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集中講義第二日目

2013年02月23日 17:35

 2月19日の備忘録。

 前日、学生に「君達も春休み期間に午前8時50分から講義開始ではつらいと思うから、午前9時から講義を開始します」と言っていたのであるが、結局、わたしも学生もほとんどは定刻前に講義室にいたので、お互いに負担の軽減にならなかったということになる。考えてみれば、大学周辺に住んでいなければバスなどの交通機関は定刻どおりなのでこのような結果になるのはあたりまえであることは想定できるのだが、そこまで気が回らないほどに予定が立て込んでいるという状態。このように書くと、わたしは授業を90分授業なのに60分くらいしかやっていないように勘違いされる方がいるかもしれないので付言すると、わたしの講義は原則100分講義で、それがもとで学生から嫌われたりしている。1時間目は平和和主義の話をして、2時間目にはもはや定番になったキューブリック監督の「博士の異常な愛情」を鑑賞して、お昼休みを挟んで感想を聴くということにした。

 

 映画鑑賞中に、教員控室に戻って郵便物や書類が来ているかを確認して、事務に提出書類を渡したりして雑務をこなす。幸いにして、受講者の中に「博士の異常な愛情」を観たことのある学生がいなかったので、わたしが1時間半、定期的に覗って見る限りでは学生はおとなしく映画を観ているようであった。

 お昼休みが、前日と違って1時間になったので大学の近くの宝島に行って、久しぶりにカルビ・ランチを注文してたべる。病気の前は、週一回は食べに行っていたのにここ1年間は食べに行かなかった―食べに行けなかった―ので、お店のおばちゃんに心配されたので、会計時に再入院したことや、病気の関係で肉食がで゛きなかったこと等を話す。おばちゃん、ありがとう。

 

 2日目にして、午後の授業では疲れも相まってか学生の私語が耳障りになってきたので、少し喝をいれる。

 午後5時半に、授業の内容が区切りのいいところまできたのではやめに切り上げる。

 全体の感想としては、レジュメを毎回、詳細なものを配っているのであるが、今回はその準備ができなかったのでレジュメに自己拘束されないためか進度が゜はやい。津通常は、憲法総論から人権総論までどうにか説明して終わりなのに、この調子では人権各論もかなり突っ込んで講義できるペースである。

 午後6時過ぎにタクシーを呼んで、自宅マンションに帰宅。夕食をたべて、本を読んだり、ネットサーフィンしていたら午前1時になったので就寝。

集中講義第一日目

2013年02月23日 17:33

 2月18日の備忘録。

 今日から3日間、第1時限目から第5時限目までの集中講義が始まる。

 午前8時まで寝てしまったため、タクシーを飛ばして本務大学に向かい講義室に直行というあわただしさ。

 午前11時半から午後1時まで昼休みにしたので、その間、三菱東京UFG銀行に行って預金をおろしたり、家賃を振り込んだりする。

 

 午後5時半に早めに授業を終了し、タクシーにて午後6時ごろに自宅マンションに戻る。

 集中講義が2月の中旬を越しての開講なので、試験日を別に設けることは不可能と思い受講生との相談により、ノートの提出をしてもらい、その内容に応じて成績をつけることになった。

 病気のため、これまでなら苦痛ではない集中講義がかなりつらい。というよりも、授業中に教室を歩き回り、当てていくスタイルがお腹の病気で疲れるのかもしれない。帰宅後、足がこむら返りしかけ、おまけにお腹の筋肉が攣った感じがした。しゃべる方はそれなりにストレス発散しているのであるが、聴く方はそれを黙って聴いておかなければならないから一種の修行のようで、その倍は疲れるのではないだろうか。

 明日は今日のような慌ただしい朝にならないようにと早めに床に就くが、これがなかなか寝られない。困ったものである。

お食事会

2013年02月23日 17:31

 2月17日の備忘録。

 かなり前からこのブログに書き込んでいたように、今日は午後6時半から午後8時半までaurore de la vieでわたしの少人数授業に出ていた学生たちと後期試験終了のお疲れ会と兼ねてお食事会を開催した。

 

 

  ちょっと、ピントが外れているが前菜3品。

 

  これが、メインデッシュの鴨肉料理。  1名は魚料理だったのだが、写メールは撮り忘れてしまった。

 デザートのエクレア。

 これらのコースメニューをワインと合わせて1人3000円以内で食べられるのであるから、このお店のディナーはお薦めします(言うまでもないが、ランチは大学関係者がこの店を利用している)。もっとも、10人分の食事はわたし持ちなので30,000円は軽く飛んでしまったが。

 お食事の間に、学生諸君に自己紹介してもらったりして楽しいひと時を過ごす。但し、学生にとってはお疲れ会なのだが、わたしはあしたから3日間1時限目から5時限目までの集中講義であるので、活気づけの食事会であったとも言えよう。

 このようなくだけた席の方が、学生が本音をしゃべったり、意外な一面を見せるので少人数授業が増えれば、かつてのように定期的なお食事会を開催したいと思っている。むかしは、他のゼミの先生や、他学部の先生・学生とのジョイントの食事会を開いていたのであるが、廃れて久しい。

 そうこうしているうちに、時間を大幅にオーバーしてしまい午後9時を過ぎてしまったのでタクシーで帰宅し、入浴して寝ようとするがなかなか眠れずに苦労する。ネットを観ていると、ドウォーキン教授が逝去したと書いてあった。

 

法哲学者ドウォーキン氏を悼む 長谷部恭男・東京大教授

[掲載]2013年02月19日

ロナルド・ドウォーキン=AP 拡大画像を見る
ロナルド・ドウォーキン=AP

表紙画像 著者:ロナルド・ドゥウォーキン、木下毅、小林公  出版社:木鐸社 価格:¥ 4,200

 14日、81歳で亡くなったロナルド・ドウォーキンは現代の法哲学・政治哲学界に屹立(きつりつ)する巨人である。革新的かつ論争的なスタイルで英米圏のリベラルな思潮を主導し、合衆国最高裁の動向にも大きな影響を与えた。
 アイザイア・バーリンやジョン・ロールズ等のリベラリズムの主流は、価値の多元性を強調し、多様な世界観の公平な共存を提唱する。これに対してドウォーキンは、価値の世界は全体として整合していると言う。自由と平等、社会生活の道徳と個人的倫理とは衝突しない。何が責任ある態度か、何が正しい政策か、すばらしい人生とは何かは、すべて矛盾なく支え合っている。人が自分の生を意味あるものとして生きるには、すべての価値は統一された姿で捉えられなければならない。
 1977年に出版された最初の論文集『権利論』は、支配的思想であった法実証主義と功利主義を根底的レベルで批判した。法実証主義によれば、法は社会的事実である。議会がある時点で法律を制定したという事実が肝心であり、内容の道徳的な正しさはそれが法か否かとは関係がない。
 一方、ドウォーキンは、何が法かは道徳と切り離して判断できないと言う。法令や先例は互いに衝突する。条文通りでは非常識な結論が生まれることもある。そのとき裁判官は、法令や先例を全体として整合的に、説得的に説明する道徳原理の体系を構築し、それに基づいて具体の事案に適切な答えを与える。法と道徳は不可分である。
 功利主義は社会全体の幸福を最大化するか否かが、善悪の唯一の基準だとする。これでは、少数の人々を虐待することで多くの人々が幸福になる政策が正当化されかねない。ドウォーキンは、功利主義も一人一人の幸福を平等に扱うという前提に立つはずだと言う。平等な存在としての個人の尊厳を損なう政策は、この功利主義の前提に反する。個人を平等な存在として扱うよう求める権利、生き方を自ら決め、責任をとる存在として扱うよう求める権利は、功利計算に基づく政策決定を覆す「切り札」となる。
 筆者はロンドン大学のゼミや国際学会等で、謦咳(けいがい)に接する機会があったが、深遠な問題を明晰(めいせき)に、ユーモアを交えながら分かりやすく解説する姿は晩年に至るまで変わることはなかった。最後の著書『ハリネズミの正義』の末尾で、彼は生と死について語る。善き生は、人並み優れた業績を残す生ではない。芸術作品の価値もその創造の過程にこそある。我々はむしろ「善く生きる」ことを目指すべきである。尊厳なき生は、一瞬で消える。しかし他者を尊重し、自らも善く生きるならば、「我々の生を宇宙の膨大な砂粒の中の小さなダイヤモンドとすることができる」。東欧からの移民の子として生まれ、母子家庭で育ったドウォーキンは、輝いていた。

https://book.asahi.com/booknews/update/2013022000002.html

ナポレオン-共和制(res public)の崩壊-

2013年02月17日 14:13

  2月16日の備忘録。

   午前中に、アマゾンで注文していた長谷川哲也『ナポレオン―覇道進撃―」が宅配便で到着。さっそく、読み始める。

 ナポレオン暗殺計画を利用して、ナポレオンがついにフランス共和国の皇帝に就任する。まさに、神聖ローマ帝国がその名前にキリスト教と、それに反するローマ帝国の矛盾を胚胎しているのと同様に、皇帝の治める共和国が樹立したことになる(「セザルのものはセザルに、神のものは神に」)。

 

 

  

   

  この巻のエピソードの中心は、池田理代子『エロイカ』と同様、戴冠式にローマ教皇を招きながら、ナポレオンが自らローマ教皇によって戴冠されるシーンではなく、与える強い国父としてのイメージを出すようにダービットに注文を付けるところである。悩んだ、ダービットが描いたのが上記のジョゼフィーヌに戴冠するナポレオンの姿である。周知のように、この絵にはナポレオンの母親のルクレッティアは欠席していたのに、戴冠式に出席していることになっている。すなわち、権力者を描いた絵画は鵜呑みにはできないということである。このナポレオンによって、先週話題になった自由都市ベネッチィアは共和制を終えることになるのであるが、それはまた別の話(1797年のカンポ・フォルミオ条約→むしろ、『ナポレオン―覇道進撃―』では②および③参照)。

  相変わらず、体調が良くならないのは困りものである。

  

 

荷物到着

2013年02月16日 16:31

 2月15日の備忘録。

 午前中に、実家から送られてきた宅急便が到着。

 午前10時半過ぎに、日曜のゼミ形式の授業のお疲れ会の予約の確定のためaurore de la vieに電話する。鴨肉料理9名と白身魚料理1名というアンバランスな配分になったが、そのあと、学生と連絡がつかなかったので、無理を言ってこの配分で食事会のコース・メニューをセッティングしてもらう。

 

 全体的に、風邪の状態はよくならない。したがって、今日は本務大学に行って雑務をこなそうと思ったが、来週から3日連続の集中講義なので大事をとって体を安めた。この備忘録の記載が少ないのも、そのためである。

 そもそも、テレビを観ないからGoogleニュース等で興味をもったものをインターネット検索して調べるので情報収集が若干遅れるが、ひとつひとつについては詳しい内容を把握することができる。

 あっという間に、午前1時半になったので昨日の備忘録をこのブログに書き込んだ後、すぐに就寝する。ただし、薬のせいか寝つきはあまりよくない。

ヴァレンタイン

2013年02月16日 00:33

 2月14日の備忘録。

 本日はヴァレンタインであったが、風邪の具合がよくならず、コンビニに買い物に行くぐらいしか外出しなかった。

  

 ネットでDQNな名前のホームページを発見したので観ていたのだが、神主を先祖としているわたしから見るとあまりにも子供に可哀想な名前をつけている親が多いことを知り、その親の非常識さを批判したくなる。

 わたしの名前でも紀を「のり」と読まずに「き」と読む人がいるが、それでも音読みと訓読みを一緒くたににしていると内心バカにしているのであるが、上のような親はもはやそのレベルの問題ではなく、日本文化を破壊しようとしているのではないかと憤慨してしまう。そもそも戸籍法がどうして使用できる漢字数に制限をつけるのに、漢字の読みに関しては制約をつけないのか、そこのところに疑問がある(戸籍法上の問題)。しかし、ある意味ではDQN名には正直言って笑わせてもらったが、このような名前をつけるような親は自分のバカさ加減をさらしていることを知らないのであろうか、とその親の羞恥心のなさも笑わせてもらった。子供には責任はないが、これこそ「親の顔が見たい」という典型的実例である。そもそも、その家には偏諱がないのかと思ってしまう(これは、身分差別の意味で言っているわけではない)。安倍首相が前回の首相の時にも言っていたように、今回も子供にキラキラネームをつけないよう呼びかけたのには納得がいく。

 

 光中や光宙と書いたら、それは「ピカチュウ」ではなく、「みつなか」とか「みつとき」という立派な名前になるのにどうしてこれがポケモンの名前にになるのか。わたしにはまったく理解できない。

 https://dqname.jp/index.php?md=about

 いずれにせよ、体調が戻らず、実家からの荷物が着かないのではやめに就寝する。

父の誕生日

2013年02月13日 20:19

 

 2月13日の備忘録。

 この日の書き込みは、2月13日に行っているので日記ということになる。

 今日は父の誕生日であるので、昨夜寝る前に父宛にメールを送信しておいた。

 体調は風邪で相変わらず咳き込むと止まらない。そもそも、子供の時から扁桃腺肥大なので手術した方がよいのではと言われてきたのであるが、本人は他人が見ているほど咳き込んで苦しいわけではない。それよりも、風邪そのものがしんどいといった方が正確である。問題は、咳き込むと周りの人の迷惑になるということである。

 今日は特別にDVDを観たわけでもなく、大学からのメールを確認しながらなんとなく1日を浪費する。ニュースとしては、ドイツ人教皇ベネディクトゥス16世が退位を表明したが、生前退位は久しぶりのことではなかろうか。現教皇の博士論文はアウグスティヌスの研究だったはずである。←正解!

 

    マスコミ報道ではベネデクト16世であるが、ラテン語ではベネデクトゥス16世の方が正しい表記のはず。

 

  こちらも、正解で生前退位したのはグレゴリウス12世がシスマの責任を取らされて退位して以来であった。意外と、記憶力は低下していない。

 

 

  部屋にいると暖かいが、外に出ると風が冷たく身体が凍ってしまう。

  早いもので、父も傘寿ということになるのか。ともあれお父さん、おめでとうございます。

「トト・ザ・ヒーロー」

2013年02月12日 14:44

 

 2月12日の備忘録。

 午前9時前に起床。ということは実質、3時間しか寝ていないことになる。

 NTT東日本とのネット使用料金の払い込み手続に疑問があったので、土曜に電話して確認したのであるが、休日は電話業務を行っていないために平日となった朝一番に電話して質問と、銀行からの自動払込み手続の申請をおこなう。これは、いまの若い訪問者の諸君には理解しにくいと思うのだが、昔は電話加入料というのはバカ高く(30万はしたし、債権の代わりにもなった)、わたしが大学生になって上京したとき、父の電話加入権で下宿に黒電話をひき、その後、日本電話公社がNTT西日本とNTTドコモに分かれても回線はNTT東日本のものを利用し続けたために、自宅のインターネット回線と電話回線はNTT西日本に支払っていたということに起因する。したがって、わたしの使用電話は「サザエさん」のシーンでしか観られないダイヤル式の黒電話のままである。つまり、この関係で回線使用料の請求書・払込書がわたしのところではなくて、実家に配送されてしまうのである。さらにまずいのは、わたしが3年前に大病で長期入院したこと、退院してしばらく療養のためにホテル住まいにしたこと、駅北口から駅南口にマンションを引っ越したこと、そのすぐ後に東北大震災が起こったことが重なって、郵便事故が多発するようになったことである。このために、年賀状と転居届を一緒にするのも拙かったが、年賀状に引っ越したことを明記して出したのだが、年賀状が不在通知で戻ってきたとの苦情を受けることも多くなってしまった。ましてや、業者に年賀状を出すことはないので、手続の更新などがない場合、旧住所宛に郵便物が届けられることも多かったようである。

 

 ところで、郵便ポストを見てみると大学院時代に英米法ゼミでお世話になったO先生からの年賀状に対するお礼状が届いていた。気になったのは、O先生が退職を前にして大病で静養されているということである。 わたしがO先生から受けた薫陶は、「大学院生は大学生と違ってエリートである自覚をもて」という一言に尽きる。ゼミ生としては褒められた院生ではなかったけれども、先生のご回復を心よりお祈りいたします。

 その他にも郵便物やメールのチェックをして、自宅マンションで処理できることは処理して、メールで連絡して雑務をこなす。

 午後から、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督「トト・ザ・ヒーロー」のDVDを観賞。

 この映画も東京に住んでいた時に、名画座で観た作品のひとつである。

 この映画の主人公トト(トーマ)は同じ日に生まれた資産家の息子アルフレッドと赤ちゃんの時に発生した火災で取り違えられたと思い込み、自分の人生を盗んだアルフレッドに復讐することだけを目的に生きていくが、そのアルフレッドも実はトトの生活を羨んでいたことを知り、最後にはアルフレッドに死ぬ前に本当の自分を返してもらうといって、アルフレッドを監禁して彼に変装することで破産したアルフレッドを殺害しようとする殺し屋に自ら射殺され、焼き場で焼かれてその灰を撒かれ自由になるというストーリーである。この映画の題材は結構重いが、フランスのシャンソン「ブン」がBGMで使われているのでそう感じさせないところがよい。隣の芝は青いということわざを地で表したような映画である。ドルマン監督の映画は、これとダウン症俳優のトトの弟役が主演の「八日目」を観たことがある。

 とにかく、咳が止まらないので大事に至らないように自宅で仕事をこなしながら、空き時間を使ってDVDを観ているが、あまり生産的な一日を過ごしているというわけではない。風邪を引くと、病気の関係で免疫抑制剤を飲んでいるので完全に動けなくなる。五月雨式に仕事が入ってきて、長期休暇も取れないことも問題である。それでは、おやすみなさい……。

(追記)

 このブログの書き込み時間は実質は30分程度である。ただし、記憶に完全に依拠して書いているだけなので、後で誤った記述を書き換えていることは正直に告白しておかなければならない。しかし、ブログで日記や備忘録を付けている以上、この内容にもいわゆるカッコづけのある記述があることは否定しない。もちろん、嘘は書いてはいないが。したがって、山下先生から教わったのであるが、研究に際しては日記は自分を美化するので信じるのは半分、その弟子が書いた評伝は自分の師を美化するので八割程度しか信頼してはいけないということである。結局は、ヘーゲルではないが「世界法廷」の場でその人物の評価は定まるということなのであろう。

 

 

卒論・修論発表会

2013年02月12日 14:41

  

 2月11日の備忘録。

 この日は建国記念日であるが、本務教室では卒論・修論発表会なので午前8時に本務大学にタクシーで向かう。

 先週末から、また風邪をひいたのか体調が芳しくない。

 下記の写真は、会場前に立てられた発表会の看板を撮ったもの。下の部分の肌色は、写メールなので自分の指が写ったものである。しかし、他にも写真があるが自分が撮ったという記念でワザとこの写真をブログにアップした。

  午前9時から発表会開始。わたしは日本史、世界史および倫理学ゼミの学生の発表会場にいた。ま~、発表は玉石混交であるが、よく3年間であれだけわたしの論述試験で論文構成がきちんとできていなかった学生がまがいなりにも外に公表しても恥ずかしくない研究報告とレジュメを作製できるようになったと、その成長に驚かされる。さらに、OBの齋藤君(現埼玉大学院生)や佐藤君(本務大学院生OB)等も参加しており、本務大学の一大イベントであると言えよう。このホームページの訪問者で関心を持たれた人は、公開発表会なので来年度の卒論・修論発表会に参加してみてください(他大学の学生や高校生であっても歓迎します)。

 面白いことに、昨日、「娼婦ベロニカ」を観たと書いたのであるが、世界史ゼミの発表の2本がが都市国家ベネッツィアについての話だったので、自分の関心に囚われずに広く関心をもつことの重要さを再認識した。

 お昼休みが途中約45分あったので、久しぶりに大学近くの「天」で海老玉丼を注文して食べる。病気になってから、大学の近くのファミレス、回転ずしおよび焼肉屋にほとんど行かなかったので、2年半ぶりと言っていいだろう。しかし、大学前には中華料理屋しか生き残れないのは困ったものである。確かに、中華料理店は注文してはやく料理ができるが、わたしの今のおなかの状態では中華は避けたいところである(そもそも、あんかけの片栗粉が苦手である)。

 午後4時45分、卒論・修論発表会はスケジュール通りに終了した。発表者、司会者および裏方で働いてくれた学生諸君に感謝。一通りの行事が済んだ後、帰宅して翌午前1時まで先日のブログに書き込んだ原稿の校正をしてから、タクシーで中央郵便局に向かい校正原稿を郵送する。帰りは、寒かったが徒歩にて30分かけて自宅マンションに戻る。

 多々書きたいこともあるが、これは当該教室の学生が主体となって運営している公式ホームページがあるので、そちらを覗いてみてください。なお、勘違いしている人がいるようなので付言しておくと、学生・院生等の研究は公開されることにより評価されることを前提としているので、ここでは名前を挙げる場合があるが、それをもってプライバシー侵害とは言わない(これをきちんとやらないから、剽窃問題が発生するのである)。反対に、このブログの記述は学術論文ではないので匿名にしているが、ニュースにアップしたレジュメ等は論文に準じるものなので氏名を明記している。したがって、このホームページ上においても氏名明記・出典明記の記事の無断引用は著作権法違反の罪になるのでくれぐれも注意してください。引用するときには、わたしの氏名とhttpを明確に記載すること。

 今夜は疲れてしまったので(現時点で午前5時半)、本日の書き込みはここまでということにする。おやすみなさい……。

 

キケロ、プロメテウスそしてベロニカ

2013年02月10日 19:21

  2月10日の備忘録。

 今日も午前6時まで寝られなかったので、午前6時過ぎに朝食をたべ、薬を飲んでから午前10時半まで仮眠をとる。

 さて、数日前にこのブログの備忘録にに書き込んだように、キケロは三頭政治時代にローマから追放され、暗殺されたことまでは分かったが、それはそもそも彼に共和制ローマのプロスクリプティオ (proscriptio)という法の保護の対象外に置く人物の名簿を公示するという特別措置が課せられたことが原因であることを知った。すなわち、簡単に言うと追放刑である。しかし、現代人には理解しがたいのであるが、中世までの人間が恐れたのは死刑よりも追放刑であり、ルターもこの法の保護外に置かれたということからも分かるように追放刑こそが極刑であった。ある意味では前述の仮説を考えるとき、Statusの剥奪であり、この部分は船田亨先生の『ローマ法』を読んでいたのに読み飛ばしていたということになる。そう考えると、またまた石川健治氏の「家父長」としてのStatusの位置づけを考える際、ややこしい問題が発生することになる。財産没収で罪は問わないとは、そいつはPersonではないということであり、名誉を重んじたローマ人にとっては死の宣告に等しいものであったに違いない。すなわち、「法務官法」は「名誉法」とも言われていたように、キケロは暗殺される前に殺されていたということになる。時代劇で悪人が命乞いをするときに、ヒーローに「貴様は斬るにも値しない」と言われるのと同じことである。この部分は更なる検討を必要としよう。

  

  ちょうど、わたしが東京を離れ現在の大学に赴任した時に刊行がはじまったキケロー選集。神保町の古本屋で新刊配布で全巻購入したが、このごろの古本屋街での出物はかつてほどなくなってきたような気がするのはわたしだけか。  

 

   お昼過ぎから、以下の三本のDVDを空き時間を使って観賞する。

 

  ①「プロメテウス」

   

    

 おそらく、このホームページの訪問者の中には「お前の観ているDVDは旧い映画ばかりではないか」と思っている人もいるかもしれないので、昨年公開されたリドリー・スコット監督「プロメテウス」(2012年)を観てみた。これは、「エイリアン」シリーズの前時代の話という設定で、ヒロインたちが人類を創造した宇宙人に会いに行くが、その宇宙人が実験惑星で造り上げた生物兵器のエイリアンに襲われ、挙句の果てにはその宇宙人にも襲われるわで登場人物は踏んだり蹴ったりの状態にされるというもの。スイスのネクロノミコンの画集で有名なギーガーの下記のイラストの謎を解明するという筋だが、なにか「遊星からの物体X ファースト・コンタクト 」の二番煎じの感じがして新鮮味がなかった。ちなみに、プロメテウスとは「エイリアン」のノストロモス号と同じで宇宙船の名前である。 

 懐かしい安彦良和監督の「アリオン」。いわゆる、ティターンズ(クロノス一族)とゼウス(オリンポス一族)の対立をモチーフにティターンズ一族のプロメテウスの子であるアリオンと、オリンポス一族の陰の支配者アポロンの戦いを描いた作品。しかし、この「アリオン」の中で描かれるアポロンは「Zガンダム」のパプティマス・シロッコに転用されているとしか思えない。ゼウスの次の地位を狙っているところはシロッコと同じであるが、これは安彦氏のご愛嬌か(言うまでもないが、シロッコの父はティターンズのジャミトフ・ハイマン)。ちなみに、アウグスティヌスは『告白』の中でアリオンたちの母であるデメテルがオリンポス神族と情交を持つことを批判して、このような享楽に溺れる神は神ではないとキリスト教を擁護している。さらに、アウグスティヌスの対異端論駁、とくにファウストゥス論駁に使われたのが創造神デミウルゴスが無からこの世界を創造したのではなく、なんらかの既存の質料によって世界を創造したということは、全知全能の神ではないということであった。

      

 わたしの所属する教室の教室長は早稲田時代に吉永小百合と同級生であり、新入生のガイダンスで自己紹介するときに彼女が優秀であり、その卒業論文が「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテナイの民主制について」であったことをよく話題にする。しかし、ここで問題としたいのはプロメテウスと弟エピメテウスの話である。兄プロメテウスが「先見の明がある者」であるのに対して、弟エピメテウスは「後知恵」の意味を持つことである。ここで重要なのは、プロメテウスが人間に火を与えた罪でカウカーソス山で内臓を禿鷹に喰われる処罰を受けたのに対して、エビメテウスはへパイトスの造ったパンドラと結婚し、かの有名な「パンドラの箱」の悲劇を人間にもたらしてしまうことである。ところで、この夫婦がどうなったかというと後の大洪水を生き延び、現人類の祖となり、それゆえに人間は「後悔する者」となったとされる。これが、同じ早稲田系の冲方丁原作の『ピルグリム・イェーガー』の中ではキリスト教の七つの大罪に、プロメテウスの火の罪が加わり、それがサヴォナローラの「フラーテ予言」との関係でローマ教皇庁の30枚の銀貨と七つの大罪をなす者の闘いを生んでいくというストーリー展開となる。これについては、後でもう一度触れる予定である。

 

 

   ②「娼婦ベロニカ」

     

  マーシャル・ハーコバビッツ監督 「娼婦ベロニカ」(1997年)は、自由都市ベネッツィアの統治機構と身分制を理解するのに有益な作品である。本当は、この映画は学部の授業で映画論評をするときに学生と一緒に観たいのだが、「娼婦」という言葉と「成人指定」がかかっていたので女子学生がいるとなかなかみることができない。コーティザン(高級娼婦)は身体を売るだけではなく、その時代の教養人であったことを知っていれば問題ないのであるが、ためにする言葉狩りが横行する現状においては難しいところである。少なくとも、ベネッツィア議会の構成を知り、この都市の外交政策を大まかでも知ることができる。実は、わたしはベネッツィアの地中海貿易の拠点がクレタ島からキプロス島に移り、オスマントルコ帝国との戦いにおいてフランスのアンリ3世との関係を維持し、その後のペストの大流行においてはローマ教皇庁の干渉を議会が自治権の主張により退けるという流れをこの映画から知った。ベロニカ・フランコが映画のような活躍をしたのかは検証の余地はあるが、イタリア自由都市の歴史を知る入門としてお薦めの作品である。

      

    ちなみに、教皇レオ10世の時代のローマ教皇庁をサヴォナローラの予言を実現しようとする七つの大罪をなす者から守ろうとする30枚の銀貨のメンバーにも娼婦が加わっている。あだ名は「女帝」のマルガリーテ・ラ・シレーヌである。その他に、3本の釘のカタリナ・ヴァレンティノのような教皇の余興で枢機卿扱いの知識人も登場する。    

 

 ③「ダイ・ハード4.0」    

 「ダイ・ハード」との出会いは今から約20年前、新宿PePe前を歩いていたら映画の無料鑑賞券をもらっことにはじまる。知っている俳優もいない、前評判もあまり聴いたことのない映画なので通勤ラッシュを避けるための時間つぶしに観てみたらこれがなかなか面白かった。やがて、ブルース・ウイルスはスターになったが、最初は事件にいやいや巻き込まれて正当防衛的に敵を倒していたのだが、だんだん敵を殺すことが自己目的になっていったように思えるのはわたしだけであろうか。クリスマスに事件に巻き込まれるのは、グルーバー兄弟とたたかっているからかなと思う(さて、グルーバーは何を作曲しているでしょうか)。VC野沢那智版でDVDを観賞していた。

 

 午後10時に入浴中に、畑尻編集委員長から校正原稿の催促の電話があったので、午前3時過ぎまで『ドイツの憲法裁判』の校正原稿に目を通してから午前4時前に就寝する。連休明けが最終締切日だと勝手に勘違いしていたため、編集委員長はじめ多くの人に迷惑をかけてしまった。しかし、明日は卒論発表会なので徹夜することもできないので、提出期限を1日延ばしてもらうことで堪忍してもらった。

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