかし、この主張はイスラーム法を破ってもよいということを意味するため、イスラーム法学者から激しい反発を受けることになる。10世紀から12世紀にスーフィズムの理論化が押し進められるが、そこでは、このような過激な主張はごく一部の者だけの発言であり、多くのスーフィーたちの本音はあくまで、イスラーム法遵守を前提とした内面的修行である、という姿勢が繰り返し示された。その努力の甲斐あって、12世紀ごろには、スーフィズムは、イスラームのなかにしっかり根をおろすことになったと言われている。もっとも、このような理論家たちの思想とはうらはらに、実際のスーフィズムのその後の歴史は、かならずしもイスラーム法遵守を貫いているとは言いがたい(東長・前掲書57-59頁)。

 ここで指摘すべき点は以下の2点であろう。まず、スーフィズムの過激派の主張は、イスラーム法の原則である「心のなかでどんなに悪いことを考えてもそれ自体で罰せられることはな」く、「それを行為にあらわしたときにはじめて罰せられる」のではなく、むしろ、キリスト教の「外にあらわれた行為がどれほど立派でも、心のなかが立派でなければ、偽善にすぎない」の立場に近いものを感じる(東長・前掲書13頁)。

 次に、過激派の主張は「シャーリアは本来的に神の命令だから、人間には立法権はな」く、それゆえに「法解釈」が必要となるという原則に反する。それゆえに、イスラーム法学者の激しい反発を呼んだと思われる(東長・前掲書48頁。これはキリスト教社会のドグマーティクとヘルメノイティークの対立に似ているように思われる)。

 

第4章 スーフィズムのはたした役割

 東長によれば、イスラームは戒律でがんじがらめにされていて、自由がないなどの誤解を受けているとされる。しかし、自由のないイスラーム教徒数が15億を果たして超えることができるのか、あるいは民族宗教たりえるのかという問題が出てくる。次に、それに則してスーフィズムのはたした役割を概観することとする。

 東長によれば、歴史的にみれば、スーフィズムが形にこだわらなかったことが、イスラームの宗教としての寛容さを与える結果になった。その例として、挙げられるのが偶像崇拝の禁止である。現実問題として、イスラームは偶像崇拝を禁じているが、イスラーム世界においても人びとが村はずれの古木に願かけをするといったことはよくみられる情景である。この聖木崇拝=偶像崇拝をスーフィズムはいかにして理論化、あるいは正当化するのであろうか。東長は以下のように説明する。「この木には、かつて聖者の誰某がさわって恩寵を与えたので、その恩寵が宿っている。だからこの木に願をかければ、それはきっと聖者に届き、そして聖者はそれをアッラーに取りついでくださる。だから、この木に願をかけることはイスラームに反しない(≒違法性の阻却か?)」。このように、民間信仰・土俗信仰(ここでは聖木崇拝)を取り込み、理論化していったのである。その結果、イスラームは民衆や異教徒にとっても受け入れやすいものとなった。法学が厳格な原則や手続き論にもとづいてイスラームを収斂させる一方、スーフィズムは形式に拘泥しないことによってイスラームを拡張する働きを担ったといえる。

 次に、中世にはスーフィズムは民衆のあいだにどんどん広がっていき、イスラーム世界を席捲するにいたった。たとえば前近代のエジプトでは、ムスリムであるということは、いずれかのターリカに属することと同義であったと言われているように、「ターリカ」と呼ばれるスーフィー教団が各地でできあがり、民衆を取り込んでいった。また、中世イスラームが、東南アジアやサハラ以南のアフリカに広がったのも、スーフィズムのおよぼした影響が大きいと考えられる。ただし、ここで以下の問題が生じる。なるほど、この時代、これらの社会ではイスラーム諸国はファショナブルな先進文化の一部ではあったが、はたしてイスラームが法を前面に押し出し、これに合致しないものをすべて禁止するような態度に出ていれば、あれほどの改宗が起こったであろうか?、という問題である。これに対して東長は以下のように答えている。「やはり、スーフィズムのもつ、既存の信仰・儀礼を認める寛容さがあったからこそ、これらの地域に爆発的にイスラームが広がったのである」と。

 最後に、中世との対比で近代になってのイスラーム世界の凋落によって、スーフィズムがその後進性の元凶として批判されるが、その批判が正鵠を射るものといえるのか?、が問題となる。この「スーフィズムの死亡診断」に対して、東長は以下のように反論する。

 現代においてスーフィズムがもはや生命力をもっていないとみるのは、誤りである。現在も進行中のサハラ以南のイスラームへの改宗において、あいかわらずスーフィズムは大きな影響力をもっているし、旧ソ連中央アジア諸国における「イスラーム原理主義」運動の担い手はターリカである。むしろ、近現代におけるスーフィズムの衰退という現象は、東アラブやトルコに特殊な傾向とみることもできよう。そのトルコですら、スーフィズムの系統を汲んでいるといわれるイスラーム政党「公正発展党」が、政権を担うまで急成長しているのである(東長・前掲書59-62頁)。

 

第5章 むすびにかえて

 イスラームないしスーフィズムに対する誤解は、パレスチナ人のサイードの言う意味での「オリエンタリズム」に基づいていると言えるのではなかろうか?そもそも、スーフィズムを「イスラーム神秘主義」と訳語をあてていることからも、「東洋を不気味なもの、異質なものとして規定する西洋の姿勢(視点)」にもとづいているように思われる(エドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年)。しかし、世界宗教であるイスラームを詳細に検討するならば、そこには刑法でいうところの「客観主義的」な側面もみうけられ、また「寛容」あるいは「フレキシブル」なものであることが理解できる。本レポートをまとめるに際し、イスラーム理解を深化させることができた。

                                                                          ―以上―

 

<参考文献>

①東長靖『イスラームのとらえ方』(世界史リブレット15、山川出版社、1996年)

②井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』(岩波新書、岩波書店、1980年)

③片倉・加賀谷・後藤・内藤・中村編『イスラーム世界事典』(平凡社、2002年)

④エドワード・サイード/今沢紀子訳『オリエンタリズム(上)(下)』(平凡社ライブラリー、平凡社、1993年)

⑤レオナルド・A・ニコルソン/中村広治訳『イスラムの神秘主義―スーフィズム入門』(平凡社ライブラリー、平凡社、1996年)

⑥ラレ・バフティヤル/竹下政孝訳『スーフィー―イスラムの神秘階梯』(イメージの博物誌、平凡社、1982年)

⑦奥田敦『イスラームの人権』(慶應義塾大学出版会、2005年)

 

評価 合格     

担当 藤木先生

コメント 前回に比べて格段に良くなったように思います。多少例外はありますが、全体的に引用を最小限に留め、自身の言葉で表現しようとした努力が伺えます。

 ただし、このレポートの設問は「指定文献である『イスラームのとらえ方』をまとめること」ではなく、「指定文献を手掛かりに(或いはきっかけに)して、スーフィズムについて自身で調べ、多面的に論じること」を求めています。その意味では今回のレポートは未だ不充分と言わなければなりませんが、指定文献を熟読した跡が随所に見られ、他の参考文献も参照していることから合格とします。

 今後は以上の点に注意してレポートを作成してみて下さい。

                                                                        2014年3月26日追記

 

 13時23分、デニーズでクリーミーボロネーゼ単品 740円を食べる。

   18時46分、デニーズでぶりの粕漬け膳単品 1030円を食べる。

 今日のドイツ語単語

 braten  焼く       brieten               gebraten

  brechen 破る     brach                 gebrochen

  brennen  燃える   brannte               gebrannt

  bringen  もたらす   brachte              gebracht

  denken  考える    dachte                gedachte

 

Aurora de la vie―お疲れ会―

2014年02月28日 10:29

2月28日の備忘録。

 9時8分、デニーズで焼鮭朝食単品 600円を食べる。

 今日のドイツ語

  binden 結ぶ      band               gebunden

  bitten 頼む       bat                  gebeten

  blassen 吹く      blies                geblassen

  bleiben とどまる    blieb                geblieben

  bleichen 色褪せる  blich                geblichen  

 12時14分、大学近くの宝島でL石焼きビビンバ 714円を食べる。

 

都内へ

2014年02月27日 20:05

2月27日の備忘録。

 7時34分、駅前のすき家でまぜのっけ朝食 300円を食べる。

 今日のドイツ語

  bergen     安全にする     barg                       geborgen

    besten       はじける       barst                      geborsten

    bewegen    勧めてさせる    bewog                    bewogen

    biegen       曲げる        bog                        bewogen

    bieten       提供する       bot                        geboten

 16時半頃、麻布ラーメンで醤油ラーメン 700円を食べる。

 17時35分、おむすび処 米´n 八重洲南口店でバスの中で食べるお弁当を買ってくる。

  深川めし                  880円

  静岡茶500ml              150円

 20時前後、自宅マンションに帰宅する。

ドイツ語のABC

2014年02月26日 09:45

2月26日の備忘録。

 2月ももうすぐ終わりであるが、このHPの統計によると訪問国数は1位アメリカ、2位日本、3位中華人民共和国、4位チェコ、5位クェート、6位ウクライナ、7位イギリス、8位がドイツということである。ところで、オリンピックの終了後に国際ニュースで問題になっているのが、ウクライナ情勢である。そんな中、このブログの訪問者の6位がウクライナであるので、どのような人たちがこのブログを観ているのか、興味が湧くところではある。しかし、「知らぬが仏」という諺もあるように、閲覧者と一定の距離を置くことも必要であろう。私自身は、凶悪殺人者や猟奇殺人者の内面を知りたいという意見については懐疑的である。なぜならば、そんな異常者の精神など分からないし、また分かりたくもないからである(大体、もし自分の肉親や愛する人が殺された場合、身勝手なことを言うであろう被告人の意見などを聴けば、かえって憎悪しか湧かないと思う)。ま~、そこは私の坊ちゃん体質と非難されるところかも知れない。個人的には学生時代、法医学(富田先生)を履修したが、そこで教材とされたバラバラ死体などの遺体が掲載された写真集を見たことはかなりトラウマになるものであった。刑事裁判の裁判員に選ばれた人が公判後にストレス障害をうったえたことは理解できる。

 

「遺体写真見たくない」…裁判員辞退を容認

 

 殺人などの重大事件の裁判員裁判で、遺体などの写真を示す場合には裁判員を選任する段階で説明し、不安を訴える人の辞退を柔軟に認める新たな運用が東京地裁で8月1日から始まる。

 裁判員の精神的負担に配慮した措置で、最高裁は全国の裁判所に対し、東京地裁の対策を参考にするよう通知した。

 裁判員の精神的負担の軽減はこれまで各裁判官の裁量に委ねられてきたが、最高裁の通知で、全国の裁判所で初めて統一的な対応が検討されることになる。

 裁判員の精神的負担が、大きな課題として浮上したのは今年4月。死刑判決を言い渡した福島地裁郡山支部での強盗殺人事件の裁判で、裁判員を務めた60歳代女性が、被害者の遺体のカラー写真を見たことなどが原因で急性ストレス障害を発症したことが明らかになった。女性は5月、国家賠償請求訴訟を起こした。

                                          (2013年8月1日 読売新聞)

 7時57分、近くのマクドナルドで以下のものを朝食として買ってくる。

  ソーセージエッグマフィンセット          440円

   ソーセージエッグマフィン

   ハッシュポテト

   プレミアムローストアイスコーヒーM

 

  ドイツ語の強変化および不規則変化の記憶が曖昧になってきたので、今日から5つづつ復習することにする。

 backen      焼く     buk        gebacken

  befehlen     命ずる   befahl             befohlen

  befleißen    いそしむ    befliß              beflissen

  beginnen   はじめる    begann    begonnen

  beißen        かむ    beiß                gebissen

  本当は、DuやIhrについての人称変化が不十分であるので、これも克服しなくてはならない(ぱっと、口をついて出ない)

 帰りのバス停の自動販売機で、真央ちゃん発言が載ったスポーツ新聞が販売されていた。このことについては、昨日のこのブログの記事を参照してください。

 15時4分、駅構内のSoup Stock Tokyoで以下のものを食べる。

  EAT-IN SS-セット                   900円

   牛すじ肉豆腐チゲS

       鶏と玉葱のスープS

       (セット)白胡麻ご飯

                

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