1月20日の備忘録。
昨日購入した朝日新聞誌上の、長谷部恭男先生と杉田敦先生の記事をまとめてみる。
秘密法は立憲主義を守れますか
通常国会が24日に開会し、昨年12月に成立した特定秘密保護法は、引き続き主要なテーマのひとつとなる。この法案に賛成した長谷部恭男・東京大教授(憲法)と、反対の立場をとる杉田敦・法政大教授(政治理論)に改めて、秘密法の論点は何かや、そこから見える日本の政治・社会の課題や展望について、語り合ってもらった。
杉田敦・法政大教授 長谷部さんはなぜ、秘密法に賛成されたのですか。
長谷部恭男・東大教授 国を守るためです。単に領土を守るとか、国民の生命と財産を守るということではない。日本国憲法の基本原理である立憲主義を守るということです。
杉田 一般的にはその説明はわかりにくい。立憲主義とは通常、憲法をつかって権力を制限するものだと理解されていますが。
長谷部 世の中にはいろいろな考え方をする人がいて、しかも何が正しくて何が正しくないか、そう簡単に決着がつかない。多様な考えを持つ人たちが、何が正しいかをめぐって殴り合ったり殺しあったりすることなく、公平に暮らしていける枠組みをつくらなければならない。それが立憲主義の考え方。権力が制限されるのは、みんなを公平に扱う社会の仕組みをつくるためです。
しかし世界には今、中国や北朝鮮のように立憲主義の考えをとっていない国がある。私たちはそれらの国々から、憲法の定める自由で民主的な現在の政治体制を守らなければならない。そのために秘密法をつくり、特別に保護されるべき秘密が外に漏れないようにする必要があるのです。
杉田 日本では、権力は危ない、とにかく制限すべきだという考え方が強い。秘密法への批判の多くも、そういう権力観がベースになっていたと思います。しかし、権力の危険性はふまえつつも、同時に権力には、生活保障や安全保障など、広い意味でのセキュリティーを確保する積極的な側面もあることは確かです。
とはいえ、どうでしょう。板前さんが包丁を持っていても心配ありませんが、こわもての人が持っていると恐ろしいですよね。
長谷部 そうですね。
杉田 秘密法への反応もそういうことではないですか。法律は相互に関係し合っています。憲法改正や集団的自衛権の行使容認など、安倍政権がめざす法制度改革の文脈に秘密法を位置づければ、不安も出てくる。情報が遮断された中で、いつの間にかとんでもない所に連れていかれるのではないかと。秘密法で国を守ろうとした結果、私たちの生活が脅かされるとすれば本末転倒ですよね。
長谷部恭男・東京大教授 秘密法は民主党政権のもとで構想されたもので、民主党政権が提出していたらこれほど反発されなかった可能性が高いと思います。安倍政権の何が問題か。安倍晋三首相は昨年末、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした御英霊に哀悼の誠を捧げる」と、靖国神社を参拝しました。
しかし私に言わせれば、靖国にまつられている人たちは、戦前・戦中の憲法体制を守るため、つまり今の日本とは「別の国」を守るために死んでいった。参拝は当然だという首相の論理は相当あやしい。「国を守る」といっても私と首相の言う意味はまったく違います。国を守るためと称して集団的自衛権の行使容認や、憲法改正を目指している安倍政権に多くの人が不安を抱くのは理解できる。私も集団的自衛権行使容認や憲法改正には反対です。
ただ、秘密法は、多くの先進諸国が持っているありふれた制度のひとつです。だから政権のありようとは別に、純粋に法技術的な観点から判断されるべきです。包丁の持ち主はいずれ変わるのですから。
杉田敦・法政大教授 法の種類にもよります。秘密法を使えば、有権者が政治的な判断をする際の前提となる重要な情報を、場合によっては60年間ずっと隠し続けられる。安倍政権が、例えば手形小切手法を改正しても不安にはなりませんが、秘密法もそれと一緒ということにはなりません。
機密保護や治安維持を目的とする法律は、私たちにセキュリティーをもたらす面がある一方、侵害する面がある。だからこそ中立・公平性の高い第三者機関をつくり、法律が恣意的に運用されていないかチェックさせる必要があります。
長谷部 第三者機関の意味は限られていると思います。情報に触れる人が増えれば機密保護という制度本来の趣旨が損なわれるし、専門性をもたない素人は何を特定秘密に指定すべきなのか判断できません。
杉田 第三者機関の限界は原発をめぐって露呈しました。事件以前にも専門家による原子力安全委員会という第三者的な組織がありましたが、実際には利害関係者の「ムラ」と化した。必要な対策も後回しにされ、結果として原発事故を防げませんでした。
そうした経緯を目の当たりにした私たちは、外部チェックの仕組みさえつくればいいと、単純に主張するわけにはいきません。かといって東京電力のような企業・業者や、機密にふれる官僚機構のような組織内部の規制だけに任せるわけにもいかない。今は決め手がない。だったら、できることを全部やるしかありません。
長谷部 理想の制度をめざして努力することは大切です。しかし、制度にはおのずと限界があることをわかった上でつくらないと、法と組織をつくったのに機能していないという批判の対象を、また一つ増やすだけになります。
杉田 秘密法の条文があいまいなことも、国民の不安を招いた。秘密の範囲が際限なく広がるのではないかと。また、立法過程で、知る権利や取材の自由に「十分に配慮」すると明記され、取材活動は「正当な業務」と位置づけられました。しかし当初は全く配慮されていませんでした。
長谷部 知り権利や報道の自由は憲法の原則なので、法律自体に書き込むかどうかはあまり意味がない。明記されてわかりやすくなったとは思いますが。
杉田 わかりやすさも大切です。憲法に書いてあるから法律に書かなくていいというのはあまりに法律業界の議論です。これだけ世論の反発を生んだのだから法律のつくり方も拙かったと言わざるを得ません。
長谷部 しかし、政府が法案を提出した時には知る権利などの原則が盛り込まれていたのに、「わかりにくい」と批判されました。
例えば秘密法22条2項では「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、 (略)法令違反は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とする」となっていますが、「『著しく不当な方法』とは何かわからない」と批判された。正当な取材方法とは何か、法律にいちいち明確に書かないと理解できないほど、ジャーナリストのみなさんは「子ども」なのでしょうか。
法律とは総じてあいまいなものです。ガチガチに固めてしまうと、具体的な事例に適用した時におかしなことになるからです。例えば、住居侵入罪は「正当な理由」がないことが構成要件になる。正当な理由が何かは常識で判断されるという前提を抜きにしたら、法律は機能しません。
杉田 その常識が変えられてしまうという不安を今回、多くの人が持ったのではないですか。あいまいな書きぶりの法律が悪用されるのではと懸念するのは不自然でしょうか。
長谷部 秘密法の運用基準づくりはこれからです。民主党への政権交代が挫折に終わり、自民・公明の連立へと政権が回帰した今、民主主義や選挙の意味とは何かが改めて問われています。安倍政権をつくったのは有権者であり、民主党政権を徹底的に批判したメディアです。「次」の選択肢の品質も考えないで、とにかく政権の首を切るということで良いのか。有権者の自覚も問われています。
杉田 今回のような事態で政治的不信が広まると、政策論議の土台そのものが壊れてしまいかねない。政治が何を提案しても、まずは不信感が先に立つことになるからです。その意味でも安倍政権の責任は重い。
有権者の態度も問われます。秘密保護法への反対は盛り上がりましたが、これまで情報隠蔽への感度は低かった。イラク開戦をめぐって時の政府が不正確な情報を出したことに、英米の有権者や議会は怒り、当時の責任者を激しく追及しました。怒る時にはしっかり怒る、主権者としての自覚が民主政治を支えるのです。
杉田 秘密法が社会にもたらす萎縮効果は大きい。法によって処罰されるかどうかについて、最後は裁判所が判断するから大丈夫だと割り切ることは、普通の人にはできません。逮捕や裁判自体がものすごい負担ですから。
長谷部 悪用できないような法律は、実は善く使うことも難しい。法律とはもろ刃の剣です。悪用を防ぐためには、日々の実践によって慣行を積み重ね、裁判所による判例を積み重ねていくしかありません。例えばマスコミは「捜査関係者への取材によると」と事件報道していますが、これは厳密に言えば、警察官らが守秘義務を破ったことになり、地方公務員法違反です。でも逮捕されないのは慣行が確立しているからです。
なぜみなさん、そんなに自信がないのですか。戦前戦中と今は政治体制が全く異なるのに、秘密法ができたらお手上げだ、戦前戦中に戻ってしまうというのは極めておかしな議論です。
杉田 確かに国の体制は法律の条文だけではなく、慣行や判例の積み重ねによって成り立っていて「ここまでは大丈夫」という線が重要です。その点で、戦後日本の蓄積はある程度評価されるべきで、「秘密法で日本は一挙に戦前に回帰する」というような言い方は誤解を招きやすい。
ただし、戦後日本の政治体制で最もそういう蓄積がないのが情報公開の分野です。日本は機密が漏れる心配をするより前に、情報公開や公文書管理について制度の整備を進めるべきです。米国では一定の年限を越えたら、質量とも日本では考えられないほどの情報が公開されます。
「沖縄密約」が典型ですが、米国の公文書で密約の存在が明らかになっても、日本政府は密約はないと否定し続けてきた。一定の年月が経過したら機密も含めて有権者に公開し、判断を仰ぐのが当たり前という慣行は日本ではまだ確立していません。こんな現状で機密保護だけを先行させるのはどう考えてもおかしい。
長谷部 文書管理や情報公開の制度は不十分かもしれないが、あることにはある。その中で実践を重ねていくしかありません。そもそも秘密法ができたことで、情報公開の観点から何が悪くなると考えているのですか。
杉田 外交機密、防衛機密に加えて、テロ関係という言い方で警察や公安機関が握る機密も特定機密に指定され、行政へのチェックが難しくなる点です。
長谷部 しかし、そういう情報はこれまでも表に出てきていませんよね。それに秘密法では、特定秘密に指定された情報は省庁間で共有することを前提に制度設計されていますから、外務省も防衛省も、本当に隠したい情報は秘密指定せずに手元に抱えると思います。
杉田 でも、役所はどうせ情報を隠すから同じだということにはなりませんよね。どうすれば必要な情報が適切に管理され開示されるようになるか。この際、一から出直す覚悟が必要ではないでしょうか。
長谷部 秘密法ができたから状況が悪くなるわけではないということです。いずれにしても秘密法の運用基準づくりはこれからの課題です。いま言えるのは、情報公開も秘密保護も、判例の蓄積も含めて実践を積み重ねる中でよりよい方向に持っていくしかない、ということです。
12時53分、大学近くの宝島でチゲラーメン 724円を食べる。
16時20分から17時45分まで、「法学概論」の講義を行う。
具体的な内容は、リアクションペーパーを掲載することによって代えることとする。
・今まで、どうして憲法25条における生存権があいまいであるのかよく分かっていませんでしたが、「健康で文化的な最低限度の生活」というのが1人1人にとって違うために、裁量の幅が広がってしまい、漠然としてしまうということが分かりました。加えて、日本における最初の生存権訴訟は朝日訴訟であると思っていましたが、それよりも前に戦後直後に配給制度にからんだ食糧管理法違反事件というものがあったというのをはじめて知りました。この事件についてはどういう事例であるのかよく分からなかったので、調べてみたいと思いました。(Tさん)
・食料管理法違反事件で、違反で捕まった人の主張を最高裁判所が良いことにすることが、闇米などを売ったり買ったりする違法行為が良いことになってしまうので、主張を良いことにできないと聞いて、おもしろいと思った。とても複雑だと思うし、そういうことになったのは国が悪いと思った。法が訴えられるというのは、だいたいは国が悪い、もともとは国のせいだと思った。
また、朝日訴訟は、本当は、兄も関わっていたと知らなかったので、真実を聞いて、驚いた。(Tさん)
・今回の朝日訴訟の件で、高校で学んだものと少し変わった(具体的な)ことを知れたのでおどろいた。正しい知識を身につけると見方も少し変化するのかもしれない。
確かに、日本における生存権はとてもあいまいで多くの事例が挙げられると思った。生活水準の最低ラインを裁判の毎に判断していてはキリがないと思う。(Sさん)
・日本は制度など色々なことを深く考えずに、わりと目先の良さや表面的なものをつくろうためにとりあえずやっておく的な印象が強いと思います。首をつっこむ人が皆無知すぎるかつ無知なのに口を出している気がする。(最近特に)昔一生けんめいにがんばって急激に経済成長した社会のひずみのしわよせが来ているとも見れなくもないのではないでしょうか。しかし残念なことに全てにおいてプロフェショナルである人はいないから、全く穴のない法律をつくることはできないと思います。よりよく生き残るために、自分たちで考えていかなければならないと思いました。
あと憲法は直接人には影響しないから、法律におとして主張しなくてはいけないのではないのですか?(Sさん)
・今回の講義では、憲法25条「生存権」について取り上げ、生活保護費をめぐる社会権について学習した。生存権の問題として具体的に定める法律が存在しないとされているが、これは個々人によって最低限度の生活の基準が異なるためであり、あまりにも抽象的であるからだと思う。自分はこの際、国民1人1人の生活水準を試算し、所得関係なくある一定水準の生活保護費をセーフティネットとして全国民に支給する方策はどうだろうか。これにより何もせずに給与を得ることに対して、労働者は不満を持つと思うが、セーフティネット以上の経済活動による所得の需給は個人の自由として保障することでこの不満はなくなると思う。(Tくん)
・今回の講義では生存権について学びましたが、この生存権(憲法25条)自体が、人によって大きく異なってしまうような扱いにくい権利であることを知り、よく授業などで、小学・中学校で、生存権が学ばれる割には活用しにくい権利だなあと思いました。また、法律でどちらにせよ細かい規定を生存権についてするのであれば、憲法にある生存権は消してしまってもいいのではないかと思いました。そしてかつては生存権が保障してもらえる社会権として考えられていたものではなく、自由権として考えられていたことを知りとてもおどろきました。(Tさん)
・今回の判例は、人命が関わっているので、自分としてはとても難しい話題だと感じた。個人的な考えとしては、審査をより的確なものとし、必要な人に対しては充分といえるくらいの保護をいきわたらせるべきであると考える。その一方で、不正受給者に対しては遠慮なく生活保護を取り上げるくらいの対応をとるべきであると考える。(ただ、その必要な人と不正受給者を見極める基準の整備がこれまた難しいところではあるが)。(Tくん)
・本日の授業では、日本人の特徴として何かあっても自助努力をするということがあることが分かりました。また、その反対で外国人は国に要請する特徴があることが分かりました。法律の面でも日本人には律儀なところがあるのだなと感じました。
健康で文化的な最低限度の生活は人それぞれ異なるので、ある基準に定めることは難しいと思いますが、イギリス、フランスのように具体的な内容を決めていく必要があると思いました。(Mさん)
・最近奨学金継続願を提出したが、奨学金として給付された額と使用した額の差額をなるべく減らすよう言われた。初めてのことだったので驚いたが、「不足しているから給付している(されている)お金」は返還義務はあるものも含め、使い方が難しいなと感じた。
日本人は法律でなく、世間体で生活してきたのだなと思った。しかし、だからこそ今後その性格が崩れた時の法の不備が不安ではあるように思う。(Oさん)
・憲法は抽象的なものが多いことが分かってきた。生存権においては「健康で文化的な最低限度の生活」といわれても、個人差は出てきてしまう。その中でどう判断を下していくのか。非常に難しいことだと今回は痛感した。
最後に先生が仰ったとおり、声を上げられない、上げにくい人たちを抑圧しないで生きさせてあげることはとても重要である。弱者の声に耳を傾けようというのは難しいが、これからの日本の政治家が少しでもそのようなことを実現していってほしいと思う。安倍政権に対して不安を覚える今日の願いである。(Sさん)
17時46分、生協食堂でスパイシーチキン・ランチ 480円を食べる。