寿司屋
2013年07月01日 11:11
6月29日の備忘録。
19世紀から21世紀の大陸国法学の研究
6月29日の備忘録。
6月28日の備忘録。
今年は、月末が土日なので今日、ボーナスの振込みが行なわれたようである。
6月27日の備忘録。
今日は、朝食から豪勢にすき屋でうな丼をヘルシーセットで食べた。
午後4時20分より、法と社会の講義を行なう。
内容は、先週に続いて三谷幸喜監督「ステキな金縛り」を鑑賞し、その内容を論評するというもの。
個人的な感想を述べるならば、この映画は「逆転裁判3」の影響を少なからず受けていると思う。そうでなければ、霊の存在を前提とした裁判は行なわれないからである(そもそも、対審構造を維持できない)。被害者の姉妹の入れ替え殺人は、更科六兵衛があの世に被害者の霊を探しにいったのに見つからなかったと言ったことから、宝生弁護士によって見抜かれたのであり、これはハミちゃんがチナミの霊を霊媒したのに呼び出すことができなかった「華麗なる逆転」のストーリーとオーバー・ラップする。←ネタばれ。
課題としては、以下のレポートを7月中旬に提出してもらうことにした(2課題のうち、1題を選択)。
課題1
昭和の野村芳太郎監督「砂の器」と、平成のテレビ版の「砂の器」を比較して、シナリオ設定の変更から生じる法律問題で気付いたことを感想込みで論述しなさい。
課題2
ゲーム「逆転裁判」シリーズをplayしてみて、面白かったゲームのシナリオを法律問題とからめて論述してください。
講義終了後、三年次の学生とマンガ、アニメおよびゲームの話をする。ま~、これは一種の情報収集である。
ところで、学務で聴いて知ったのであるが、本年度も實原隆志氏が夏期集中講義を引き受けてくれたようなので、わたしは「情報と倫理」の集中講義をしなくてもよいそうである。實原氏に感謝。これで、小山先生→丸山先生→實原先生ラインの非常勤枠はある程度確立したのかも知れない。
というわけで、わたしの「日本国憲法」の集中講義は9月17-20日に開講することになりました。本務大学でこのHPを訪問している学生はそういないが、見ている学生で、必須で「日本国憲法」を履修したい人は参考にしてください。
6月26日の備忘録。
午後2時40分から、法学演習の講義を開始する。
指定テキスト『カール・シュミット入門講義』の輪読で、今日はP.109-116まで読み進む。ペースはゆっくりだが、丹念に読解していこうと考えている。今日の問題は、「二項対立」の脱構築と「高次の第三者」およびスピノザとバークリーの思想読解である。ハッキリ言って、バークリーは原文で読んだ著作が一作もないので、<「存在しているこことEsse」は、私が「知覚するpercepi」と同じことである>という理解は十分ではない。ま~、知覚されるのは「観念」だから、バークリーが経験の蓄積によって形成された「観念」をわれわれが受動的に受容するということはなんとなく理解できる。しかし、これってヘーゲルに繋がるよりも、デカルトの「われ思うゆえに、われ在り」の延長ではないのか。さらに、バークレーの考えは知覚を受動的に捉え、観念→認識とするからいいものの、仮にそれが誤謬、すなわち認識→観念とするならば「私の認識できないものは観念として存在しない」という独我論に陥る危険性があるんじゃないか。それを回避するための安全装置として、西欧においては神を中心とする「高次の第三者」を持出さざるをえないように思う。わたし自身はテオジストなので問題はないが、そうでない多くの日本人にとって納得のいくものではないのでは。
(参考文献)
伊藤邦武『物語 哲学の歴史 自分と世界を考えるために 』(中公新書、2012年)p.154-158.
いずれにせよ、今回輪読してきた箇所は、話が入り組んでいて仲正氏やシュミットは博覧強記であるとは思うが、論の進め方としては議論が入り組みすぎてスパッと理解しにくい。もっとも、『政治的ロマン主義』も大久保訳しか読んでいないし、わたし自身の文章も入り組んだ内容だから、人のことはとやかく言うことはできないのであるが。
講義終了後に、盛況にて夜ランチでさんまメインの定職を食べる。
ニコニコ生放送で以下の番組を視聴する
庵野監督は艦隊ものの醍醐味は艦隊決戦にあると言っていたが、それについてはわたしも同感である。航空機に対して戦艦が無力であるということが判明したからこそ、フィクションの世界においてだけは現実的でない「大鑑巨砲主義」で戦艦と戦艦が砲撃戦を繰り広げてもらいたい。しかし、庵野さん、マイティー・ジャックをやりたいんだネ(アニメでか実写でかとの質問に対して、現在のCG技術では両者でやっていることはほぼ同じになるので、アニメで作りたいそうだ)。
(追記)
特別出演していた出渕裕監督によると、欧米の艦船マニアの間では日本の戦艦のゴチャゴチャした艦橋が美しくないという人が多いそうである。しかし、機能面面を度外視するならば、あの三本マストを改装のたびにゴチャゴチャしたものにデコレートしたところにこそ、そこはかとない造形美があり、そしてそれが日本の戦艦の雄姿を醸し出しているのである。このごろプラモデルは作らなくなったが、日本の戦艦が現在のフリゲート艦のような容姿であるならば作る気がしない。
6月25日の備忘録。
たまたま、パソコンで「海外の反応.jp」を観ていたらSFファンとしては嬉しい記事がUPされていた。
タイトルは、「【コメ付き】全198機 ロボットの大きさを比較「ガンダム系からエヴァ、メタルギア、マクロス色々」」 であるが、これだけの数のロボットの大きさを比較して映像化したものははじめて観た。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=BOd28hQqMms
わたしの趣味のひとつとしてSF小説を読むことがあげられるが、もっぱらその情報は中学以来購読し続けている『SFマガジン』と、ここ数年購読している『オトナアニメ』に拠っている。今日の話題との関連で、今月に発売された『オトナアニメ』Vol.28は「このSFを観ろ!』であった。このブログで過去に書き込んだSFアニメについて、この記事によって若干の認識不足に基づく誤解があったようであるが、わたしはSF評論家ではないので当該テーマについての書き込みは訂正しないでおくことにする。
しかし、池澤春菜が日本SF作家クラブの会員であったとは。むかし、ふな君と神林長平会長が引き篭もり作家であるのにかかわらず、クラブの運営はどう行われているのか論争になったことがあるが、はやそれから10年以上の歳月が経っているのだナ~。ついでながら、池澤春菜の親父さんが池澤夏樹氏であるとははじめて知った。さらに、お祖父さんは「モスラ」の原作者か。
(追記)
先のHPと「パンドラの憂鬱」という海外での日本の評判を取り扱ったHPを観ていたが、わたし自身も日本人に生まれてよかったな~、とつくづく感じた。特に、食事については日本最高~、と思う。
6月24日の備忘録。
午前10時ごろに、本務大学に到着。
下記のレジュメを作成していたら、午後2時ぐらいになる。教養センターの印刷機で、80部コピーする。
共通11号室で待機していたら、教育学部教務のKさんが外来の女性がわたしに用があると尋ねてきたという連絡をくれる。率直な感想として、あまり面倒な用件でなければいいと思った。
午後2時40分から、現代人権論/日本国憲法の講義を行う。その内容は、以下のレジュメの通りである。
現代人権論/日本国憲法 〔担当 中野雅紀〕 2013.06.24
第7講 基本的人権の私人間効力(適用)論
はじめに.
近代立憲主義国家の法制度は公法と私法を分離することによって、私的自治の原則や契約自由の原則を確立するに至った。これは、自律的な個人を創出することに繋がった。そもそも、近代市民革命はブルジョワ(Bourgeoisie)革命であることからも理解できるように、商人を中心とした市民が国家の重商主義政策や重農主義政策に他律的かつ受動的に従うのではなく、自律的かつ能動的に活動するためにアンシャン・レジューム(Ancien régime)体制を変革しようとすることから発生したものであった。そこにおいては、国家が市民の本来有する生命・自由・プロパティー(property;Eigentum)を侵害しようとする行為に対して、そのような権力行為を排除しようとする[国家-市民の関係]を規律する公法領域と、本来的には自由かつ平等である[市民-市民の関係]を規律する私法領域の分離が進展した。前者においては、権力関係が中心なので対国家的・防禦権が中心となる人権が問題となり、後者においては、私人と私人の約束事、すなわち契約に基づく権利(債権-債務)が問題となる。ここで注意しておかなくてはならないのは、人権と権利は憲法序列においては違う段階にあるということである。すなわち、人権は憲法に基づく権利であり、権利は法律に基づく権利であるから、憲法>法律である以上、人権>権利ということになる。加えるに、人権は自然権思想に基づき、自然権の具体化であるから、自然権>人権>権利ということになる。
議論をもとに戻すならば、人権は国家権力が市民の自由領域に、市民に対する圧倒的な権力(暴力)で介入(侵害)してくるからこそ厚い保障を受けるのであり(垂直関係)、権利は対等な市民がお互いの合意によって結ばれる契約の不履行が問題であるから人権ほどの厚い保障を受けないのである(「水平関係」)。いな、市民間の取り決めに国家が介入するということになったら、そもそも市民個人の自由意思が蔑ろにされてしまうであろう。
Ex.頑固親父の経営するラーメン屋が、気に食わない芸能人レポーターに対して「御代はいらねー、とっとっと帰れ」と言っても問題ないか
学説
A)無効力説
近代市民社会は公法と私法を分離し(「国家」と「社会」の分離とも言う)、市民の契約自由の原則をはじめとする私的自治の原則を確立し、市民を自律的な市民へと脱皮させた。したがって、この私的自治の領域に国家が介入することは、近代立憲主義国家における市民社会の自殺行為であり、許されない。したがって、私人間の関係においては人権の適用はない。
B)直接適用説
市民社会は対等な市民だけから構成されているだけではない。市民の中には、自然人のみならず法人も存在している。そして、その法人の中には国家権力に比肩するだけの力を持った者も存在している。このような、「社会的権力」と呼べるだけの存在に対して、これも私的自治から人権の適用がないということは問題である。→法人の人権論:ここで重要な論点は「中間団体否定説」を日本社会が受容できるかどうか
C)間接適用説
AとBの極端な二律背反を克服するための学説。
まず、市民社会における私的自治が大切なことを肯定した上で、例外的に社会的権力による人権侵害を「人権侵害」として認めるために、以下の一工夫を凝らす。
私人による人権侵害を争うために、憲法の人権条項ではなく私法の規定を持ち出して、この私法の規定に基づいて人権侵害行為を無効とすることによって被害者の人権を救済する。そのために、民法90条等の一般条項を持ち出す。たとえば、民法90条は「公序良俗に違反する契約は、これを無効とする」と規定されているが、この条文自体は私法関係における規定に過ぎない。しかし、「公序良俗」という規定内容はきわめて抽象的で曖昧なので、その確定のための基準として外部から他の判断基準を持ち込まざるを得ない。そこで、たとえば奴隷契約においては、憲法18条の「奴隷的拘束からの自由、身体の自由」を、その一般条項に読み込むことによって、この契約を無効とする。これを、法律学上は難しい言葉で一般条項に「憲法価値・精神を充填」すると言う。なるほど、事件で直接適用されている条文は憲法の人権条項ではなく、直接に適用されているのは民法の一般条項なので、私的自治の領域における不当な侵害があるとは言えない。しかし、このような説明の仕方は欺瞞であるとする小嶋和司先生らの意見もある。
Ex.契約自由の原則がないと、どうして困るのかを考えてみよ
(補足)
この他に、アメリカのステイト・アクションの法理とか、ドイツの基本権保護義務論による私人間適用問題の解決が議論されるようになっているが、本学には法学
部がないので興味を持った学生諸君はさらなる学習をしてください。
判例
三菱樹脂事件 (最大判昭和48・12・12)
憲法19条、14条は、国または公共団体の統治行動に対して個人の自由と平等を保障するものであって、私人相互の関係を直接規律することを予定していない。私人間の対立の調整は原則として私的自治に委ねられ、ただ一方の他方に対する侵害が、社会的に許容しうる範囲を越えた場合にのみ、法が介入する。これは、一方が他方に対し、事実上の支配関係を持つときも同じである。私的支配関係において個人の自由・平等に対する侵害またはおそれがあるときは、民法1条、90条、不法行為に関する諸規定の運用によって調整ができる。また、憲法は22条、29条において、経済活動の自由を保障しており、企業者は特定の思想・信条を有するものをそのゆえに拒んでも、当然に違法とはいえないし、労働者の思想・信条の調査や、申告を求める事も違法ではない。雇い入れ後には、企業の解雇の自由は一定限度、制約を受ける。本件の本採用の拒否は、留保解約権の行使であり、通常の解雇より広い範囲の解雇の自由が認められるが、これは、客観的に合理的な理由が存し、社会通念上相当な場合のみ許される。
ちなみに、社会的権力について語るためには法人に言及しなくてはならず、さらに「中間団体否定説」も説明しなければならないであろう。授業においては、法人の費用性とその発展、学説の紹介を簡単にするだけに止めた。なお、中間団体否定説については樋口陽一先生の著作以外では以下の文献が有用。
井上武史「結社の自由保障の理念と制度――フランス結社法における個人と結社(1)~(2)」京都大学法学論叢155巻4号76~103頁、156巻1号91~117頁(2004年)同
「憲法秩序における結社の自由(1)~(3)」京都大学法学論叢159巻28~47頁、161巻68~92頁、161巻55~71頁(2006~2007年)
高村学人『アソシアシオンへの自由--<共和国>の論理』 (勁草書房、2007年)
6月23日の備忘録。
ま~、こんなことになるならば以下のような批判を受けるのは当然かもしれないね。
辛坊治郎さん「救助費用1000万円」個人負担しろ4割、いや勇気を買うべきだ6割
それでも、勇気を買うべきだというのが6割いるのは辛坊氏の人柄ということになるのかナ~。
しかし、台風シーズンにアメリカ西海岸にヨットで渡航とは、素人目からすると最初から無謀のような気がして仕方がない。
ちなみに、上が辛坊さんのヨットで、下が加山雄三氏の光進丸である。ヨットについて、わたしは詳しくないが外観からすると明らかに辛坊さんのヨットは見劣りする。もっとも、加山氏の光進丸は外洋航路用ではないかもしれないので、一概にどちらが優れているのか判定することはできないのであるが。
参考までに、堀江謙一氏のヨットも見てみよう。
これを見る限りでは、辛坊さんのヨットでの太平洋横断は可能のようにも見えないわけではない。
6月22日の備忘録。
6月21日の備忘録。
午前9時半から、駅前の映画館で「俺はまだ本気出していないだけ」を鑑賞する。相変わらず、地元は地方都市であるせいか観客はわたしと、予告編の時間帯に入ってきたもう一人だけという悲しい状態であった。座った席は、C14で前方ど真ん中という位置であった。
6月20日の備忘録。
午後4時20分より、教育B203で法と社会生活の講義を行う。
この講義は映画を観て、それを論評するというものなので、今日は昨日YAMADA電気で購入した三谷幸喜監督「ステキな金縛り」(2011年)を素材にすることにした。